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佐野鼎が行く

はいどうも、たくです。3度目の緊急事態宣言が発令されましたが、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、マスクをかけている以外普段と変わらない光景が戻りつつあります。人はたくさん通り歩いているのにお店は閉まっているというアンバランスさはまるで、都市が廃退してなお人の営みは止まらないといった設定のSF世界に迷い込んだようです。

☆開成高校の創始者

佐野鼎という人物は東大合格人数ナンバーワンの高校で知られている名門・開成高校の創始者として名を残しています。県に足が生えているような下の名前の漢字は「かなえ」と読みます。黒船が到来し、それ以降各地で盛んに行われていた尊王攘夷運動ただ真っ最中の時代において船にこーっそり乗り込み、遊学を果たした人物です。佐野鼎は科学技術において欧米に後れを取っていてなお、頑なに外国を受け入れない風潮に対して疑問に持った人物でもありました。

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☆何じゃあこりゃあ!?カルチャーショック!

佐野鼎さんは当時の日本人より規模や将来の見通しを持っていたとはいえ、カッチカチ堅物侍魂が根を張っており、挨拶のキスをする、トイレで局部を隠さないで排泄する、女性と手をつなぐなどアメリカ人の振る舞い方をみて何じゃあこりゃあ!?絶句の連続!!!同じ船に乗り込んだとはいえ、まだまだ異文化の壁は厚く、なかなか馴染めなかったのですが大荒波に遭ったり荷物が流されたりいろいろ試練を越え続けるたびに友情が深まり、「アメリカの文化なぞ絶対受け入ねぇ!」と言っていた侍たちも感化され始め、英語も必死に学ぶようになったといいます。

☆何じゃあこりゃあ!?誰でも学ぶだと!?

当時の日本は武士、商人、農民、奴婢と身分を厳しく区切られて、学ぶ環境も全く異なっていました。視覚障害や聴覚障害を持っている子は尚更学問をすることは程遠く、将来の職業は就けられず乞食をするしかないと言われていたそうです。それに対し、アメリカでは身分というものがなく、誰でも学べる環境が整っていることはもちろんのこと、目の見えない子や耳の聞こえない子でも学んでいることにびっくりしていたそうです。突起物で文章を理解する、視覚情報で文章を読み取らせるなど、恐らく本人たちにとっては新しい発見に溢れた授業見学になったのでしょうね。日本人が初めて障害者教育を目にした瞬間なのかもしれません。

☆ASLが英語学習のヒントに???

筋肉が動かなくなる難病「ALS」とよく間違えられるであろう単語ですが、こちらはアメリカ手話の意味です。佐野鼎らはオランダ語に長けていたのですが、英語は全くできなかったので船の中で一から始めました。当時は英欄辞典、日蘭辞典はあったので「日本語→オランダ語→英語」と翻訳していたのですが大変効率が悪く、「日本語→英語」直接理解できるように努めていた日本語による英語学習の黎明期でもありました。アクセントも綴りも全く異なるので苦労したため、どうしたものか…と悩んでいたところにASLを見てこれなら学習しやすくなるのでは?と英語教育のヒントを得た逸話が載っていました。重度な英語アレルギーの私ですが、出来るようになったら日常英語会話という「THE・グローヴァル」な雰囲気一杯の生活が遅れるのでは!?と一縷の希望を見出しました。

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