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うつ病日記【仕事ができなくなって1年】いま20代30代の大事な友達、そして全ての皆さんへ。優しさを知ることが生きることだと思う。

仕事もできず
外出もままならず
ただ、横になっているだけの毎日、12ヶ月目に突入。

10月の初旬に、わりと鬱が抜けてきて、そろそろ会社復帰もできるのかな、という前向きな見通しが立ってきたのですが
大ダメージを受ける事件が起きてしまい、ショックで記憶が飛ぶ日々。
また、天井を見つめる日々がやってきた。

もうその「事件」について書いてもいいかなと思う。
我がアパートの前には線路がある。斜め前にはふみきりがある。
どれくらい線路が近いかというと、玄関をあけると走っている電車の乗客と目が合うくらい近い。

ほんとうに近い。

その、うちの玄関を開けたすぐ目の前で、人身事故が発生した。
玄関を開けて確かめずともわかる。
電車が急停止、あの音、一瞬揺れたアパート。
集まってくる緊急車両、止まったままの電車。
救助の音、どうやら、、という会話、警察の方々。

こんな出来事が突然起こったら、絶対に自分がもたないことが瞬時に分かったので
私は元同居人に電話をしました。
元同居人、この家で1年間ルームシェアして、今は大自然に囲まれた山奥で結婚生活を送る、ギャルです。
ギャル、と、簡単に書いてますが干支が一周するくらい年下の女子でして
しかし一年の同居生活はめっちゃ楽しかったし、なんのストレスもなかったし、なんだろうか離婚して心身傷ついて東京になんとか出てきたという最初の一年は、あの同居人のおかげで良いスタートが切れました。
もちろんうつ病は寛解することもないし、なかなか定職にもつけず、フリーランスな一年をやって、スロースタートして、じわじわと社会復帰をするプロセスは、容易ではなかったんだけれど。

この状況のとき、他の友人や自分の家族、元彼氏?とか、なんかそういう人ではなく迷わず元同居人に電話したのは
とにかく我が家の構造でそういうことが起きたらどれだけ人は動揺するかということを説明せずともわかってくれるからです。
それで、一年一緒に暮らしたから、めっちゃ仲良しなのは今もずっと。

とにかく目の前で起きている出来事から逃避はできないけれども、終電が過ぎてからの警察の何かの作業?が終了するまで、えっとたぶん5時間超、ずっと話してました。
話し出すと途切れなく延々と話せるという関係を持てる相手が、40代後半の今でもいるんだ、そしてそれが一回り若い元同居人、って、ちょっと、いや
すごくありがたい。
お互いエンジニア出身なので結構いろんな話ができる、尽きない、それで最終的に「人間が意識と意志を獲得したのは進化のどのタイミングなのだろう」という議論までしてしまいました。

会話の端端で言われるのは「くつしたさんほんまに優しいけん」という言葉。
2人で一年暮らしたんだけど、たしかに怒ったこととかイライラしたこととか、そういえば一度もなかったし、起きれないとかいう日は起こしてあげてたし、休みの日の昼飲みして早寝とか、よかった思い出しかない。
特に意識して優しくしていないのだが、くつしたさんは優しすぎるで、と言われてしまったほど。

そんなつもりはないのだが。
性格が良いとは思ってなくて、性格が悪いからバンドを首になったことすらある。
私が、優しいって、ほんとなのか。

ちょっと、今、気軽に連絡を取ったり会ったり飲みに行ったりできる交友関係の人を思い返しているのだけれど
元同居人含め圧倒的に若い友達が結構いる。
30代が多いかもしれない。
30代はたのしい、だけど、難しい。

20代は勢いと情熱で乗り切れるかもしれない。
30代、私は勢いと情熱と何かを振り回していたら壊れてしまった。
20代、30代の頃の自分に
圧倒的に年上の、たとえば46歳の現在の私のような友人はいただろうか、いたんだと思う。
出会いはとにかくたくさんあった。年上とバンドを組むことも多く、いろいろと辛かった。
優しい人もいたのだと思う。
ただ、傷つくことのほうが多かった気がする。
本当は人に恵まれていたのだと思う。
でも、心はバラバラに壊れてしまった。
完全に壊れて40代になり、仕事ができなくなり、離婚して、社会復帰、そんな今。

どうして30代の頃、周囲の人たちの優しさに気づけなかったんだろうかと後悔したのだ。

30代の友人たち、くつしたさんは優しいって思うかもしれない。
それは、自分が気づけなかった優しさを、与えてもらっていた優しさを、二度と会えなくなってしまった大きな喪失を何度か乗り越えて
倒れて起き上がって、そんなことを繰り返していたら
ようやく自分のものになって、優しい人になれた、のかもしれないです。

過ぎてしまったことはしょうがない、優しさに気づけなかった私の30代。
その分、友達みんなには幸せになってほしくて、その思いが強くて。

でもほんとに私の友達はみんな
優しいです。感謝と尊敬。
こんな闘病生活が一年に及んでも、だれかのちょっとした連絡やお誘いや、そういうのが嬉しくて
だから生きていくことを、決めたのでした。

冒頭に書いた、事件いや事故の影響で
鬱はぶり返し、外に出れない日もありますが
また時間をかけて立ち上がっていきたいし、そのためにできること、やらなくていいこと、やるべきこと、横になっているだけの日々でも考えたり考えなかったり
薬に頼って成立している部分もあるけれど
まだ、生きている。

ここから先も、大事な30代の友人の話です。

11/20の、お昼に、蓮沼という駅から3分、Space KABAというお店でツーマンライブをします。

私は「くつした」という存在は何を名乗っていいのかわからず
ミュージシャンなのか歌手なのかソングライターなのかラッパーなのかトラックメイカーなのかマルチプレイヤーなのか寿司職人なのかパフォーマーなのか、おそらく、全てを網羅してしまってはいるのですが

ここ一年くらいの間に「弾き語り」を名乗れたらかっこいいなーと思って、鬱で倒れてる間もギターの地味な練習は毎日続けてきました。
エレキもアコギも両方です。

それで、アコギの鳴らし方?というのがようやくわかってきました。
あれは肉体と切り離さずに捉えた方がいい楽器なのですね、鳴りと音圧と色々、幸い体脂肪が豊かなので、どういったポジションに楽器を置くか、座るか立つか、構えはどうか、ピックの持ち方から考え直して色々試して
それでようやく出したい音がコントロールできるようになったな、と、ようやく思えたのがわりと最近で
それをこう、私のフィジカル強めの声をどう扱って乗せていくか、強い声が出せるということは弱い声も出せる、いろいろわかってきて
で、結局のところ2022年の「クツシタサン」は
「弾き語りシンガーソングライター」と名乗ってよいレベルにようやく到達したとおもいました。

私、割と長い間、エレキギターがメインだったし、色々エフェクター使ったりアン直してみたり、ワイヤレスにしてみたり、いわゆる電気的なコントロールで出したい音を出すことに熱心でした。

でも、ほんとに、どれだけボディーと体を密接させるか、離すか、ストロークの角度をコントロールするとどれだけ音が変わるか、分かった今は
圧倒的にアコギがやりたいです。
もともと私のようなタイプは、熱心に練習を重ねたものを披露するよりは
「その時の気持ちと体が出したい音」を出せるのがベストだと思っていて
まさにドラムなんかはそういう楽器だと思っているんですが
アコギっていうのも、自分にとって、今はそういう楽器です。

クツシタサンはギターの弾き語りシンガーソングライターになりました。
2022年。
ようやく。

ということで、リスペクトする弾き語りミュージシャンと定期的にツーマンライブをやっていきたいな、という目標ができました。

(くつしたさん以前何回も早川義夫さんをはじめとする、ビッグリスペクトアーティストとツーマンとかなされていたのでは?ということを思い出す方もおられると思いますが、あのときはあの時で100%に近い自分の表現パフォーマンスができていたので、そういう過去は否定していません)

弾き語りのみの一本勝負。
そういったばちばちのツーマンライブをやって、いろんな人に、私のリスペクトアーティストの素晴らしさを知ってほしいし、ばちばちのクツシタサンも見てほしい。
そういったツーマンです。

初回の会場は、蓮沼のスペースKABAです。

お呼びするのは、私が宇宙でいちばん可愛いと思っている、きむらゆかちゃんです。

実はきむらさんKABA初登場!ってわけではなくて2回目です。
コロナ禍はじまりの2020年3月、KABAでスリーマンライブイベントをやりました。
我々hPa、きむらさん、そして大好きな音愛ちゃんのスリーマンライブシリーズ3回目だったかな。
KABAさんは前年オープンしたばかりで、まだ試行錯誤なところもありつつ、コロナ始まりだから大々的に人を呼べないふしもあり
「来たかったらきてもいいです」
「配信もします」
という、ちょっとフワッとしたイベントになりました。
まだ、コロナが日本を覆い尽くす、ちょっと手前の話です。
KABAは前年に店長の星埜さんがDIYで内装をやってて、つまり店を作ってたんですけど、近所だったので内装作業の頃もしょっちゅう行ってて、ビールご馳走になりながら、作業を見守りつつ(なぜか手伝わない!)星埜さんのこだわりポイントなんかを聞くのが楽しくて。
オープンしたらとりあえずイベントしますってその時期から約束してたのだ。

わ、みんなかわいい!

このとき、きむらゆかちゃんがどえらい良いライブしてくれて。

そりゃもうかわいいので、店長の星埜さん、けっこう気に入ってしまったようで

その後割と、お店で会うたび「ゆかちゃんは元気かな」「ゆかちゃんはお仕事つづいてる?」「またきて欲しいなぁー」と、星埜さんは言い続けておりました。
実はコロナ初期の初期、バンドマンイコールコロナみたいな風潮があり
ギター持って電車に乗るだけで絡まれる事件とか発生していたので
なんと、きむらさんは星埜さんのギターを借りてライブしました。

めっちゃ似合ってません?
きむらさん本人も酔っ払ってこのギターくださいとか言ってたんだっけな。
最終的に星埜さんは酔っ払うと「もしまたお店に来てくれたらゆかちゃんにギターあげちゃうかも」とか言い出してたので
いや、そこまでは!でも、それほどまでに!会いたいのか!
という微笑ましさがありますね。
そりゃきむらさん可愛いしライブすごくいいし、星埜さんもまたやってほしいってずっと言うわ、会いたいですわ。

それで
まあコロナ落ち着いたら一緒に来ますね!
またライブやりますね!
とか言ってて。
あの頃「コロナ落ち着いたら」って言ってた2020年それから2021年、いつ落ち着くんだって我々は思っていたのかな。

2021年も終わりになってきたとき、私はうつ病の再発でぶっ倒れてしまいました。
かなり大変な状況ではあったんだけれど
通院できるようになってから、ちょっと近所を散歩したりしてて、KABAのあたりも散歩コースで
そしたらカホンを抱えた星埜さんが出てきてすごく心配してくれて、いやーちょっと調子よくなってきてるし、またすぐ飲みにきますね、などと言ってたらすごく嬉しそうにしてくれて
めっちゃ心配されちゃってて
なんかなー東京のお父さんって感じですよね、いつもいつも優しいし、愚痴も話してくれるけど、ゆかちゃん大好きな面も隠せず、いい音楽の話もたくさんしたしギターも教えてもらったし。
それで、すんごい素敵な笑顔で「調子よくなってきたんだー、よかったー」って、嬉しくて。

だから、もう星埜さんには恩返しもかねて、またKABAでイベントやろう
年が開けて、うつ病も少し落ち着くかもしれないし、きむらゆかちゃんも呼びたいし、暖かくなってきた頃に、2020年のリベンジで開催したい
なんていう話をするつもりで、いたんです。

それが2022年のお正月になって
二度と、星埜さんには会えなくなってしまいまして、、、、
「またやろう」は叶わない夢になってしまったし、恩返し、できてないよ。。

1月末、お別れのKABA開放日?だったかな、きむらさんきてくれて、2人で巨大な花束を買って行ったんだけど。。。
ほんとに、なにもかもが遅かった気がして
ただ本当に花束がめちゃくちゃデカくて、グラミー賞とか獲った時のサイズですわあれ。


あの巨大な花束なー、星埜さん本人に見て爆笑して欲しかったんだよー、ゆかちゃんやるねぇとか、くつしたさんこれは大きすぎるよ、とか言われたりしてさ。本人いたら言ってるはずだよなー。

なにもかも遅くなっちゃったけど、でも、やるんだ。だからやるんだ。
どうしても2022年のうちにやりたかったツーマンライブです。

きむらゆかちゃん、というのは、私にとっては命の恩人です。

ほんとにほんとにライブが良くて
初めて見た時に、うわ、この子すごい、好きだ、素敵だ、って心を奪われて
出会った瞬間から
私の人生初めての「推し」になりました。

大好きなきむらゆかちゃん。
めちゃくちゃ年上の私と何故か仲良くしてくれて。

「推し」がいると命が助かります。

わたしという人間は、おそらく生まれてきてからずっと、自分やそのまわり、そして人間というもの、生きること、生活、なんて
何も良いことはないし期待するようなこともないし、基本的に人間をやっていくなんて辛いことしかない、みたいな気持ちや考え方で生きていて
故に自分のことも好きじゃないし、誰のことも好きじゃないし、ふつうに恋愛もするわけでもないし、だから家族を作るって夢は破綻して、うつ病は見え隠れして仕事もろくに続かなくて、また自分が嫌いになって、もはや自分の生命自体が嫌悪の存在。

でも「推し」の、きむらさんの歌がまた聴きたいな、ってライブ行ったりとか、今きむらさん、なにしてんのかな、とか、酒飲みすぎてないかなとか心配したり、そんな時間の全てが尊くて。
きむらさんの存在が自分を変えてくれました。

同じ地平線の上に同じ時間に、きむらさんという凄い才能がいてくれることが私は嬉しかったし
恋愛とか超えたところで、人を好きになることができる自分が嬉しくて
いろんな人のこともよく向き合えるようになったし、好きな人はたくさんいるし

だから、今も、生きているんだなと思います。

どうやって書いても、実際見て聞いていただかないと、きむらさんの凄さは伝わらないと思うし
とにかく、このツーマンライブに来ていただきたいのですが

めっちゃ簡単に説明しますね。

私は、シンガーソングライターとしての自分の才能にはかなり自信を持っているほうでして
アマチュアでもプロでも、すごいなーとか、かっこいいなーとか、好きだなーと思う女性シンガーソングライターさんというのは
ほんとにたくさんいるものの
「私より才能があるな」と心の底から思える人って、実は、この世に、きむらゆかちゃん、1人しかいません。

これ本人にも言ってるし、いまいちこの褒め方にピンときてなさそうなところが、また、きむらさんの凄いところなのですが。

昨日の夜、茨城で震度5強の地震がありましてね。
東京も結構揺れました。

うちの実家は茨城南部。
私が実家に地震大丈夫?って連絡するより速く
きむらさんが「くつしたさんのご実家大丈夫ですか?」と私に連絡くれたのです。
めっちゃ心配しててくれて
なんて優しい人なんだーと泣けてしまいました。

きむらさんが言うには、くつしたさんがいつも優しくしてくれるから、人に優しくなれるの、だそうです。

わたし、優しくないですけどwww

と、いうことで。

11/20の午後、お店は13:00くらいから、ご飯とかケーキとかお酒とかコーヒー楽しみつつ
14:00からツーマンライブになります。
えっと、1人が長くやるのを2つやるタイプではなく
きむらくつしたきむらくつしたきむらくつした、みたいに、入れ替わりにライブします。

ちなみに!きむらさんの誕生日が近いので!お祝いもしたいです!!みんな!きむらに投げ銭してお酒をご馳走してプレゼントをあげましょう!!!


取り急ぎ投げ銭で、みんな、来てください。
(一応予約?いけたら行く?行けないけど楽しみ?がんばれ?きむらさんかわいいね!KABAってどこにあるん?配信するの?など、興味持ってくださった方は

連絡ください、話があります。)

誰かの優しさに真摯に触れた時、人は成長するんじゃないかなと思います。
自分はそうでした。
気づけなかったこともたくさんありました。
若い頃は苦労も多かったです。

30代の大事な友人たち、20代の大事なみなさん
若い人に理不尽な苦労をさせたくないので、私はできるだけ、正しい人が報われるように
そんなことをいつも考えています。
私は、仮に、皆さんにとって優しい人かもしれませんが
もし私の優しさが皆さんの成長に少し役立っていたら
生きててよかったなって思います。

同年代の大事な友人のみなさん、年上の大好きなみなさん。
たくさん心配かけてすみません、ちゃんと病院にいったり、ごはん食べたり、夜も眠れるようになったり
新しい曲を作ったり
ちょっと来月すぐとかいうタイミングは難しそうですが
また、お仕事して、ワクワクしたものを作る人になって
思いっきりいいライブをして、めっちゃ酒を飲んで
大好きな熟女の皆さんに愛を届けて
新しい楽器が突然うまくなってたり
DJができるようになってたり

まだ、生きてるから
皆さんに恩返しをできるように。
まだ、生きています。

11がつの蒲田はまだ、暑い。

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