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6月17日「夜を数え続けて2023」におけるhPa(ヘクトパスカル)の話

さて、6月17日に戸塚ロポさんにて「夜を数え続けて2023」というイベントを責任編集いたしましたが、その時出演した自分のユニット「hPa」の話を書きます。

と、その前に、年に一度しかライブをしないユニットのことなどみんな知らないと思うので、ヘクトパスカルというものについて軽く触れておきます。

hPaというユニットは、ギターボーカルなどをやる私(クツシタ・サン)と、ベースとコーラスをやるチカ=チャン という2人組の女性ユニットです。
この2人で活動するぞ!ユニット結成するぞ!という強い意志があって結成に至ったわけではなく
それはそれは昔の2016年の始めの頃、わたしが自分のライブをチカチャンに見にきて欲しかったのだが
ライブ見にきてよ、と、誘うのが恥ずかしすぎて
ストレートに誘えず(当時、チカちゃんのことが好きすぎて、素直になれなかったのである)

「弾き語りライブをするからサポートでベース弾いてくれない?」という

かなり難易度を上げた誘い方をしてライブに連れてきてしまった、というのが発端です。
当時の私はチカちゃんはベース上手いし美人で華がある方だ、というのは分かってましたが
ベースアレンジを任せたらどれくらいのものか、というのはまったく知らなかったです。
で、そのライブでやる曲の音源を適当にチカちゃんに投げて、まあスタジオで練習してみたのですが
度肝を抜かれてしまいました。


えっ、この人が作ってくるベースライン、なんか、おかしいぞ、、、、、、、

アレンジの方向性が今まで知ってる「ベース」という楽器の役割のそれと全然違うことをやっていたのです。何、何この子、恐ろしい子!
弾き語りの人にベース乗っけるって、まあ、コードを合わせて、それっぽいフレーズを作って、各所タイミングを外さない、というのがセオリーみたいなものですが
いきなりオンコードみたいの弾いて新しいコード感を作ったり、ベースなのにコード弾き始めたり、シンセでループさせてたフレーズのほうを弾き始めてしまったり、音4つのところに5つ詰め込んできたり、もともと取ってるリズムの裏とか先とか食ってきてわけわからん自由なこと始めたりとか
コーラスやりながら別のボーカルラインをベースでぴろぴろ弾いたりとか

とにかく意味がわからなかったのです、いや、私も高校時代から延々とバンドをやっているキャリアの最初の10年くらいは本業ベーシストだったので、固定観念がありすぎたんでしょうか。
バンドアレンジになってる音源を渡して曲覚えてきてね、と言ったら、本来のベース無視してシンセパートとギターソロのパートをベースで完コピしてくる、とか、簡単にいうとそれくらいおかしい、でも、すごい。

とにもかくにも、わけのわからんことをやるベーシストを発掘してしまい、ライブに至るのです。
これがその時の写真です

色々ツッコミ所がありすぎる見た目ですが、そんな感じで、サポートでやってもらったライブは無事終了し、ありえないくらい好評で、いや、なにより私が「ヤバい人材を発掘してしまった!」となりまして
そのごポツリポツリとサポート入ってもらい、もう麻薬のようにそれは効いてきて、一緒にやっていきたいからユニットにしてしまおうと、半年後に「hPa」を結成するに至りました。
なぜ名前がヘクトパスカルなのかというと、私が「くつした」という名前を名乗る時に最後に残った候補の残りの2つのうちのひとつだったから、です。ちなみに更にもう一つの残りは「輪ゴム」です。
くつした 輪ゴム ヘクトパスカル
その時選んだのが「くつした」だから、今の自分はもう誰がなんと言おうと「クツシタサン」なわけですが、その時残りのどちらかを選んでいたら、どうなっていたことか。
それでも温めていた「ヘクトパスカル」という名前を
このユニットで名乗れてよかったのでした。

さて、2人でやるようになって、チカちゃんのベースも更に洗練されていき、小出しに活動していきながら現在に至るのですが
このユニットで実現できたことで1番嬉しいことは、Eelsみたいなバンドの質感をライブで魅せることができるようになった、ということです。
Eelsってバンド、は、ここを読んでる人に知られていないかもしれませんが
私はすごく若い頃からEelsが好きで、音楽を作り演奏していくという立場を選んだ時に、いつかこういう事がやれたらな、と、心の中で目標にしていた部分はあったのですが
ソロでやっている「くつした」さんは、特性がそっち方面にまったくなく
圧倒的なステージパフォーマンスと、面白さでそれなりの立ち位置を得てきました。

おそらく「くつした」のライブなり何なりを知ってる人が思い浮かべるのは、この写真のような人だと思います。

あ、これライブ写真じゃなかった

これこれ、こんな感じ

歌って踊って客席を駆け回って、数々の奇行とアイデアで会場をひとつにする。
くつしたさんってそういう人でしょう。
これはこれで凄いパフォーマーですし、それがあったからこそ、数多いるアマチュアミュージシャンの殆どが経験できていないようなビッグなことも経験させてもらえていたわけです。
誇れます。めちゃくちゃ誇ってます。
(なので、ひとつ前にも書いたように、こっちのくつしたさんを知らずにhPaのくつしたさんを先に経験したのに、その後も関係が続いている黒木ちひろちゃんというのはかなりレアなパターンですよ)

ただ、Eelsからは確実に遠のいておりますね。

Eelsは独特な曇りの日のような空気感を纏ったパワーポップバンドです。
知らない人はちょっとでも聴いてほしい、とても美しい音楽。

※この曲は中村一義の「ジュビリー」の元ネタになってます。

そういうものを作りたかったので、当初は宅録にこだわっておりましたが
ライブをしてみたら「マグロを抱えて踊る人」の方面の成功度合いが凄すぎてしまい、もう、そっちに全振りするしかなかったんです。
悲しきピエロ「くつした」の誕生です。
いや、ちがう、だれも悲しくないし自分はもうこっちで生きていくんだなとすぐ受け入れていました。
なによりも人を笑わせて巻き込むのはとても楽しい。

弾き語りもドラムも他の楽器もアレンジも宅録(DTMな)も、そこそこできてしまうのが若い頃の自分の中で少し「Eelsになれないのかー」という落ち込みには繋がってました。
おそらくどんなジャンルの曲でも作れるし、こなせるのではあるし、いいアレンジも組めます。
しかし、私は、音楽についてのアウトプットの幅がなくゼロかイチの人間で、ひたすら面白くて明るさしかない曲と、ただひたすらに救いがない暗い曲しか作れません。極寒か灼熱か、光か暗闇か。
雨の日の音楽と晴れの日の音楽を作れるのですが、Eelsのような「曇りの日の音楽」は1人では作れないのです。

なのですが、ヘクトパスカルにおけるチカちゃんのベースアレンジ、というのは、強烈なタイミングで私の作った曲を「曇りの日の音楽」へ昇華させるアレンジを入れてくれる。
これは間違いない事実でして、ライブの瞬間瞬間がいつも愛おしい時間になりました。
私はヘクトパスカルでEelsに近づけたのです。

それで、我々は、誰が聞いてなくても自分たちが演奏していてとにかく楽しい。

全然人気も出ないし需要も殆どない、更に本人たちも滅多にライブしない「hPa」は
自分たちが自分たちを好きでいるので
今の今まで長続きしているのです。

さて、6月17日、前回のブログ記事にも書いたように、hPaのライブを引っ張っていかなければいけない私は、そんなことできるかよという状況におりました。
今でもあの日ライブをやり遂げたことが信じられないくらいです。

実はこの日のヘクトパスカルは明らかな異変があったこと、ステージ写真見ればわかります。

2人の距離が圧倒的に近い。

普段はこのくらい離れてます。

横を向いてライブするのもいつからか当たり前になりましたが、それでもチカちゃんは斜めくらいの向きのことが多かったわけですが
この日は完全に2人とも横向きでした。

横向きの理由、というのは、私が気分で曲の展開とかその場で変えたりしてしまうのを、アイコンタクトで全部合図しているからなのですが
だからといってお客さんのこともちゃんと見ています。

見てないようで見ながら、つまり客席の反応も気にしながら、曲のテンポや強弱を目と表情で相方に伝えつつライブをする、そんな感じです。

ただ、6月17日の私はこうでした。

演奏中、チカちゃんの顔だけを見て、どこにも気を配らず
泣き出している心を押さえながら「ライブ」というミッションを敢行したのです。

自分がどうだったか、とか、もう、全然覚えていられないくらい
その場にいることが精一杯だったんだけれども
写真をよく見ると2人で笑っているので

いつもみたいに、笑える瞬間がたくさんそこにはあったんだと思います。

もう、かなり前のことですが、この時以上に精神的に死を迎えていた時に、ヘクトパスカルのライブがあって
正直キャンセルしようとしていたくらい
私がどうしようもない状況で
「人に向けて歌を歌うことができない」
と、いうようなことを、はっきりチカちゃんに言ったら
「じゃあ私に向けて歌ってください、お客さん見ないでいいです」
と言ってくれて、泣きながらチカちゃんのほうをずっと見てライブをやり遂げたことがあって
その頃の自分は生きている時間の全てを「どうやって死のうか」と考えることに費やしていたくらい
生きることをやめようとしていたのですが
とある駅の路上で「次の電車来たら飛び込む」と酔い潰れて泣いている私に
「くつしたさん、残念ですが終電いっちゃいました」と、何度も何度も止めてくれたチカちゃん。

その日を乗り越えてライブをやったことで、あの日の私は救われたのです。

その時以来、くらい、必死にもがいていたんだと思います。
それで、私がよろしくない状態なのを何も言わずとも知っていてくれて
いつもより近く、そして、ずっと顔が見えるように完全なる横向きポジションになってくれた、チカちゃん、すばらしい相方です。

このライブが、どうだったか、客席からどう見えていたのか、初めて見た人はどう思ったのか
どういうふうに聞こえていたのか。
もう本人がすっかり忘れてしまったので今さらそれを気にすることはありません。

ただ、きむらが、きむらゆかちゃんが、帰り際に「ヘクトパスカル、めっちゃ好きです、ほんとに、大好きです、ヘクトパスカル、好きです好きです」と
きむらの笑顔で言ってくれて

多分きむらは喜んでくれたんだな
じゃあ、それで、いいや。

今日、いま、ここでこれを書いている私が
家の目の前の線路に飛び込まないでいられているのも
あの日のチカちゃんが私の中で「くつしたさん、残念なお知らせです、終電いってしまいました、もう朝まで電車きません、くつしたさん」と
引き止めていてくれるから、かもしれないです。

命の恩人とユニットを組んでいる気分はどう?

最高なんだよ!


一旦ここまで!

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