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安井仲治 僕の写真

 日本における写真の歴史を振り返るうえで欠かせない存在が安井仲治(やすいなかじ)である。戦前の日本写真界をけん引し、今日までその影響が伺える安井の20年ぶりとなる回顧展が開催中だ。
 安井は1903年生まれ。大正・昭和戦前期の日本の写真は、アマチュア写真家たちの旺盛な探求によって豊かな芸術表現として成熟していった。この時期をけん引した写真家の代表格が安井である。
 38歳で病没するまでの約20年という短い間に、驚くほど多彩な仕事を発表した。死後30年近く経った70年代になって安井の再評価が始まり、80年代になると公立美術館でも作品が紹介されるようになった。
 2004-2005年には、渋谷区松涛美術館と名古屋市美術館によって安井の回顧展が開かれた。それからちょうど20年。そして、安井がこの世に生を受けてから120年という節目になる。
 「生誕120年 安井仲治-僕の大切な写真」展が2024年4月14日(日)まで東京ステーションギャラリー(東京都千代田区丸の内1-9-1)で開催されている。
 今回、モダンプリント約20点を制作。ヴィンテージプリント約140点、モダンプリントが計約60点ーー総計200点が紹介される。

1930年代の安井仲治 


 「20年前の展覧会で出せなかったものも含め、今回の個展はグレードアップしています」と東京ステーションギャラリーの若山満大(わかやまみつひろ)学芸員は開幕前日に行われた報道内覧会で語った。
 「今回は写真約200点と資料が展示されますので、会場をぐるりと回って頂ければ、安井仲治の全貌が分かります」。

解説をする若山満大学芸員

 今展は全5章から成る。
〇第1章「1920sー仲治誕生」ー初期のキャリアを紹介する。1930年代に安井は写真を始める。当時写真はまだまだ芸術として認知されていなかった。写真を芸術にまで高めようとしたアマチュア写真家たちがいて、安井もその一人だった。若山学芸員は「安井は写真を使って、その中に感情のような目に見えないものを表現しようとした」という。

猿廻しの図 1925年/2023年 
童女スケッチ 1928年/2004年


〇第2章「1930sー1ー都市への眼差し」ー1930年代、写真家の目線は都市に向けられた。ダイナミックに動き、人間関係が大きくうねる、そんな都市に彼らの目は向けられた。そして、「写真にしか出来ない表現って何かと考え始めたのです」と若山学芸員。例えば、大阪のメーデーを撮った写真は様々な技術を用いて、当時の「大きなうねり」を表現しているという。同時にコラージュや逆光線を使った表現なども試みられる。

野末の秋 1927年 
メーデーの写真 1931年/2004年


〇第3章「1930sー2-静物のある風景」ー日本の写真界におけるひとつのピークだった1930年代前半から半ばにかけてのキーワードは「反静物」だった。というのは静物画だと思うものを自分で即興的に組み合わせて撮影してみたのだ。自分が今見知ったものを変わったもののように見せる。安井という写真家にとっても、様々な手法やスタイルを試み、代表作の数々を生んだ充実した時代だった。

看板 1932-37年 
朝鮮集落 1937-40年

〇第4章「1930s-3-夢幻と不条理の沃野」ー安井をはじめとする丹平写真倶楽部の会員たちは中学校の備品を持ち出して組み合わせることで自分の感性でシュルレアリスムの世界を作っていった。ありふれた風景や物体を用いることで「異様な風景」をその中に発見していったのだ。「写真を使って世の中をどう解釈出来るのか。写真を使って新たな側面をどう発見していくか」ということが安井の狙いだったと若山学芸員はいう。

様式 踊り子 1938年頃 
権力の表情 1939年


〇第5章「Late1930sー1942ー不易と流行」ー1937年に日中戦争が始まると様相が変わってゆく。アマチュア写真家たちにとっての問題は写真材料が手に入りにくくなったことだった。物理的に入手可能であっても値段が高騰しており手が出なかった。また、戦時下ということから撮影可能な場所も限定されていった。例えば、下関、呉、東京湾などはカメラを持って歩くことすら許されなかったという。また、世間も目も厳しかった。つまり、非常事態に楽しんで写真を撮っているとは何事だという冷たく批判的な視線である。そういう中で、彼らは結果として国策に沿う写真を撮っていく。ある種の「バランス感覚」でもって戦中、写真を撮っていく。この時期、ナチスによる迫害を逃れて神戸にやって来たユダヤ人難民を撮影した琉氓ユダヤというシリーズがある。そのうえで、若山学芸員によると、安井は「芸術の本質は自分が美しいと思うものを撮ることだから、月が美しいと思えば月を撮る。それをストレートに表現することが芸術の本質である」という境地に達した。実際に「月」という作品がある。

琉氓ユダヤ 窓 1941年 
惜別 1939-40年 
 月 1941年/2023年

 開館時間は午前10時から午後6時(金曜日は午後8時まで)。入館は閉館30分前まで。休館日は月曜日(4月8日は開館)。観覧料は一般1300円、高校・大学生1100円、中学生以下無料。
 連絡先は03-3212-2485。東京ステーションギャラリーの公式サイトは https://www.ejrcf.or.jp/gallery/

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