映画「ビートルズの軌跡」
ビートルズの歴史は掘りに掘られてきた。そして今焦点が当てられているのはもっぱらデビュー前とその前後だ。
ジョンの生い立ちを追った作品「音楽で世界を変えた男の真実(Looking for Lennon)」、書籍では「ビートルズ・イン・ハンブルク」など。
そして、2024年7月5日(金)に公開されるのが「ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ」である。
この作品は初期の彼らが出演していたリバプールのクラブ「ジャカランダ」のオーナーで初代マネージャーとして1960年と翌年に彼らのハンブルク巡業を手がけた興行主アラン・ウィリアムズの回想に始まる。
ウィリアムズが、当時美大生だったジョンとスチュアート・サトクリフに同クラブの女子トイレの修繕を頼んだ記憶を辿ることからスタート。
また、デビュー直前の1962年8月に突然解雇されたドラマーのピート・ベストがその日のことなどを語る。
諸説入り乱れるピートの解雇。ビートルズのプロデューサーとなるジョージ・マーティンが彼のドラミングに辛い点をつけたからとされる。
事前に他のメンバーたちは解雇を「決めていた」というが、言い渡したのはマネージャーのブライアン・エプスタインだった。
ピートがジョン、ポール、ジョージに比べて物静かでユーモアのセンスが異なっていたことを理由に挙げる向きもある。
ピートの母親モナがリバプールで経営していた「カスバ・コーヒー・クラブ」。モナは初期のビートルズを助け、ハンブルク行きにも助力した。それにもかかわらず、ピートが解雇されてしまったのはなぜか。
ピートは最後宣告をされた後、彼は母親のモナと親しくビートルズの側近となるニール・アスピナールと近くのパブ「グレープス」で痛飲した。
ピ―トは回想していたー「わが家に戻った途端、堰を切ったようにとめどなく涙が溢れだした。おふくろはもう、その日の朝ブライアンの事務所で会ったことを知っていた。ニールが俺の知らぬまに電話を入れていたのだ」。
「おふくろは懸命にエピーと連絡を取ろうとしたが、いつかけても”外出中”だったらしい」(ピート・ベスト、パトリック・ドンカスター共著「ピート・ベスト ストーリー もう一人のビートルズ」CBSソニー出版)。
今、ピートの口から語られる「真実」とは?
また、ジョージ・マーティンの要望でリンゴに代わってデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」」などのレコーディングで採用されたセッション・ドラマー、アンディ・ホワイトも登場する。
デビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』から『ラバー・ソウル』までチーフ・エンジニアだったノーマン・スミスの証言も聞くことが出来るなど、ビートルズがスターダムにのし上がるまでを当時のTVパフォーマンス映像を交えながら、掘り下げていく。
監督はボブ・カラザーズ。