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映画「佐渡島が好きだから」

迷っていた。
何に迷っているのかもはっきりと見えないまま。
何も、何一つとして自分の中に肯定できるものが無かった。
だから、初めて佐渡へ行き、壮大な自然と、心根の温かく情の深い人達と出逢って正直くらった。
自分が情けなく、自分には何ができるのか、どうしたいのかと悩みや不安が募っていった。

その旅をまとめたフォトエッセイを作り、自分たちの"出逢い"を広めて、佐渡の人たちにも届けて、少しでも感謝の気持ちを伝えようと思った。
そこでも佐渡の人たちにも沢山支えられ、本当に沢山の人に届けることができた。
沢山のホテルやカフェにも置いていただけて、信じられないような気持ちだった。

完全にノリと勢いだったが、第二弾の企画として映画を作ろうと決めた。
あの時の体が火照るようなワクワクは忘れられない。
映画なんて作ったことはないけれど、この仲間となら絶対に出来ると思った。
新たなメンバーも加わり、全身で佐渡を楽しみながらその時々を映像に残していった。
人生に残る瞬間が幾度となくあって、正直誕生日のサプライズをしてもらった時は嬉しい気持ちと同じくらい、"こんな自分に"申し訳ないという感情があった。
でも、だからこそ自分はこれからの人生で今、目の前にある温かさに生かされるのだろうと背筋が伸びた。

帰りのフェリー、東京に戻って見上げる東京タワーが悲しくて寂しかった。
この街にいる自分がまだ肯定できないでいた。

映画制作を始める時、メンバーは私の言葉を映画の軸として作ろうと言ってくれた。
「折角の言葉がもったいない」と。
あの言葉が私には本当に、本当に嬉しくて忘れられない。
心の底から有難かった。

映画のナレーション撮りのため章平さんと雅美さんが東京に来てくれて、三人で狭い漫画喫茶の一室に四時間こもって収録をしたのも、すごく楽しかった。
ずっと見守って支えてくれる雅美さんが有難かった。

初めて映画を観た時、自分の言葉が形となり私たちの旅が一本の映画になっていることにとても感動した。

そして佐渡、東京、大阪、佐渡での上映イベント。
どの場所でも家族や友人、初めましての人まで本当に沢山の人が来てくれた。
みなさんの顔を見ながら"届いた"その瞬間が嬉しくて幸せだった。
私は本当に周りの人に恵まれているなと思った。

だから、映画が終わった後に必ず伝えていることがあった。
それは「場所ではなく、愛のある人の元に人は帰る」ということだった。
これは私の大切な友人にもらった言葉でもある。
映画の中で私は「東京っていう街も全然好きじゃない」と言った。
あのシーンを見る度にいつも心がヒヤヒヤしていた。
映画の撮影をしていた時の、迷いを抱えた自分故に出た言葉だった。
迷うと、自信を無くすと、視野が狭くなってすっぽり自分だけしか見えなくなる。
でも本当は自分は自分だけの形ではできていない。
フォトエッセイを受け取ってくれた、映画を観てくれた、自分たちを応援してくれた沢山の人。
出逢った人の温もりは、交わし合った言葉は、私を形づくり生き進む糧になる。
場所ではなく人に帰るということ。
数々の出逢いを重ね、体温を伴ってそれを実感した時に、今ここにいる、どこにいる自分でも好きになれたと思った。

地元の愛知にも、今住んでいる東京にも、そして佐渡島にも。
「おかえり」と言ってくれる人たちがいる。
ようやく胸を張って「ただいま」と言えるようになった。
人との出逢いや繋がりに人生があるのだと教えてもらった。

ただいまと帰る場所はそんなに多くはない。
でも心に浮かぶそのいくつかに、感謝を込めて帰っていく人でありたい。
言葉にできぬ今という未来に、出逢いや繋がりで夢を持っていたい。

時間が進む以上、迷いも情けなさも自分の中から完全に無くすことはきっと一生出来ない。
でもそれを晴らす"大切"が重なっている。

身に余り「良い人生だった」と締めくくりそうになるくらいの瞬間に、また生かされる。

言葉に出来ない。
何にも当てはまらない。
それでも、残したい。

そんな瞬間をくれた大切な人たちに。
少しでも感謝の想いを伝えたい。

そしてまた、ちょっぴり口角を上げながら
次は何をしようかと思いを馳せる。


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