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黒木ちひろさん++と3人でツーマンライブをやった20周年記念の話(その1)

さて、11月11日は、蓮沼space KABAさんで「衝撃のツーマンライブ2 黒木ちひろ×クツシタサン」でした。
無事終了いたしました。

無事終了したのに、終了直後に毎度のように長文でブログで思いの丈を綴る、みたいなことをせずに2週間放置してしまっていたのですけれど、理由がありまして、それは当日の記憶がけっこう抜け落ちていたからです。
そして、記憶が抜けていることに気づいたのすらしばらく経った時期で、色々探ってみると共演の黒木ちひろさんもスペシャルゲストのチカチャンも当日の記憶が結構曖昧になっている、という事実が発覚してしまいまして
これはどう記録したほうがよいものか、闇に葬るべきなのか、ちょっと悩んでしまったからです。
因みに私の記憶が飛んでいる理由は、イベント開催自体を
当日の午前3時くらいまで「やっぱやめようかなぁ、、、、」「延期かなぁ」「無理では、、、?」と、やるかどうか迷ってしまったほど個人的に色々シンドイ状況下にあったからです。
でも、自分のシンドイ個人的事情で愛する黒木さんとチカチャンを振り回すのも違うよな、と、なんとか開催決断に至ったのです。

ちなみに黒木さんも記憶が曖昧になるほど、当日かなりシンドイ状況にいたそうで(これは書くかどうか迷ったけどご本人が発言してたのでまあ書いておきます)
あの日の黒木さんったら、もう、会った瞬間「うわ、黒木さんなんかシンドイ感じダゾ」と気づいてしまいまして、それで何かこう黒木さんとお互い何かシンドイ悩みの話もしたと思うんですが、えーと、多分私の性格的に黒木さんから話を少しは聞こうとしてたと思うんですが、いや、なんか多分話したんですが、怖いことにその内容も記憶から飛んでます。

でもでも、そんなシンドイ状況で県境を超えて蒲田まで来てくれた黒木さんと、そんなシンドイ状況で一応イベントを回したクツシタサン、その2人を絶妙なポジションで彩りしてくれたチカチャン、そんな3人はみな、とても、素晴らしい〜♪

※この写真、黒木さん細ッ!と、びっくりしたので体重かけてるようでるかけてません。

とりあえず、このイベントは何であるかという話を書いておきますね。

このイベントは7月くらいに決まったのですけど、開催に至った理由は「蒲田で黒木さんにライブをやってほしい!」というものです。
ということで黒木さんのスケジュールと店を押さえました。黒木さんには直接会った時にお願いしました。
私は何度かイベントに黒木さんお呼びしてますが、なるべく直接会った時に話すようにしています。そのほうが誠実な気がするので、、、、誠実、、、はて、誠実とは何であろうか?

私の指は検索エンジンへと伸びていったのであった。

どうしよう、まったく誠実な人柄じゃない!
下心だけでしか生きていない人間性の浅さが露呈されてしまいました、まさか。

もう恐らく、私が滅茶苦茶な人間であることには黒木さんのみならず誰しも気づいているので、今更誠実さをアピールしてどうなるんだという話ではありますが、多大な使い道のあるリソースを使ってイベントに出演して頂くという場では、どうにかして人としてバランスを取っていたいものでして。
誠実じゃないとしても「こういった意図があって出演してほしい」ということは自分の口から本人に言うべきではなかろうかと。

※皆様におかれましては、クツシタサンというのは、かなり滅茶苦茶な人間性の持ち主であるがゆえ近年社会のど底辺にまで突き落とされて、それでもなお、まだ泥だらけで生きている、クズとかゴミとかいうにはクズに申し訳ないほどの存在であることは、既にお気づきだとは思いますが、本当にそういう、汚泥のような物体であることをまず念頭において、このブログを読んでいただけていれば幸いです。

それで、えーと、なんの話だ
7月の話だ。7月にめでたく黒木さんのスケジュールとお店を確保いたしまして、黒木さんに蒲田でライブをやっていただける!ことをまず決定しました。
形態がツーマンになったとか、そこにチカチャン混ぜるとか、20周年を冠するのか、そういうのは全部後付けで組んでいった順番となります。

そうやって色々と肉付けしていったイベントのイベント名が「衝撃のツーマンライブ2」という、壮絶なダサいものになってしまったことはだいぶ後悔しているのですが
ちょうど一年前に同じ場所で「衝撃のツーマンライブ」をやっているのです、わたしは。

これですこれ、きむらゆかちゃん()とのツーマン、良い日でした。

このツーマンの物語の延長線にあると考えたらしく「衝撃のツーマンライブ2」なのです。

安易〜〜〜♪

こうしてしまったからには、2の次は3、4、と、年に一度、続けていったら面白いかもしれませんね。「衝撃のツーマンライブ100」くらいで、また黒木さんお呼びしてみよう、約100年後だが。

ついでに20周年についてサラッと触れておきますと、「くつした」と初めて名乗ったのは2002年なので実際は21周年になるんですね、私はそれこそ90年代からネット上で自分の曲を聴いてもらうということをやってまして、それは自分のバンドの音源だったり、個人的な録音したものだったりしたわけですが、何曲か集めてCDに焼くときに名前が必要か、となって「くつした」と適当につけました。
その時はほんとにネットと音源だけでちまちまやっていて、その先もやっていくつもりで、全パート自分で演奏してみたり、変なテクノを作ってみたり、自由にやりたいことをやっておりました。
まだDTMではなく宅録の時代ですね。
クリエイター志向の香りがぷんぷんいたします。
しかし、色々あって2003年にライブに出ることになりました。バンド経験がそれなりにあるので今更ライブをすることに緊張感もクソもない状態でしたが、ちゃんとしたハコで「ひとりでライブする」のは多分初めてだったのかなと。
試しにやってみたところ、自分に「ひとりでライブする」演者としての適性がありまくることが判明してしまい、クリエイター志向の「くつした」は消滅し、ミュージシャンですらないパフォーマー、いや、「エンターテイナーのくつした」が走り始めたのです。

とはいえライブの頻度はさほど高くないまま(諸事情でライブが多かった時期もありますが、この20年間のうちの大半はくつしたの活動と別にバンドを色々やってたりもしたので、掛け持ちだと頻度増やせないわけですよね)気づいたら20年経っていた、という感じです。
いち社会人が「エンターテイナーくつした」を趣味でやっていて、時折週末にあちこちで人を笑わせていたら、まあ20年が過ぎてしまっていたと。
趣味でやっていた割には、ほかのアマチュアの人が経験してないような貴重な経験を多く踏ませてもらっていた感はあるし、ひょっとしたら凄いことになるかもしれないことも何度かあったし、なんやかんや嬉しいことの方が多かったです。
やりたい事と自分の適性をうまいこと一致させて尖らせて、熱を込めて演じ切れば、それ相応の評価を得られるという事がわかっただけでも、生きていくうえでかなり価値のある学びですよ、ほんとに。

これを読んでいる人で、何かになろうとしている道の途中の人、例えばメジャー目指して音楽やってるけど目が出ないとか、仕事頑張ってるけど成功しないとかそういう状態の人は、一度自分の適性と「なりたいもの」とのバランスを冷静に考えてみて、どこか一点でも突き抜けられそうな穴をみつけて、自分を尖らせて(適性を伸ばす努力をするとか、いくつかあるなら取捨選択してみるとか、どうしても超えられない壁を根性で登りきるとか、コツコツ壁を削り取るとか、まあ、何かしら尖らせるアプローチの方法はあるでしょう)ぶち抜いていきましょう。

まあ、何が言いたいかというと「くつした→クツシタサン」というエンターテイメント、こんなの苦しい思いをしてまでやるもんじゃないです。苦しいのは平日の社会の軋轢だけでよいです。

と、いう軽いスタンスで常にいたので、20年とか長くやってきたことが何か凄いかというとそうではないと。

ぜんぜんライブの話に進まないので、いったんここまで。

続きはまた!

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