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12月にまたぐ台風と駒込で黒木ちひろさんのライブを見た話と残念なお知らせ

11月30日に台風がきたことがあって、それは中3の時だった、なぜしつこく覚えているのかというと、塾の先生が「あと1日台風が遅ければ、12月に台風がきたことあるんだよって、将来自慢できたのにねぇ」
と、言っていたからである。
って、11月最終日になると、どこかのSNSに毎年このエピソードを書いている気がするので
なんとなく大人になるまで引き連れていけた思い出なんだろうなと思う。

人の言葉やエピソードは、ずっとずっと残り続けたりする、この台風の話にしても、学習塾の先生がポロッと言った一言で、言った先生は忘れているだろう。
その場にいた同級生も忘れているだろう。
でも私は30年くらい経った今も覚えている。それで、その、台風が来て去っていった11月30日が、蒸し暑かったことも。

台風21号が近づいているらしい。
もし上陸したら、12月に台風がきたって、今を生きている人たちは、30年後、誰かに話しているのだろうか。
おそらくもう自分はこの世にいないだろう。30年後。
2051年だ。

この間「ほぼ皆既月食」があった。
月の写真はライフワークなので撮影した。

89年ぶり、次は2086年なのだそうだ。

途方もなく先の話だが、今回の月食を2086年に覚えている人はいるのだろうか。

人間の記憶は、あてになるようであてにならないもので、大事なことは忘れるし、大事でないことも忘れるし、どんな記憶も塗り替えられてしまうので、それが本当だったのか、これだけ生きてしまうと疑わしくなってくる。
冒頭に書いた台風の話も、実は捏造された記憶なのかもしれない。
でも写真や音声や動画は、記録として残り続ける。
できるだけ、写真に残せる日々は残しておいたほうがいいのかなと最近は思う。

11月18日、駒込に、黒木ちひろさんのライブを見に行った。

ボジョレー解禁日である。

11月18日は友人の命日である。
翌日訃報が来たのだが、その翌日の訃報を知ったタイミングもいうのが日付が変わって10分後くらいの話で
私は日付が変わってすぐコンビニに行って戻ってきて、メールチェックしたらその知らせを知ったのだった。
なぜ日付変わってすぐコンビニに行ったのというかというと、その日がボジョレー解禁日だったからである。
ワイン買って帰ってきたら、訃報。

この時のことは今でも夢でうなされるような衝撃で、もちろん覚えている。
その年のボジョレー解禁日は11月19日。
その前日が、命日。
彼女は11月18日にこの世を去ったのだ。

会場の、こまごめわいわいホールという店は、以前秋葉原にあった店のスタッフさんがやっている。

その秋葉原では、私は、よくイベントライブに出演していた。
通称「珍味ライブ」というイベントで、主催は友人のほそいあやさんである。ほそいさんセレクトのオリジナル珍味を振る舞うというのが特長のイベント。
ほそいさんの真骨頂の昆虫食やマイナーなおつまみなど、いろいろ食べて大量の酒を飲んで、個性が強くてかっこいいライブをたくさん観れる、そんな強烈なことを何度もやった。

で、ライブ見に行くっていったら、ほそいさんもついてきた。

黒木さんのライブ、とても良かった、対バンのリナンさんもすごくよくて
それで、ほそいさんもよかったって言ってて、なんかこう、すごくよかった。

ところで、黒木ちひろさんのオリジナル曲で「STARLIKE」という曲があって、なぜか私は聞くたびに、この世を去った大事な人を思い出してしまう。
特段そういう歌詞でもないのだが、、

なんだろうか、普通の人よりは喪失が多い人生だったように思う。
死んだ人は星になる、などといったフィクションは信じていないし、おそらく魂も霊もいないのだと理屈で理解している。
でも、なんだか、見てくれていてほしいし、歌声は届いていてほしい。
と、いう、普段ぼんやりと思っていることを、この曲を聴くとなぜか思い出して、泣いてしまうのだ。
きっといない。でも、いる。

11月18日に亡くなった友人については、いわゆるライター業をやっていた人だったこともあり、追悼の書籍が出版され、私の書いた文章も掲載されている。
それで、その出版記念に関係者が集まった時、弾き語りをしたのだが
聾唖の方が、聴こえてないはずなのに、すごくよかったと言ってくれて
あの時は上手く歌えた気がしてて、本人にも届いていたらいいなと思う。
私の音楽を過大評価してくれている友人だったのだ。
どうしても自分にとって音楽は片手間の道楽でありつつも、その友人や、テレビの人とかの世間のなにかに評価されているわけで
なんとなくでも続けているのは、そういった過去があるからなのかもしれない。

それで、命日なので、そんなことを色々悶々と考えながら駒込に向かっていたのだが、黒木さんが今日STARLIKE歌ったら、わたし泣いちゃうんだろなーと思った。

黒木さんはその曲は歌いませんでした。うける。

黒木さんは不安定なようで安定していて、脆さと強さが共存しているような、そしてそれを美しく音楽としてアウトプットできていて、なんだかそこがとても魅力的なライブをする。
圧倒的にすごかったなっていう感じではなく、ジリジリと心の周りを炙られて、その炎はライブを見た後何日も消えない。次の日も次の日も、じりじりしている。

その場で人を刺すパンチラインをちぎっては投げちぎっては投げしている自分とはまったく違う方向性の音楽だ。

ないものを持っている人には惹かれてしまうが、黒木さんは、なんかこう、すごい美人だし、ふつうにいちファンです。みんなも聴こう。

こまごめわいわいホール、ほそいさんははじめて来たそうで
かつての秋葉原のスタッフさんとは、めっちゃ久しぶりの再会だった。
私は過去にも黒木さんのライブを見に行ったので、スタッフさんに再会している、私は、その、珍味ライブでよくライブ中にご飯を炊いていたのだが
ライブしながらご飯を炊く、という、のは
いつだか黒木さんに言ったら頭上に?が浮かんでみえるくらい、びっくりしていて
想像つかないから知らない人には半ば冗談で受け取られることも多く
多分黒木さんは冗談だと思ってたかもしれないが
その、再会した時に、スタッフさんが黒木さんに、「くつしたさんは炊飯器を抱えてライブしていた」と真剣に言ってくれたので
多分黒木さんは信じてくれたと思う。

お店のスタッフさんと、ほそいさんと、黒木さんと、あとリナンさんとも
ライブ終わっていろいろ話をした。
(リナンさん以前も話したのだが、私のこと覚えててくれて感動してしまった)
我々がその秋葉原の店で、珍味ライブをやって、みんなで虫とか食べていた、まさにその時期に
黒木ちひろさんは同じ店で初のワンマンライブをやっていたのだそうだ。
あの場所で、同じ時期に。
ヒューマン。

ほそいさんは、けっこうな長い友人なのだが、人としてもミュージシャンとしても尊敬してて
一緒に懐かしい人と再会したり、黒木さんリナンさんのライブで感動したり、酒を飲んだり、いい思い出が作れた。
ほそいさん、割と結構な確率で、おつまみを持ち歩いていて、この日も鳥の炭火焼きを持っていた。ウケる。

来年もこの場所でボジョレーヌーボー飲みながら黒木さんのライブを観れるのだろうか。
いろいろなことがままならなかったこの2年を経て、今までの当たり前は当たり前じゃなくなってしまった。

月の写真を撮り続けていて、皆既月食などのイベントじゃないときの月は
ずっと同じなので、なんでずっと同じものを撮っているのかなと、時々思ってたのだが
変わらないってことはすごいことなんだと思う。

さて、最近、姿を潜めていた鬱が再発してしまいました。
残念なお知らせ。

考えられるきっかけはいくらでもあって、なんだろうな、会社員にもなれて、一年続いて
せっかく薬とも通院ともさよならできて、精神を病む前の自分に戻れたはずなのに
また、やり直しである。
いろんな人に迷惑をかけてしまう。

予兆がなにもなかったわけではなくて、時折記憶が飛んだり、吃音のような症状が出てしまいスムーズに話ができなくなったり、前述の黒木さんのライブの日も言葉がスムーズに出なくて結構たいへんで、そういうときに
病院行くなりなんなりすればよかったのかな、一気に危険水域に来た感じだけど、そうでもないのかな。

とはいえ、こういうのは、なんども経験して
戻り方もやり過ごし方も、それなりに知っていると思うので

また戻ってこれたらいいなと思う。
生還できるといいな。


さよなら2021年11月。

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