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不幸自慢でいいじゃない。

人間だもの。

書かないと、前に進めない。
誰かに聞いて欲しい、読んで欲しい。
吐き出せる場所がここしかない。
ので書いています。

思いのまま書いているし、読みにくいし、誤字脱字満載です。
色々含めご了承ください。

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こんにちは、初めてGWを堪能している私です。
今まではずっと接客業だったものでGWや世間の休みの日は一生懸命働いている方の人間でした。
でも今年はGWというものを実感している。

こんな感じなんですねえ。
世間が休みの日に私も休んでいるというのは、不思議な感覚です。

私は勉強が本当にできない子でした。
未だに勉強と聞くと嫌気がさすくらい嫌いです。
でも、国語や音楽や美術や家庭科は出来たんですよねえ。
小さい頃から私はどんな大人になるのか少しも想像できなかった。
お母さんになりたいとか、お花屋さんになりたいとか、何にもなかった。
幼稚園で「将来ないりたいものを書いてくださーい」って先生に言われて困惑した思い出がある。
何も思い浮かばないから。
周りの子は色んな職業をすらすら書いてて、ついに私の番が来た。
でも本当に何にも浮かばなくてぼーっと突っ立ってたら「何でもいいんだよ?」って先生に言われて、私がようやく思い出したのが「看護婦さん」だった。

私は子供の頃から本当に体が弱く、いつも入退院を繰り返していた。
当時いきつけの小児科のクリニックに二人ほど看護婦さんがいて
(当時はまだ「看護師」とは言われてないかった)
その看護婦さんが薬を出す前清算するために何かをパチパチ打っていたんです。
その時ではまだ珍しいパソコンでした。
黒い画面に緑の文字。
カタカタと良い音。
私にはそれがとても興味深くてよくずっと見ていました。
だからまだ幼稚園の私は「カタカタ機械を打つ人=看護婦さん」だったんです。
それを思い出して「看護婦さん」って答えました。

後に本当は医療事務の人がやる仕事だと気付いたんですが、なぜかあのクリニックでは清算から薬を出すまで一貫して看護師さんがやっていた気がします。
記憶違いかな?
でもいつ行っても看護師さんは二人以外いなかった。
他はクリニックの先生1人だけ。
田舎だし、小さいクリニックだったし、当時からしてもう50歳くらいの先生で、それでもいいくらいの時代だったのかと思う。
知らんけど。

そんなこんなで私には昔から夢が無い。
結婚もしたいと思ったこともないし、小学生や中学生になった頃には早くおばさんになりたかった。
とにかく同じ年代の女の子がとにかく苦手で、本当に仲の良かった親友の女の子以外はよく男子と一緒にいた。
何が苦手ってあのキャッキャキラキラした空気だ。
小学生から中学生って思いっきり思春期で、女の子達は自分を可愛くしようと一生懸命だった。
私はそれがどうにも苦手で、制服のスカートすら本当は履きたくなかった。
みんな学校の体育の後は髪を結い直したり、休み時間にはリップを塗ったり。
居心地悪かったなあ…と今思い出しても思う。
何であんなことするんだろう??って思っていた。
私も髪は肩より下くらいまであった。
男の子と同じような髪形にしたかったけど、髪を切りに行くのは母と一緒で、母の思い通りに切ってもらっていたからだ。
「私は本当はこうしたい」って言えばいいじゃないって思うところだけど、両親は絶対的存在で、子供が思い通りにならないと怒号や暴力が当たり前の家だったから言えなかった。

母はとても少女趣味で「女の子は髪を長くする」以外の選択は無かったようだ。
高校一年までそれは続いた。
本当は髪を短く切りたかったけど、私には妹がいた。
私なんかよりずっと女の子らしい女の子の妹。
色白で、柔らかい髪、柔らかい見た目で、肌質も母にそっくり。
可愛いものが大好きで、おまけに頭も良く世渡り上手だ。
だから母は妹を一番に可愛がっていた。
反面私は父にそっくり。
ガリガリで体が弱く、肌も色黒、猿みたいな見た目。
どんなに勉強しても頭が悪く、性格は可愛くない、可愛いものにも全く興味がない。
だから私はいつだって二の次だった。
そんな母が髪を結ってくれるんだ。
私の髪を三つ編みにしてくれた。
それが秘かに嬉しくて、切らずに伸ばしていた。

ともかく、私はそういった女の子特有のキラキラが苦手で(今もだが)出来る事ならもう学校なんてすっ飛ばして早くそんなの関係ない中年になりたくて仕方なかった。
自分も若いのに同年代の若い子が苦手なのは20代になっても変わらずずっと同じ気持ちだった。
何かが違うと格好の餌になる
私は中学でクラスのリーダー的女子に目を付けられいじめにあった。
それまでは一人の寡黙で内気な男子を苛め抜いていた子だった。
いじめていたのはその子を中心とした10人くらいの女子だ。
ここには書けないような酷い仕打ちをしていた。

その次に目を付けられたのが私だった。
何が彼女の興味を引いたのか、執拗に私はいじめられた。

給食が私の分だけ配られなかったり、授業中に飴を舐めさせられて、私にとっては部活の担任であり鬼教師であった先生に大人の男性力一杯のフルスイングのびんたを体罰として喰らった事がある。
まあ、それを誘発した女子も同じくフルスイングびんたをもらっていたが、当のリーダーはもちろん免れていた。
ある意味本当に人使いが上手いとも言えなくもない。
そういう「自分は動かず人を駒に使用する」性格は大人になってから役立つんだろうと今なら思うが、当時の私にとってはどうでもいい事だ。

他の子は痛みで泣いていたが、私はただただ心底いい気味だと思っていた。
幸か不幸か体の痛みには親の暴力で慣れていたから、そんな成人男性のフルスイングびんたなど痛くも痒くもなかった。
痛かったのは部活を一週間停止にされた事だ。
私は吹奏楽部にいたのだが、部活を停止された上、自分の担当する部員だという事で私だけ反省文を書かされた。
それが痛かった。

反省する事なんかないのになあ。

でも何とか作文用紙二枚を埋めて提出した。

リーダー率いる10人に呼び出しを食らったのはその後だ。
私は校舎の隅に呼び出され10人に囲まれ何やかんや難癖付けられて弄られていた。
でも私の頭の中は次の授業の事で頭が一杯だった。
音楽の授業、部活の担任のあの先生の授業だったから。
部活を停止され反省文をようやく書いて提出したのに、また先生に怒られるのかと思うと気が重く、10分の休み時間に呼び出されうじうじ言われていたのでさっさと終わらせてくれよと思っていた。
「嫌いだ」とか
「気に入らない」だとか
リーダーの絶対命令で他の9人から色々言われた。
そうしないと次のターゲットが自分になるかもしれないから。
私は内心そりゃ怖かったが、ただただ黙っていた。

怖い思い3 どうでもいい3 先生に怒られたくない4

こんな感じだった。
私がここでリーダーをひっぱたいたらどうなるんだろうってちらっと思った。

すると、家庭科の女性の先生がどこからか来て助けてくれた。
私は無事授業に間に合った。

その後も先生に見られない所でこっそりと虐められていた。
とうとう我慢の限界がきて担任の先生に相談して学校を休んだりした。

先生はリーダーと違う子を捕まえて、というよりリーダーが上手く弾を避けた感じだったが、駒の子二人ほど捕まえて私に謝らせ、クラス替えでバラバラにしてくれた。

けれど私はよくよく人と合わないらしい。

クラス替え後は私の親友と一緒になったのだがやっぱり女の子は群れるもので親友を取り囲んで6人くらいで群れた。
全員同じ吹奏楽部だった事が要因だ。
当然私も数に入っているのだが内心では心が引いていた。
その内私の親友がグループ内で人気者になり私は彼女と勉強で比較されグループから排除される空気が蔓延し、最終的に私はそこでも弾き出された。

何をしても私が悪いことになり私が悪くない事でも「謝った方が良いよ」とも言われた。
意味分からん。
もう面倒で親友からもそのグループからも離されたし離れた。
何もしてないのに何で私が謝らないといけないのか。
何がそんなに私を嫌う理由になるのか。
いっぱい考えたが全然分からない。

もう1人でいいや
とその時決めた。

そのあと高校に入っても最初仲良くしてくれていた子たちからも最後には弾き出されて一人になった。
家に帰れば父からの暴力が待っていたし、
元々人見知りで
そういう星のもとに生まれたんだと早くしにたくて仕方なかった。
今も同じ気持ちだ。
原因は家庭環境にある。
幼稚園に入る前、もっと言うと2歳くらいから私は幸せより不幸を経験させられてきた。
それが基盤になってしまったのだと思う。

でもそれを変えるって本当に難しい。
私はそれを糧に出来るほどやる気がない。
私の中にやる気というものが湧く事はあってもそれは本当に一瞬で消え失せてしまう。
持続する事がない。

暗い話はしたくないと思いつつ、結局こんな話を書いてしまいまいた。
自分の胸にしまってはおけず、誰かに知ってほしい気持ちが止まりません。
人にはそれぞれ人生があって、そこに至るまでたくさんの理由があります。
十人十色で決して理解できないものもある。
私の中で書かないと、誰かに読んでもらって、知ってもらわないといけないし、「そんな辛いことがあったんだね」って思ってもらいたいんだと思います。
だって、誰にも言えず、そう思ってもらえてなくて自分の存在なんて無いと思うところまで来てしまったから。

本当は両親にそういって欲しいけど、両親がそう言ってくれてる人だったらそもそもこんなところに書いてない。

自分の中で思ってます。
そんなこと書いてかまってちゃんだろって。
かまってちゃんにもなりますよ。
構ってもらえてなかったんだから。

それで仕上がったのがこのくそめんどくさいアダルトチルドレンです。

自分の中にいる子供を宥めるにはこうするしかない。
私の中にはまだ子供の自分がいて、何かを求めてます。
絶対手に入らないものだから、ムキになって求めてます。
それを大人の自分が客観視して確認する度、悲しくなります。
どうして子供の時から大人にならなきゃいけなかったんだろうって思うんです。
母を守るため、妹を守るため、自分を守るため、ここに書かれてない経験事まだまだあります。
でも、まだそれを書く勇気はありません。
いつか、本に出来たらと思ったりもします。
こんな人間でも生きてるんだよーって誰かに知ってもらいたい。
でもそうするには書けない事も隠さず書けるようになれないといけない。
書こうとすると息が出来なくなります。
動悸ととんでもない脂汗ともの凄い震えと涙が止まらなくなってしまいます。
全身が拒絶します。
命の危機を感じます。
それくらい辛い出来事。

でもいつか乗り越えて書けるようになれたら。

生きてさえいればいい。
自分の中で決めた事です。

私は決断が出来ない人間だけど、今思えば、自分なりに決断してきたのかもしれない。

「生きるために」

私の中で何かを決める条件。

あの時一人になったのだって「生きるため」
今回仕事を辞めたのだって「生きるため」

死にたい思いはいつもある。
でも、自分で決めた事だからこれだけは守りたい。

だってそれは、家族の誰かだったり愛猫だったり愛犬だったり。

いなくなってぽっかり空くあの穴は決して埋まらない。

私が死んで誰かが困る事は無いのは知ってる。
ただ自分の愛猫愛犬達の場所、死んだら同じ場所に行きたいと思うから。
自死をしたらきっと同じ場所に行けない。
一生懸命最後の最後まで生きようと必死に生きたあの子たちに顔向けできない。
私の腕で死んでいった子たちに、あの世に逝った時笑顔で会いたい。
現実的に考えて会えるかどうかは知らないし、あの世があるかどうかも知らない。
ただ体を燃やされて骨になって墓に埋められるのが現実だと思う。
それでもその事が私の中で一つの大きな支えになってるから。

取りあえず今日はここまでにします。
こんな纏まりのない駄文を読んでくださった方、ありがとうございます。
また多分書くと思います。
人生色々とは書きましたが、その中の一つの人生です。
たかが人生されど人生。
それでも人生。
唯一無二。

どの人の人生も唯一無二。

そう思いたいです。

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