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ジョージアの旅③

 実質的に2日目となるジョージア・ツアーは宿をとっているトビリシから古都ムツヘタへの移動から始まった。バスに揺られること、およそ1時間。ムツヘタを見下ろす標高600メートルの山の頂上に着いた。
 ジュヴァリ教会がここにある。ここからムツヘタの町が一望出来る。昔は今の町とは川を隔てた反対側が町だったという。紀元前8世紀、ムツヘタの地に町が形成され、西暦4世紀にはイベリア王国の首都になった。
 ここからは中国企業が手掛けた全長8800キロに及ぶ高速道路も見える。この高速道路はフランスから始まり、ウズベキスタンまで延びている。

ジュヴァリ教会からムツヘタの町を見る


 ジュヴェリ教会が今日位置する場所には、かつてザデンという偶像があったが、聖ニノが破壊して、木製の十字架が代わりに建てられた。
 そして6世紀に建設されたのがジュヴェリ教会だ。かつては城壁も三階建ての鐘楼もあったが、すべて破壊されてしまった。

ジュヴァリ教会


 聖ニノのアイコンは葡萄の木から作られた十字架である。トルコのカッパドキア出身の聖ニノは布教のさなかだったがアルメニアから逃れてジョージアにやって来た。アルメニア王がキリスト教を毛嫌いしていたからだ。
 聖ニノは疲れ果てて寝入ってしまうと、聖母マリアが夢に現れて「ジョージアで布教しなさい」と告げ、葡萄の木で作った十字架を授けたという。

ジュヴァリ教会の内部
ジュヴァリ教会の内部

 次に向かったのは、11世紀後半にまでその歴史を遡ることが出来るサムタブロ教会だ。しかし13世紀の大地震で壊れてしまう。17-18世紀になって復元されたこの教会の中にミリアン王と女王が埋葬されている。
 この教会の東側に祭壇がしつらえられている。この中には女性は入れない。しかし例外があった。それはジョージア最盛期のタマラ(女)王だった。この教会内部の撮影は禁止されている。
 それから訪ねたのは世界遺産登録されているスヴェティツホヴェロバ大聖堂である。当時、ユダヤ人は会議を開いてイエスは本当の神なのかどうかを議論した。参加者の中にはエリオスという人がいた。エリオスにはシドニアという姉がいて、彼女はイエスが大好きだったという。

スヴェティツホヴェロバ大聖堂


 エルサレムに赴いた。しかし到着した時にはイエスはすでに事切れていた。シドニアは、イエスの遺体を包んだとされる聖骸布を抱いて亡くなってしまう。すると杉の木が生えてきて、そこから出た油は病を癒す力があった。4世紀にその杉の木を切って教会を建てることになった。
 6本の木を使って建設を進めたが、7本目は空に飛んで行ってしまったという。聖ニノはそれを取り戻すために神に祈った。すると天使たちが現れて7本目の木を戻してくれたという。スヴェティツホヴェロバとは「生命の柱」との意味があるネーミングなのはそのような言い伝えからだ。
 また小さな教会が大聖堂の中にある。これはイエスが埋葬されているエルサレムの教会の小さなモデルである。エルサレムに直接行くことが出来ない信者たちのために15世紀に造られた聖堂内教会である。

スヴェティツホヴェロバ大聖堂の中にある教会

 (続く)

 


 
 

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