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世にも奇妙な居候物語【創作大賞2024・エッセイ部門】


 ルームシェアと居候の境界線はどこにあるのだろう。

 1K 7.5畳の私の城は絢子(仮名)の家から持ち運ばれた荷物にすっかり浸食されてしまった。段ボールはざっと20箱。バッグや袋が10くらい。とにかく多い。私の物は収納されているけれど、絢子の段ボールたちは床に置くしかないから目立っているのだと思うようにしている。けれど、ひょっとしたら総量でも絢子の物の方が多いかもしれない。解体され紐で括られた自立式の物干し竿はただの鉄パイプでしかなく、工事現場みたいで痛々しい。「元彼」がクレーンゲームで取ってくれたというクジラの特大クッションが、ハウスダストアレルギーの家主(私)の鼻炎を悪化させている気がする。化粧品も衣服も本も私よりたくさん持っているようで、なんだか憎らしくなってくる。

はじまり


 ある春の土曜日、半年ぶりに絢子からLINEがきた。仕事の合間で空いていたのですぐに落ち合うことにした。駅地下の、もうすぐ閉店してしまうというカフェで会った。
 「今住んでいる家を明日いっぱいで引き払わなければならないのだけれど、引っ越し先が決まっていない」と言う。大学退学、職なし、金なし、親との関係悪しで、私を頼ることにしたらしい。

 絢子との出会いは3年ほど前。大学生だった時に、学校を問わずに参加できる学生の集まりで知り合った。
 私は友達が少ないから、友達と呼んでいたけれど、ちょっとお騒がせな人だ。2022年の年の瀬にも、家に帰れなくなった彼女に付き添ってホテルに泊まるなどしていた。「先生」から塩を買って盛り塩をしているなど、危なっかしい雰囲気がある。

 こういう子とは距離を取るという人も多いだろう。でも私は、今回も駆けつけてしまった。そして、少しの間私の家に来ることを了解してしまった。

引っ越し先は私の家

 次の日、引っ越し作業を手伝った。私は車を持っていて、彼女は持っていないから、手伝うことにしたものの、あまりに片付いていないので驚いた。洗濯機などの大きな物は既に別の人の家に預けているらしいが、それにしても全然片付いていない。いらいらしながら荷造りを手伝った。

 私の家と彼女の家は同じ市内にあるが、車で30分弱の距離がある。大量の荷物を私の小さな車に乗せ、6往復した。

 最初の夜は特別感もあり、それなりに楽しく過ごした。
 私はアイドルヲタクで、彼女は色んなアイドルグループに詳しかったから、アイドルの映像を見るなどした。普段あまり自分の好きなものを話さない私が「〇〇ちゃんのヲタクだったんだ」と告げると、本気のトーンで「ありえない」と言われた。ちくり。

生活保護を受けて、出て行ってくれ

 絢子は、私の家にいる期間について、「ほかにあてがあるから2,3日」と言ったり「1か月くらいかも」と言ったりしていた。性格の合わなさもあったのだろう、私の方が、3日目で限界を迎えてしまった。このままでは困るので、生活保護を受けてもらって、早く出て行ってもらおうと心に決める。

 次の日の朝、まず私ひとりで役所の生活保護課に行った。事情を話すと、今なら絢子は「間借り」で生活保護を申請できると教えてもらった。共同生活が長くなると、家計が一緒とみなされ、絢子だけで生活保護を受けるということができなくなってしまうと言う。本人がいないと生活保護の申請はできないため、帰って説得し、絢子を連れて再び役所に行った。

 生活保護課の職員を前に、絢子は「生活保護に頼るほどではない」と繰り返す。
 「私、夜職の面接で落とされることない顔してるから大丈夫。」「まだ頼れる知り合いもいるし」と私に言ってくる。
 その自信は何??「その知り合い、本当なの?」思わず声を荒げてしまった。

歓迎してると思われてた

 職員が席を立ち、ふたりで話し合うあことになった。
 「将来結婚するときに、生活保護の経験があったらマイナスになるかもしれないでしょ」
なぜか絢子が冷静で、目先のことしか考えられなくなっている私を諭した。説得は泣く泣く諦めた。

 「みっちゃん(私のこと・仮名)、態度が変わりすぎだよ。来て来て~って感じだったじゃん。急に出てってなんてひどいよ」
 絢子に言われ、愕然とした。
 認識が全然違う。私はウェルカムだと思ったことは一瞬もなかったのに。一貫して、環境を整えて、なるべく早く出て行ってほしいという態度でいたつもりだったのに。
 確かに「布団に入っていいよ」とは言ったけど、それは床で寝るのはかわいそうかなと思ったからだ。合鍵を作ったけど、それは、オートロックをいちいち開けるのが面倒だったからだ。

 ここで私は、数日前に絢子が最初に私に言った言葉が「みっちゃん、ルームシェアしない?」だったことを思い出した。小学生の頃、日暮れ後の学校に忍び込んで黒板に落書きをしようと誘ってきた友達のようなテンションだった。
 でも、1Kで1人暮らしをしている私の家に来ることはルームシェアではない。単なる「居候」だ。
 このあと、荷物を半分くらいに減らしてもらった。

ズレズレ発言の数々

 生活保護課申請は諦めた。帰る途中、追い打ちをかけるように言われた。
「変だよ。不安なの?いつから不安になっちゃうの?精神科に行きなよ」「みっちゃんが不安定なところがあるんだったら、私がそばにいて支えられた方が良いのかもしれない」
 私が変だったのだろうか。本当に訳が分からなくなった。精神科に行ってやろうかと思った。行かなかったけど。

 その後、いろいろありながら、居候が1週間ほど続いた。
 ある時言われた。「みっちゃんの今の推しって私でしょ?」 
 言葉は出ず、目の奥が開く。何をどうしたら、そういうことになるのだろう。その自信はどこからくるのか。私の推しを舐めないでほしい。 

ロングスリーパー

 絢子はロングスリーパーだった。
 私は、どちらかというとショートスリーパー。
 そして、仕事から、朝が早かったり、昼間に一時帰宅したりする。
 仕事に行き、帰ってきてもまだ同じように寝ている。いらない物を捨てるとかしてほしいけれど、進めてくれない。計算が間違っていなければ、6時間寝る人が6日でできることが、10時間寝る人だと7日かかる。
 それに、居候とはいえ寝てる人がいると、気を遣う。電気を付けないようにとか、静かにとか。
 嫌になってきた。共倒れになる未来がみえる。

東京へ逃げた日

 絢子が居候してきて2週間弱が経った日、私は「今日は帰らないから」とだけ伝えて一時的に東京に逃げた。
 楽しみにしていたライブがあったのだ。もう四月だというのに寒い日だった。私の住む街は、政令指定都市で栄えてはいるものの、東京には到底及ばない。ライブの熱狂から覚めたくない、東京の喧騒に紛れてしまいたい。
 部屋のカレンダーに隠すことなくライブ名が書いてあるのだから、ちょっと気にかけて、調べれば分かることだ。興味がないのか、試しているのか、きっと家という機能のことしか気にしていないのかなと思う。
 帰ると、どこに行っていたのか問い詰められた。
 「ホストにはまってる?瞑想?」彼女らしい。あえて明かさなかった。

キャバ嬢エピソード

 「夜職だから家が借りられない」というのが絢子の主張だった。
事実ではあると思うが、何とか探せよと思う。

 私が、仕事で政治的な話を好む人とうまく話せないという話を絢子にした時、絢子は「「すご~い!私分からない~」って可愛くやり過ごせばいいんだよ」と言った。その所作は慣れていて、洗練され見事だった。キャバ嬢の絢子をいまいち想像できていなかったけれど、ああこの子はプロなんだなと納得させられた。

 ある日私のショッピングバックに勝手に何か入れられていた。持ち上げるとズシリと重く、ひっくり返すとゴム製の半透明の物体が出てきた。おっぱいだ、と悟る。胸を盛るやつ。これをドレスの中に潜ませることで、絢子は夜の蝶に変身していたのだろう。妙になまめかしく脳裏に焼き付いた。何個もある理由は分からないけれど、そのまま、袋は諦めた。
 

本当に限界を迎えた日 

 居候2週間が経過。
 前の週に「今友達が居候してるんですよ」と話をしてあった職場の先輩が、「その後どうなったの?」と気にしてくれた。「まだいますよ」と言ったら、「そうだよね、1週間じゃ変わらないよね」と。どしんとくる言葉だった。
 変わらない。確かに。もう3回目の月曜日だけど、変わってない。変わらない1週間を積み重ねるしかないのか。
 21時ごろ帰宅し、不機嫌なまま会話もせずにやることをやって22時過ぎに布団に入ったら、「早くない?」と、絢子の声が落ちてきた。私の中で何かが崩れた。
 別にいいじゃないか。なんでそんなことを言われなきゃいけないんだ。一人だったら何も言われないのに。私の家なのに。しかも朝から働いて、疲れていた。馬鹿らしくて、先行きが不安で、布団を被って泣いた。
 「泣いてるの? 仕事で何かあった??」追い打ちをかけてきた。

 お前のせいだよ。と思うけど言えなくて、パニックになった。人の気配すべてに過敏になり、声も足音も服が擦れる音すら稲妻が落ちるように私を刺激した。怖くなって、がたがた震え、耳を塞いで、変なにおいがするような気もして、たぶん叫んだりもした。自分をコントロールすることができなかった。
 地球温暖化が進み、後戻りできなくなる臨界点のことをティッピングポイントと言うらしい。二酸化炭素の貯蔵庫とも呼ばれているアマゾンの森林が、逆に二酸化炭素を排出するフェーズに入ってとめどなく温暖化が進んでしまうような点。人間関係も同じだ。関係性が冷え切って、後戻りできなくなるポイントがある。人間も同じ。どこかでぶっ壊れる。

 「みっちゃんはひとりが好きなんだね」
さすがにヤバいと思ったのだろうか。絢子は荷物は残したまま、出て行った。

終末

ここから、荷物を持ち出してもらうまでも長かった。 
 「こちら、進展いかがでしょうか?」
 「必ず4月中に運び出すので安心してください。」
返信が遅い。忙しくても優先すべきやりとりなのではないかと思う。他人行儀で事務的になってしまった冷ややかなトーク画面。LINEの名前が絵文字や平仮名1つなの、夜職あるある。

 ギリ4月中の、約束した日、16時頃に荷物を取りに行くと言われていたので16時に外で待っていたが、しばらく来なかった。来ないのかな、と頭をよぎったが、知り合いだというほのぼのしたおじさんと一緒に来た。すべての荷物を持って行ってもらって、1か月の居候騒動が幕を閉じた。

振り返って思うこと

 あまり良い終わり方ではなかった。縁を切ったようなものだから。
 私のことをよく知っていて、絢子のことも多少知っている友達が、腑に落ちる整理をしてくれた。私は「支援する/されるの関係」だ捉えていたが、絢子は「人格的なつながり(好き、友達、推し、みたいな)」だと思っていたんじゃないかと。

 絢子は私のことを「大学出て定職に就いてるんだからお金あるでしょ」と見ていたように思う。確かに私は大学に入ることができて、卒業することもできて、就職できて、親が保証人になってくれた家で暮らすことができている。これらのことが当たり前ではないことは理解している。自分の努力だけで成り立っているわけではないと分かっているし、できなかった人を責めようとか、できなかったらダメだとかは思わない。困っている人がいたら、自分にできることをしたいと思うタチだ。 
 彼女の家庭の事情などもある程度教えてもらっていて、困難な状況を生きてきたことを知っていた。だから、嫌だな・ずれてるなと思う接し方をされても、「そうなることもあるよね」くらいに思っていたし、優しく対応していた部分もあった。
 
 私の問題点もある。計画性も判断力もないこと、人を見抜けないことは自覚している。断るのが苦手で、断ることに向き合うのをサボって受け入れて、結局全部嫌になってしまい爆発してしまう。過去にも経験がある。

 きっと彼女は、弱そうに見えてしたたかで、孤独に見えて知り合いも多い。実家だって頼れるのかもしれないし、生活保護課で銀行口座の残高を確認されていたが、意外とあるのかもしれない。もう知らない。
 できることはやった、仕方がなかったと自分に言い聞かせた。

エピローグ

 広くなったわけではなくて元に戻った家のサイズ感にも慣れ、また一人暮らしを堪能している。

 さらに数日後、インターホンが鳴った。身に覚えのない荷物だ。
"心美の塩(大×4個)"
 スピリチュアルな怖さだけが残った。

(この後のことは想像にお任せします。
名前は変えています。エッセイ部門ですが、話半分に読んでいただけたら嬉しいです)