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「したたかな寄生」 感想

 付かれた彼は、メスになる。
 海辺で平和に真面目に生きていた彼は、ある日辺りに漂う不思議な存在に心奪われ魅入られてしまう。たくましかった手足は日を経るごとに小さくなり、天馬空を行く活発な気性も、子を守り、育て慈しむ、繊細でしなやかな手弱女へと変わる。
 子が手を離れ、もう会うことがないとわかる時が来た。それでも幸せだった。自らの役割を全うした。たとえその子が自分の子ではない異形の者だったとしても。

 これはSFや伝奇小説の要約でもなければ同人誌のストーリーでもありません。れっきとした自然界の動物の生活史であり、フクロムシに寄生されたカニの一生です。
 人間社会ではまず見られないような現象が自然界にはひしめいており、研究者・アマチュア愛好家問わず目を輝かせてくれます。
 拙文の冒頭、掴みの部分のひらめきにも一役買ってくれました。創作者はみんな生物学の本を読め。

寄生者と宿主の関係事例に焦点を当てた一冊

 お互いのことを思いやり、尊重し、助け合って生きていく。「共生」という言葉にはそんな情緒的な響きがあります。
 しかし生物学上では、複数種の生物が相互に関係を持ちながら同じ場所に生活する現象全般を指し*1、生物種同士が助け合う関係も、害を与える関係も、何の影響もない関係もすべて「共生」と呼びます*2。
 共生関係の種類は以下の4つに大別されます。

 ①相利共生
  →双方が利益を得る関係

 ②片利共生
  →片方のみが利益を得る関係

 ③片害共生
  →片方のみが害を被る関係

 ④寄生
  →片方のみが利益を得て、相手方が害を被る関係

 したがって、寄生も共生関係の一種に含まれます。
 本書では、寄生者と宿主(しゅくしゅ)、すなわち寄生する者される者の関係に焦点をあて、その驚きの生態、精妙なバランスの下で成り立っている関係の事例を豊富に紹介しています。
 例えばホンソメワケベラとクエ、アリと冬虫夏草、テントウムシとテントウハラボソコマユバチ、ヒトと腸内細菌などです。
 中でももっとも目を惹かれたのは寄生虫の生活環でした。

寄生虫は生活そのものが冒険

 詳しくは本書を参照していただくとして、寄生虫の生活環(生まれてから死ぬまでの一生の過程)はだいたい以下の通りになっています。

 動物Aに卵が産みつけられる
 ↓
 糞を食べた中間宿主に寄生。宿主の摂取する栄養を横取りして成長する
 ↓
 宿主を操って動物A'(最終宿主)に食べられ、体内に移動。生殖を行う
 ↓
 動物A'の糞に交じってまた外界へ。以下繰り返し。

 なぜ子孫を残すためにこんな迂遠な方法*3をとっているのでしょう。
 中間宿主のそばに糞を落とされるとは限りませんし、宿主が標的以外の動物に食べられる場合もあるでしょう。最終宿主が自然現象にやられてしまうかもしれない。

 以下は僕の予想になりますが、寄生虫は、個体レベルでは他の大型動物*4との闘争には勝てないでしょうし、行動範囲も限られます。
 しかし、ハチに花粉を運んでもらう植物のように、他者に食べられて移動することで生息範囲を広げ、生殖機会を増やせる利点があるのではないかと感じました。
 
 空から海から、あるいは陸から静かに相手に潜み入り、行動を操り、用済みになれば他者に乗り換え、子どもを残して他所にドロン。寄生虫の一生は多数の関係者を巻き込んだ冒険といっても過言ではありません。
 1対1で戦うだけが戦略じゃない。そう思うと勇気づけられますね。

研究者としての誠実さを感じられる一冊

 狡猾ながらも完成度の高い寄生生物の一生を、まるで目の前にあるかのように生き生きと軽妙な筆致で本書は描写しています。
 また、なるべく専門用語は使わず平易な言葉で説明するよう心を砕いており、どうしても用語を使う必要のある場面ではきちんと説明をしています。
 生物学に理解のある人にとってもは自明で回りくどく感じられるかもしれませんが、僕は真菌と細菌の違いもよく理解していなかったので助かりました(学生時代はネテバッカ博士だったのです)。
 生物の行動を擬人的に描き、生物学になじみのない人にも面白くわかりやすい、しかし豊かで奥行きのある世界を提示する作風は、「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスさんの影響を強く感じます。

 ただし素人目線の分かりやすい楽しさを優先しているためか、各章の見出しも妙な迫力がありました。目次からいくつか引用してみましょう。

ゴキブリを狩るハチ
入水自殺するカマキリ
あなたがいないと生きられないの! 蜜依存にさせるアカシアの木
宿主のオスをメス化させ産卵マシーンに
奴隷が足りない! 奴隷狩りだ!
自分の子を赤の他人に育てさせるカッコウの騙しのテクニック

 繰り返しますがこれは生物学関係の本です。低価格抜きゲのタイトルでも情報商材のアオリ文でもありません。

 章間の話の接ぎ穂として挿入されているコラムも見ごたえがありました。
 カクレクマノミがイソギンチャクに刺されない理由の一端を解明した女子高生の話*5や、対アブラムシ用の生物農薬として飛ばないテントウムシを作るために交配と選別を30世代分繰り返した話*6など、シレっと書かれているけれども並々ならぬ情熱と科学的探究心が文脈の中に垣間見えて、学問畑の人はここまでするのかと恐れ入りました(サナダムシダイエットの方法なんかも書かれていましたけど)

 奇矯な情報が載っているかと思えば、論旨は最新の学術研究にもきちんと立脚していて、巻末にはきちんと参考文献や出典が記載されています。
 研究の世界では当たり前なのかもしれませんが、論拠を明確にし、記録を残すのは在野の人間にとっても重要だと思っています。
 前提・手法・結果が精査され、疑問があれば意見をもらえるし、それを土台にして後年新しい発見が得られるかもしれません。
 例えば、最近では子どもの自制心と将来の成功の関係について論じた「マシュマロ実験」について追試が行われ、新しい結果が示されました*7。
 また、特殊な状況下におかれた人間は道徳的に悪であっても役割に応じた振る舞いをするようになるという「スタンフォード監獄実験」にもその実験手法と結果の正当性に疑義が唱えられています*8。
 記録が残されていたからこそ、既存の認識の検証や新たな解釈が可能になるのではないでしょうか。
 仮に読み手がアマチュアだったとしても、その分野について読み込んで深い理解を得られ、身近な人にその知見を共有してくれるかもしれません。

 学術系ではないソフトカバーの軽いビジネス系書籍にもぜひ参考文献を記載する習慣が根付いてもらいたいものです。
 ただの個人的経験に依拠したものなのか、多数の実験・思考・査読をくぐり抜けて残ってきた論拠に下支えされたものなのかが判別できますからね。
 本書は手軽に読める新書サイズの本にもかかわらずその辺はしっかりしていて、筆者の研究者としての誠実さを感じます。

謝辞

 本書はイベントバーエデン店長 笹谷ゆうやさんからご恵投いただきました。僕の知らない世界を紐解いてくれる素敵なご本をいただき、感謝の念に堪えません。
 今後も店舗経営者とイベンターとで、相利共生関係を維持していきたいものですね。本年はお世話になりました。どうぞ良いお年をお過ごしくださいませ。



*1 成田聡子『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』幻冬舎 (2017年) p22
*2 成田聡子 (2017) p12
*3 中間宿主を複数経由する寄生虫も存在する(ディクロコエリウムなど)。
*4 寄生虫のサイズからすればカタツムリでも"大型"とみなせるだろう。
*5 成田聡子 (2017) p30-31
*6 成田聡子 (2017) p64-65
*7 Gigazine 「子どもの自制心が将来を左右するという「マシュマロ実験」が再現に失敗、自制心よりも大きな影響を与えるのは「経済的・社会的環境」
*8 BuzzFeed News 「人は環境によって悪魔になるのか あの「監獄実験」がいま再び見直されている

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