見出し画像

ポール「Ura the Best」

 ポール・マッカートニー研究会がまたまたやってくれた!
 ポールの隠れた(?)名曲たちを蔵出しして紹介するレアなトーク・イベント「Ura the Best」が2024年7月7日(土)、「Rock Cafe is your room」(東京都新宿区歌舞伎町1-28-5)で開かれた。
 「Ura」とは裏。そういえば「All the Rest」っていう海賊盤もあった。これって「残り物」ってことかな。どちらにせよ、これらはポールの1987年リリースのベスト盤「All the Best」のパロディなのはご存じの通りだ。
 Nobuさんがまず「今日は全部B面曲で統一して、日本初公開あるいは世界初公開の音源もお届けします」と開会宣言した。

 


 本編は「Another Day」ではなく、当然B面の「Oh Woman Oh Why」からスタートした。「このシングル盤は日本だけでジャケットとディスクの種類で9つの組み合わせがあるんです」とNobuさん。
 「当時買った人はB面をどう思ってたんでしょうね?」。
 梅市さんは「ちなみに日本で一番売れたポールのシングル盤って「Another Day」なんですよ」と解説した。
 続くは「Give Ireland Back to the Irish」のB面のインストゥルメンタル・ナンバー。Nobuさんは「のどかな感じですね。リンダのキーボードはプロなんでしょうか」といきなりのコメント。
 梅市さんが解説でフォローしたー「ヘンリー・マッカローが加わって5人体制になってから初めてのレコードでした。1月下旬にヘンリーが入って、2月には出しました。すぐ出したんですね」。
 「2006年にヘンリーに聞いたんですよー「元ビートルズのポールのバンドに入って最初にインスト曲やったのってどうだった?」って、すると「うれしかった」って。ヘンリー、かわいいなって思いました」。
 Nobuさんは「これカラオケだと思って歌った人います?私は何度かやったんですけど、歌えないです」ときっぱり。
 その次は「My Love」のB面「The mess」。

「My Love」をかけなくても苦情が来ない(笑)
 Nobuさんが「「My Love」をかけないなんて、いいイベントですね」というと梅市さんが「それで苦情も来ない」と返すと笑いが起こった。
 「I lie around」(A面は「Live and let die(007 死ぬのは奴らだ)」)を流した後、Nobuさんは「このへんのアルバムに入っていない曲はシングルで聴かないといけなくて、中学時代に中古盤屋で200円で買いました」と話した。
 次は「Jet」のB面の「Let me roll it」だが、「この曲は93年のライブで復活してからずっと(ライブ・レパートリーから)外れていない」というと、梅市さんは「簡単に弾けて一曲埋まるって言うと素人バンドはこれか「Get Back」をやるんです」と返した。
 ここで曲から離れて、2008年にNobuさんと梅市さんが参加したリバプールでのポールのライブに話が移った。
 梅市さんは回想するー「本当に二人とも一番前の席にいたんです。日本人が他にも何人かいました。ポールがステージから日本人を見つけてMCで「オッス」とか「コンニチハ」とか言い出して、こっちも「オッス」「コンニチハ」って、コール&レスポンスやったんです」。
 「日本に帰った後、ファンクラブの”PCC”が会報で「日本から来たファンクラブのためにステージから「オッス」「コンニチハ」って言ってくれました」って。”PCC”は上のほうの招待席にいたのにね」。

ATVとMPLの「手打ち」?
 打ち明け話の後は「Zoo Gang」(A面は「Band on the run」)。変わったシングル盤の話になった。Bradleys Recordsから出たJungle Juiceの「Zoo Gang」のシングル盤のこと。プロデューサーはTony Hillerなる人物。
 聴いてみる。ウィングスのようでもあるが、「ポールの事務所は否定しているようですよ、ウィングスとは関係ありませんよって。そう言うこと自体怪しいんですが・・・」(Nobuさん)。
 Nobuさんが紹介した犬伏功さんの分析によると、ポール&リンダ・マッカートニーというクレジットをめぐってポールたちを訴えていたATVとMPLが和解してからすぐにこのレコードが出たというタイミングを考えると両者の「手打ち」の作品だったのではないかというのである。
 ちなみにそのB面は「Monkey Business」だった。
 第1部の締めくくりは『Ram』のオーケストラ版『スリリントン』からのシングル「Uncle Albert/Admiral Halsey」の裏面「Eat at Home」だった。

 第2部のオープニングはナッシュビル録音のカントリーナンバー「Sally G」。ドラマーにジェフ・ブリットンが加入してた時代だ。
 「私はジェフ・ブリットンのドラムってワンランク落ちるって思ってたんです。でも『One hand clapping』を聴いて、そうでもないなって思い直したんです」とNobuさんが話した。
 梅市さんは「ポールはようやく自分の理想形のバンドになって世界ツアーに出て、上昇期だったので、『One hand clapping』って音楽上だけなら『Wings over America』よりもいいんじゃないかな」と言う。
 ここで75年に日本公演が中止になったことを伝えるラジオ放送とポールのお詫びおよび「Bluebird」の演奏の音源が流された。
 曲に戻る。まずは「Silly Love Songs」のB面の「Beware My Love」。
 「ジョン・ボーナムが叩いてるバージョンがアーカイブ・シリーズに入ってる」というコメントには「ジョー・イングリッシュは辞めようと思ったんでしょうね」という返事が飛んできた。

米国でA面扱いだった「Girls School」
 次は「デニー・レインお気に入りの一曲」(梅市さん)の「Deliver Your Children(子供に光を)」。そして「Mull of Kintyre(夢の旅人)」のB面「Girls School」になった。
 「アメリカではどうして「Girls School」がA面になったんだろう」とNobuさんがいうと、梅市さんは「Mull of Kintyre」が「バグパイプが入ったりイギリス色が強いんでアメリカではちょっとこれはっていうふうになったんでしょうね」と答えた。
 なお、米ビルボードのシングルチャートのトップ40ではポールのワーストは「Letting Go(ワインカラーの少女)」の39位で、「Girls School」は33位でワースト2位だった。
 
大嫌いなフィル・ラモーン
 『All the Bes』に入る予定が入らなかった曲「Waterspout」。
 「ソニービルでやった試聴会で聴かせてもらいましたし、ジャケットにもアイコンの絵が入っていました。てっきり入ると思っていたら、11月に出た時に入っていなかった」とNobuさん。
 ここからはポールのフィル・ラモーン嫌いの話。
 「シングル・ボックスだけど、(「Once upon a long ago」は)フィル・ラモーンのプロデュースなのに、クレジットがジョージ・マーティンに書き代えられている。よっぽど嫌いなんだね。意地でも出させないっていう」。
 梅市さんが「意外に根に持つタイプ?」。
 するとNobuさんは「意外とじゃないんだ」。
 曲は次の「Daytime Nightime Suffering」へ。
 Nobuさんが「ウィングスの曲でも一番好きかも」というと梅市さんも「この曲を好きって人多いね」と答えた。

重宝したブートレコード
 続いて「Lunch Box/Odd Sox」。
 ここでは曲そのものより『Odd Sox』というタイトルのレコード2枚組ブートの話になった。「このブートけっこう重宝しましたよ。アルバムに入ってない曲が聞けたんで」と梅市さんが絶賛した。
 ここでNobuさんがトリビアを披露ー「ファースト・プレスとセカンド・プレスではレーベルが違うんです」。
 「インサートもデザインが違ってて、”Design by Zatoichi”って書いてあって、たぶんアメリカ人が作ったんじゃないかって」。
 梅市さんも負けじと「ファンとして見逃せないのは、曲ごとにイラストがあって、『All the Best』よりも何年も前に作ってるじゃないのって」。
 続いてはジョンが亡くなった時にレコーディングしていたという「Rainclouds」。この曲でのポールとデニー・レーンの貢献度の話になって五分五分ではないかということに。「ポールが作るともう少しドラマティックになるんじゃないか」と梅市さん。

Nobuさん(左)&梅市椎策さん

 さて最終の第3部に入った。
 まずは「Say Say Say」のB面「Ode to a Koala Bear(コアラへの詩)」。
 動物つながりで「Mary had a little lamb(メアリーの子羊)」の話になって、ドイツ盤のミックスが全然違っていて「ララ」というコーラスでポールの声が聞こえるということが紹介されて、実際に音源を聴いた。
 そして「No more lonely night (ひとりぼっちのロンリーナイト)」(Playout version)。これは7インチのみのバージョンだ。
 Nobuさんは「東京公演で「P.S.Love me do」をハンドマイクで歌ったけど、やるならこの曲をやってもらいたかった」と話した。
 続いても12インチミックス・オンリーで未CD化の「Tough on a tight rope」。「これはすごい名作だと思います」とNobuさん。「この頃からカップリング曲が名曲すぎて」。
 梅市さんは「A面曲のパワーが落ちたんじゃないか」というとNobuさんは「そういう見方もありませすね」と冷静な答え。

「Pretty Little Head」のカセットテープ
 ここで「Pretty Little Head」のカセットの話になって、それは2000本しか作られておらず、当時日本には入ってこなかったという。
 しかし、Nobuさんは一時3本持っていたという。「イギリスで買ったんですが数百円だった。いかにこの曲が不人気かっていうことです」。
 ただNobuさんは付け加えた「B面が「Angry」って曲でピート・タウンゼントがギターを弾いていて、滅茶苦茶かっこいいです」。
 ここからエルビス・コステロが登場し、ポールが裏街道から表街道に返り咲くことになる。「Back on my feet」だ。
 ここまでが本編。

And the "bike" is broken
 ここで閑話休題ではないけど、他の研究会で発表された興味深い話の紹介があった。それは『Anthology 2』に収められた「And your bird can sing」のアウトテイクでジョンが歌った後、みなで笑ってしまうバージョンがある。
 これはおそらくポールがオートバイ事故で前歯を折ってしまった後の録音だろうというのだ。というのもジョンは「And the bird is broken」と歌うところを「And the bike is broken」と歌っており、その後ジョンが自分で笑ってしまいみんなで爆笑してしまっている。
 つまりポールがバイク事故を起こしたことを言っていて、それにジョンやみんなが反応してしまったという分析だ。
 さて、ここからはこのイベントの「ボーナストラック」で、まずは「Kicked around no more」、そして「Twice in a lifetime」。
 続けて「Beatutiful Night」。
 この曲は『Flaming Pie』で発掘されて収録されたが、それとは違うこの6分くらいあるバージョンが最後に出たのは無料ダウンロードの時。
 Nobuさんは「絶対に出さないって決めてるんだろうね、フィル・ラモーンだから・・・でも86年、ポールの声がすごく若いね」と話した。
 「World Tonight」のB面「Squid」。これって「烏賊(いか)」のこと。この勢いは続いていてA面が「Fine Line」の「Comfort of Love」もいい。

米国人的もてなしを見せたヘンリー
 再び話はヘンリー・マッカローのことに。
 2009年の「Good Evening」欧州ツアーでのアイルランドのダブリン会場で「My Love」を演奏する時に、招待されていたヘンリーのことをポールが指さして紹介した。ヘンリーにスポットライトがあてられた。
 Nobuさんと梅市さんが別件で北アイルランドのベルファストでヘンリーに会うと自宅に招待してくれたという。
 二人はヘンリーがプレイした「My Love」のことやポールのことに触れないように気を使っていたという。すると様子が変だなと思ったのかヘンリーはリビングに招き入れてくれた。そこには「My Love」『Red Rose Speedway』など3枚のゴールドディスクが飾ってあった。
 吉成伸幸さんはそのことを知ると言ったというー「ヘンリーの前で「My Love」とかの話をしないようにした極めて日本人的な態度に、ヘンリーは”俺の部屋に来い”っていかにもアメリカ人的な対応をしたなって」。
 話はダブリン会場へと戻る。
 ヘンリーが紹介されたので同じギタリストの「ラスティ(・アンダーソン)が困っちゃって。ラスティは絶対ヘンリーの真似をしないという意地があったから」とNobuさんは回想した。
 次は「I don't know」。『Egypt Station』収録だ。
 最後の最後は「Coming Up」。アメリカではA面が『McCartney II』収録の正規バージョンだったが、B面のグラスゴーでのライブ・バージョンのほうがラジオで頻繁にオンエアされて大ヒットとなったのだ。
 「ポール・マッカートニー。B面侮れないなって」。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?