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バイク旅

バイクには乗ったことすら無い。
大学生の頃、友人の原付はよく借りて乗っていたが原付とバイクは排気量が違うらしい。


少し前に写真家の小見山峻さんの写真展に行った。

私が好きな芸人ラランドの宣材写真を撮ったのが小見山さんで、その写真の開放的で伸びやかな空気がとても好きになった。
それ以来小見山さんのInstagramをフォローしてよく写真を見ていた。

その日私が行った写真展は写真集「call, overhaul, and roll」の刊行に伴って開催されたものだった。


”「現実の出来事に対する視点を記録する」という写真の本質を突き詰め、コンピュータによる合成加工などに頼ることなく、グラフィカルな世界を構築する写真家 小見山峻”

”「迷う」ことのポジティブな意味を追いかけ、実際に自らが、ならば迷うだけ迷ってみせよう、という決意のもと小見山が住む横浜から札幌まで、バイクに跨がり、彷徨い寄り道を繰り返しながら走り抜けたロードトリップの一部始終を記録したもの”


普段ひとりで誰かの写真展に行くようなことなど殆ど無いが、この告知文を読んでどうしてもその写真を見てみたくなった。

写真展を訪れた当日は雨。
小さな本屋さんに併設されたギャラリースペースで開かれていた写真展のお客さんは、ラッキーなことにその時私ひとりだけだった。
その幸運を最大限に味わうように(にやにやと小さく独り言までつぶやきながら)ゆっくりと写真を眺めた。

田んぼに落ちた一足のスニーカー、ベンチ、廃墟、満開の桜、壁に描かれたハートの落書き、夜の街で抱き合う男女、標識、タバコの吸い殻、青空に泳ぐ鯉のぼり、夕焼け、ドクターペッパーの空き缶、ガソリンスタンドのレシート。

そんな、数々のものや景色や人の写真。
ものを語らぬものから見える物語。

それは小見山さんがバイクと共に旅をした2週間と1500キロメートルそのものであり、
数々の街で確かに、過去から続いて現在進行形で誰かの人生がここにあるということを表しているように見えた。


”写真を生業にして、あれやこれやと格好をつけ、撮る理由をでっち上げている毎日ですが、その実、つまるところは「僕はここにいた」と伝えたいだけ。”


旅の日記の最後には、そんな言葉が綴られていた。

「僕はここにいた」
「私はここにいた」

生きるということを極限まで簡潔にしたその言葉に、風が吹くように静かで心地よい衝撃と、ぴったり等身大の勇気をもらった気がした。


”迷うことなんて、下手をすれば食事の回数よりも多い自分の代謝のひとつだというのに。ならば今こそ迷えるだけ迷ってみせようと。”


迷って走って遠回りして燃料が切れて満タンにしてまた進んで。
その先には一体何があるのか。
まだまだ長い旅になることを祈って。
その先にある衝動に向かって。
私も迷えるだけ迷ってみたい。


そして最後に、
いつかこのタイトルをくれたあなたのバイクの後ろに乗ってみたい。
ちょっと遠回りしながら、目的地は海が良いかもしれない。
また、会いに行きますね。
ありがとう。

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