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アーティスト明菜

  音楽プロデューサーの川原伸司(かわはら・しんじ)さんの中森明菜とのかかわり合いは明菜が自殺未遂事件を起こしたのちに事務所の研音をやめた状態の時だった。当時の彼女の事務所の社長から「明菜が歌うのにいい曲があったら探してね」と言われたのである。
 角川映画『天河伝説殺人事件』の主題歌を最初に聞いた時、「明菜向きだね」って川原さんは作詞家の松本隆さんに話した。そして、「二人静ー『天河伝説殺人事件』より」が明菜のワーナーでの最後のシングルになった。


 明菜さんは自殺未遂を起こした後だったので川原さんは神経質になった。
 「明菜さんは歌に対して正統派なのです。正統派のボクサーであって、決して格闘家ではない。でも芸能界っていうリングの上では苦労しました」。「松田聖子がアイドルだったのならば明菜さんはアーティストでした」。
 レコーディングの時にこんなことがあったという。
 川原さんは言う。「スタジオで明菜さんに「唄ってください」と伝えると「いまから3通り唄いますから、どの唄い方が好きか決めてください」というのです。そしてまず、すごくウィスパーな感じの囁くような歌い方で一発目。その次は「でもこれじゃちょっと弱すぎるから」といって力強く唄って、最後はいわゆる明菜ちゃん流でした」。
 明菜さんはレコーディングの前に自分なりの作戦を立てて勝負してくるボーカリストで、ミュージシャンっぽくて、全然アイドルではなかった。「試されたんだね。どれを選ぶかで制作者との相性をみていたんです。明菜さんは若かっけれど、大人はなめてかかったらとんでもない。大人より完璧。異能の人。常人とは違う別の才能を持っているのです」。
 明菜さんは1980年代を代表するアイドル歌手だった。明菜さんも松田聖子も「2人とも真面目。一生懸命に仕事をしていた。アイドル・エンタテイメントが右肩上がりの時代。テレビメディアが主流の時代でした。何をやっても売れるので、音楽的実験もだいぶやっていました」と川原さん。
 聖子さんは「いわば”ミーイズム”のアイドルで、自分が唄いたいから楽しみたいからやっているという潔さがありました。しかし、明菜さんの場合は家を背負っている重さがあるのです。家族のために私がやらなきゃいけないっていう使命感がある。最後の昭和型アイドルでした」。
 明菜さんは結局、その後MCAビクターに移籍して、川原さんが制作を担当することになる。彼女は当時ニューヨークにいて、何度も川原さんは行ったり来たり、ニューヨークで話が進んでも東京に戻ると進まなくなったという。TMネットワークの小室哲哉さんに曲を頼んだ。まだ小室さんがブレークする前のことだ。「愛撫」という歌が出来てきた。
 その時期に、ニューヨークの明菜さん周辺の人たちの尽力もあって、坂本龍一さんと大貫妙子さんが「Everlasting Love」という曲を作ってきた。
 結局、「Everlasting Love」がMCAビクター移籍後最初のシングル盤となった。地味な曲だったのでチャートでは最高位10位どまりだった。アルバムには小室さん、バブルガムブラザース、玉置浩二の作品が入った。


 川原さんは「私は、「愛撫」は小室哲哉の名曲でヒット曲としての力も持っているから絶対にいいと思っていました。もし明菜さんが唄って小室哲哉作曲のヒット・シングルになっていたら、TKブームの最初の歌姫になれただろうと思います」と語った。
 明菜が求めているものは名曲だった。だったら名曲を集めたカバー集を出せばいいのではないかとなって『歌姫』の『1』が出来たという。
 選曲はほとんど川原さんが行ったが「カルメン・マキ&OZの「私は風」は、明菜さん本人が「唄いたい」ということで、岩崎宏美さんの「思秋期」は「お母さんが大好きで、”この歌を上手く唄えるようになったら、あんたは本物の歌手になれるよ”と言われた」と話していました」。
 明菜さんはユニバーサルに移籍することになった。移籍第一弾として『歌姫』の「2」を作ることになった。明菜さんは聖子さんの歌を唄いたいといって選ばれた一曲が川原さんが作曲した「瑠璃色の地球」だった。
 作詞家の松本隆さんは「あの曲は、聖子だったらファンタジーだけど、明菜が唄うとドキュメンタリーになる。生きることに一度絶望したアーティストが、わずかに残された愛を分け与えたいと唄うことがすごい」と話したという。川原さんも「ほんとうに素晴らしいなあ」と感嘆の声をあげる。
 明菜さんが鳴りを潜めてから久しい。そこで明菜待望論というのがある。そんななか、彼女の復帰に向けた動きがあったのだ。「中森明菜育ての親」といわれた寺林晁(てらばやし・あきら)さんが「動いていましたが、2022年秋に突然亡くなってしまい頓挫しました。寺さんが元気だったら(明菜さんは表舞台に)出てきたはずでした」(川原さん)。

 (この記事は川原伸司さんへのインタビューに加え、川原さん著「ジョージ・マーティンになりたくて」シンコーミュージックも参照した)

 

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