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自殺衝動に襲われてから休職に至るまでの心のつぶやき

「死ななければ」
 風呂に浸かっているとき、そんな衝動に襲われた。希死念慮なんてものではない、死への強迫観念が後頭部から迫ってきた。
 部位で言うと小脳のあたりだろうか。自宅のベランダから身投げするイメージが感触を伴いながら脳裏に浮かぶ。

 これは明らかに尋常ではない。おれはどうかしてしまっている。鬱のような不安に飲み込まれる感触ではなく、理性的に知覚できる抗いがたい衝動。
 浴槽から立ったり座ったり、矢も楯もたまらずな状態を繰り返してどうにか風呂から出る。寝よう。睡眠だけは確保しなければ。ハルシオンとデパスを口に放り込み布団をかぶる。

 布団の柔い感触に神経がほぐれたのか、少しだけ気分が楽になる。布団だけは自分の味方でいてくれる。

 気が付くと不安に襲われていた。もう朝だ。8時間くらい寝たのに目覚めた瞬間から不安がぬらりと心にまとわりつく。

 こんな状態ではとても仕事になぞ取り組めたものではない。
 常駐先の職場で布告されてきた事業再編で、社内の人員やシステムが目まぐるしく動く中、流れを把握できず、どうしていいかわからないできていた。
 分からないということが本当に怖い。自分の力の及ばないところで物事が決まり、気が付いたら業務が増えていそうで怖い。逃げ出したい。
 家には要介護で地声の大きい父がいる。家中に響く。帰宅しても気が休まらない。会社からも家からも、少なくともどちらからかは離れなければ死んでしまう、診断書を出してくれ!

 幸い物分かりのいいお医者さんで、1ヵ月の休職を要するとの診断書を書いてくれた。とりあえずこれでお墨付きを一つもらえたことになる。
 しかし気は休まらない。外を歩く。会社よりも家よりも、広々とした外のほうが安全に思える。おれを害する人がいない。空間が広いので他者を意識する必要もあまりない。

 コメダ珈琲に入る。これから何をするべきだ?とりあえず仕事の現場リーダーと上司に連絡だ。
 こんな時に仕事の連絡を入れるだなんて、今から振り返ると真面目過ぎないかと思うけれど、反射的に浮かんだのが仕事関係者への連絡だったのだ。
 おのおのに、明日詳しいことは説明しますが、休職します、診断書をもらいましたと連絡を入れた。
 わかりました、明日話を聞くよと上司は返してくれた。入社以来よくしてもらっている上司だ。ありがたい。

 ニート株式会社シェアハウスにも連絡を入れ、明日遊びに行っていいかと連絡を入れる。快諾してもらえた。ありがとう。とにかく会社にも家にも関係がない別の場所に身を置きたいんだ。

 一通りの連絡を入れ終わってもまだ落ち着かない。貧乏ゆすりをする人のような気持ちになっている。そうだ、役所に行こう。とにかく話を聞いてもらいたいときの相談先の情報を教えてくれるはずだ。コロナの情勢下でも役所は絶対に開いているはずだ、家にいると問題ばかりが目に付いてしまう。役所に行こう。

 幸い平日の昼間で、役所の健康福祉課は空いていた。
 今すっごく辛くて、とにかく話を聞いてもらえる連絡先を教えてもらえませんかと聞くと、こころの相談室の連絡先が列挙されたチラシを渡された。
 藁にもすがる思いで電話をかける。保健師の人に胸の内をさらけ出す。

 会社の動きが目まぐるしくて話についていけない、父親の声が響くせいで気が休まらない。会社も家も、どちらも安心できない、苦しい、つらい。
 優しい声で相槌を打つ保健師さん。しんどい状況の中でお医者さんに行って、仕事の連絡をして、やるべきことをきちんとできていて、頑張っていますねとの返事。ただただ話を聞いてもらうだけの行為。逃げたい一心でとった行動を認められてもらえた。話を聞いてもらうのががこんなにも嬉しいなんて。
 次第に訴えは哀れを誘う声に落涙と鼻水が重なり、自分でも何を言っているのかわからなくなるが、ただただ胸の内を嗚咽とともに吐き出す。

 でも僕は今までこういう聞いてもらうだけの行為ができなかった。相手に気を使ってしまって。成果を出さなければ意味がないと思って。聞くのが仕事の人に頼ることで、ようやく胸の内をさらけ出せた。

 それからは役所に併設されたレストランで1杯100円の飲み物を買って、ノートになぜ辛いかを会社・家・自分の3項目に分けて書き出した。分析が目的ではない。ただただ気持ちを書きちらして気を紛らわせるためだ。
 ついでに店仕舞いまでボーっとインターネットをして過ごす。飲食物が安く、無料でWi-Fiが使えて、しかもあまり人がいないので広く机が使える。この安心感と言ったら。この場所にブックマークを付けておいた過去の自分の行動と、公的な社会システムにこんなに感謝した日はないだろう。

 ツイッターにもちらほら反応をいただいて、とても嬉しかった。助けてくれと言ったら励ましてくれる人がいるだけで嬉しかった。1つのいいねがこんなにも救いになるなんて。

 呆けた時間を過ごした。しかしその時間が、何も考えなくていい時間が救いになった。身体が目の前にいない人に頼って、自分が思っているよりも、他人は自分を気にかけていてくれて、寄り添ってくれて、それが確認できたのが本当に救いになった。

 こころの相談室やTwitterで励まされて承認欲求が多少満たされたものの、時間が経つと心細い気分に襲われる。両親に、僕のことを愛しているか?なんて聞いてしまった。親なんだから当たり前だよと母は言う。そう、両親が僕を愛しているのは知っている。極めて個人主義的かつ利己的な僕は、無償の愛というものが信じられないのにそれにすがりつこうとしている。

 両親が僕を愛してくれているとはいえ、生活構造としての家のベースは両親であり僕は添え物だ。何者にも邪魔されない僕だけの聖域は家にはない。気分は治まってきたが所在ないので夜道を散歩する。張り詰めた神経が少し緩んでちょっと歩いただけ疲れた。まだ家に帰りたくはない。休憩しよう。

 たどり着いたのは地元のショッピングモールに入っているスーパー。ここはクッションのきいた椅子がある。そこに身体をもたれさせて行き交う人々を呆けた老人のように眺める。視界に入る風景はご家族の楽しげな感情ではなく、人型の物体が何やら音声を出しているらしいということだけだ。
 文字は分かる。音声も分かる。しかし文章から情景が浮かばず、2進数を機械的に人間の認識できる文字情報に変換しただけのような感覚。最近ずっとこうだ。平たく言ってストーリーがわからない。スポットスポットの情報があって、それらが繋がっているらしいというのは理解できるけれど、そこに乗せられた感情や文脈が読み取れない。

 空白と虚無が無限に膨張したまま座ってじっとしているうちにもう20時。さすがに家に帰る。帰路ですれ違う子どものあどけない声にすら恐怖を感じながら。夕食はカツ煮。強迫と不安に駆られ、過敏になった胃腸では数切れ口にするのがやっとだった。とりあえず食わせればいいと思ってるだろチクショウ、愛情と相性は別モンだ。
 早々に夕食を切り上げて部屋に戻るとまたぞろ不安と緊張に襲われてきた。知り合いのLINEに電話するも、うまく声が出せない。心配してくれたお礼は伝えるも、とても人と話せる状態ではなかったから早々に電話を置く。言語野がどうかしてしまっている。ああ、せっかく声をかけてくれたのにごめんなさい。ごめんなさい。この間も小脳がしきりに生存のために飛び出せと警鐘を鳴らす。飛び出せってどこから? 3階の部屋の窓が目につく。

 気を紛らわせるためにアニメ「イド インヴェイデッド」を見る。でも30分の間、延々無意味な絵と音声を見させられたような感覚しかない。先週の話は構造と演出が白眉で感心仕切りで膝を打ってただろ!どうして理解できなくなってるんだおれ!
 ああ、ああ、もう今日のおれはだめなんだ、風呂に入って寝よう。入浴という日常行為すらこなすだけのことがこれほど苦しいなんて。ペースが違うぞと訴えかけてくる。

 風呂上がりにリビングに入ると畳まれていない洗濯物と流しに積み上がった鍋が目につく。これらを片付ける。途中で気がつく。いや、そんなことやってる場合じゃないだろ!目先の小さな達成感の誘惑を降りしきって部屋に駆け込み眠剤を放り込んで布団をかぶる。

 30分経っても寝られない。むしろ目が冴えてくる。口内が粘つく、腸の蠕動がやけに敏感に感じられる。恐怖が脳から心臓からにじみ出てくる。
 休職が認められなかったら?この忙しいときになんてことをしてくれたんだとか言われたら?そう思うと不安で苦しくて仕方がない。明日を迎えるのが怖くて仕方がない。今呼吸をするだけで苦しい。何もしてないのに息切れがする。
 最近になってようやく、明日は来る、そのために準備と早寝をしておかなくてはと思えるようになったのに、見えない明日に怯える日に逆戻りしてしまった!休職に何か言われたらくじけてもう立ち直れない。誰もおれを害そうだなんて思ってないはずなのに、欲求が認めてもらえなければ死んでしまったほうがマシだと感じてしまうような幼稚性!どうしてこんな遺伝子を持った!本来おれはもっと能天気で穏やかな気質だろう!なのに器質だけがおれを臆病で利己的で残忍な人間へと駆り立てる!

 心の中でいくら叫ぼうとも脳のスイッチはオフにならない。気は進まないがデパスをもう1錠追加した。これがなんとか効いたようで、次第に後頭部の神経のミリミリと割れるような訴えがほぐれ、意識もだんだんと遠のいていく。ああよかった、とりあえず強制的ではあっても睡眠はなんとかとれそうだ。強迫と不安に不眠まで重なったらもうコントロールは不可能だ。その先は考えたくない。

 翌朝。朝を迎えられた。朝の冷えが足の指先に伝わるとともに脳の警鐘も再び痛打を始める。
 起きるか起きざるか、会社に行かずこのままバックレてしまおうか。とりあえず目の前のことをこなそう。布団を上げる。傍らに置いた水を一杯飲み下す。今日が暖かい日で本当に良かった。真冬だったらそのまま布団から出られなかったかもしれない。
 朝食を食べる。ヒゲを剃る。着替える。出勤のために行っているいつもの行動はまだできる。いつも通り行ってきますと告げて家を出る。勝ってくるぞど勇ましくなんて気持ちは微塵もない。血の気が引いていく唇。

 職場には気がついたらたどり着いていた。駅からはおそらく歩いたのだと思うが記憶がない。恐る恐る現場リーダーにか細い声で遠慮がちに声をかける。

『あのう、昨日ショートメッセージで伝えた件なんですけど、今日お時間ありますか...?』
『うん、T課長にどう伝えたもんかな』

 その声色に叱責や避難の念は感じられない。

『そ、そ、それなら、T課長、今日、このビルにいるから、じゅ、10時くらいに話し聞けるよって、昨日、メッセージ、いただきました』

 どもりながら答える。心臓がどくどくと早鐘を鳴らす。全身に緊張が走る。

『わかった。その時間に会社への連絡も含めて話をしよう』
『あ、あの、急にこんなことになっちゃってごめんなさい』
『うん、無理しないほうがいいよ。休んだほうがいい』

 なぜそんな優しいことを言ってくれるんだ。事業再編でみんなが振り回されているのに、その流れについていけないのが怖くてみんなを見捨てて逃げ出そうとしているんだぞ。どうしてこんなみんなが混乱している状況で自分勝手なおれを慮れる強さを持っているんですか先輩。

 それから自分がなんと答えたかは覚えていない。とりあえず自席についてメーラーを開く。20件くらい新規で届いている。隣席の同僚の担当案件がある。自分の分もある。後輩くんにお願いしたのもある。ある。ある。ある。もはや何に手を着けたら良いのかわからない。
 業務用チャットを見る。おれが休みの間に、後輩くんがおれの業務を不慣れな中フォローしてくれた跡がある。チェックの漏れているものだけお願いしてウィンドウを消す。ごめんよ、ごめんよ、立派で頼りがいのある先輩でありたかったけど、おれはもうだめなんだ。

 10時になり先輩と課長に休職の件を伝える。

『いきなり、休職なんて、話になって、すみません、大きく分けると理由は2つ、あって...』

 プレゼンの授業を履修したての学生のように話し始める。

『最近の事業再編絡みで、周りがいっぱい動いてて、情報についていけなくって、自分がどうすればいいのか、どうなるのかわからなくて、怖くてたまらないんです。それと家では、要介護の父親の声が大きくて、自分の部屋にいても、響いてきて、気が休まらないんです!会社にも家にも安心できるところがなくて、辛くて、逃げ出したくて...』

 次第に声には悲痛な色がにじみ出る。

『空洞丸くんが辛いならまず休んだほうがいいよ。一人が抜けてもカバーできるようになっているのが会社って組織だし、ウチの会社はその辺はしっかりしてるから』

 課長は冷静な声で言う。前日に軽く伝えてあるとはいえ、努めて理知的に告げる姿勢が立派だ。本当に上司には恵まれたと思う。

 細かい手続きはメールで後日やり取りすることになり、その日は自分の担当していた業務を先輩に引き継いで帰宅した。いつか自分がいなくなった時のために日頃からマニュアルを作成していたので大きな混乱はあるまい。だが、本当はステップアップのために時間を使うべきだったのだろう。
 でも今まで仕事をしてきて、自分が飛躍する姿はついぞ想像できなかった。自分がいなくなるという自己成就的予言のみが的中した。

 こうして自分は休職に入った。もっとも激戦のさなか、仲間を見捨てて戦線離脱するのだ。でもやっと逃れられると安堵してしまっている。


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