映画『CLOSE/クロース』感想
映画『CLOSE/クロース』を火曜日に観ました。
ルーカス・ドン監督作品。第75回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、高く評価されている作品のようです。
最初に書いておきたいのは、この映画は非常にショッキングな内容を含んでいるということです。
不安のあるかたは、(7月20日現在)公式ホームページに掲載されている「映画『CLOSE/クロース』ご鑑賞予定の皆様へ」というメッセージを読んで観るか否かを決めたほうがいいと思います。
私はこれを読んでから劇場で観ましたが、そうしてよかった、と思いました。
あらすじ
レオとレミ、ふたりの少年は幼馴染。四六時中一緒にいて、遊んで、同じ布団で眠るという、とても親密な関係だった。
しかし中学に入学すると、ふたりの距離の近さは同級生たちから好奇の目で見られる。女子から「ふたりは付き合っているの?」と尋ねられたり、男子から暴言を吐かれたりするうち、レオはレミと距離を取るようになってしまう。
やがて、ふたりの関係は悲劇的な終わりを迎える。
感想
以下は、いわゆる「ネタバレ」かもしれません。
「ネタ」とか「ストーリー」で観る作品ではない気がしますが、いちおう警告まで。
私は決して熱心な映画ファンではないので(去年鑑賞した映画は8本)、たいした「見解」はないのですが、それでも観た後に、「どうにかこの気持ちを言葉にしたい」と思わされる映画でした。
映画としては、後半にも「レオが自分の過ちと傷といかに向き合うか」という大きなテーマがあるのですが、個人的にはどうしても前半部分――レオとレミの関係が、周囲からの圧力で変容させられてしまう過程――について、深く考え込んでしまいます。
この映画を観た後の、言葉にしきれない感じというか、自分の中に簡単には落とし込めない感覚は、やはり「レオとレミの関係を表す明確な言葉がない」ことに起因するような気がします。
タイトルの通り、ふたりはただどうしようもなく「close(近い)」な関係だった、ということ。それを、「カップル」みたいな固有の単語に押し込めようとすること自体が、そもそもレオにとっては暴力だった。それゆえに、レオはレミを突き放すようになってしまったわけですから。
こういう作品を観た後は、あらゆることを「言い切って」しまいたくなくなるので、自分の考えを言葉にするのも、少し怖いのですが。
恐る恐る言ってしまうと、「親密な関係を『同性カップル』と定義することが暴力となりうる」という問題が、最大の難しさだと感じました。
本作中で言えば、レオが女子たちから「付き合ってるの?」と言われて、そうではない、と否定したくだりです。あのとき、レオは自分たちの関係を勝手に決めつけられたことに、憤っていた。
「人のセクシュアリティを勝手に決めつけるのは暴力」という理屈は、相手を「マイノリティ側」だと勝手に解釈することにも当てはまってしまう。
しかし、「おまえって同性愛者なんじゃないの」という指摘が「揶揄」や「笑い」となっていた時代があり、いまだにそういう文脈を手放せない人がいることを思うと、やっぱりそこには非対称性があると思うのです。
それだけに、レミとカップルだと見なされることに憤ったレオの切実な心情に、胸を掻き乱されます。
さらに言えば、レミは「カップル視」に強く反発したレオの態度に喜んではいなかったように見え、そこがひどく苦しかった。
(明示されていないから言い切れないけれど、序盤の演出から見るに、レオがレミに感じている友情と、レミがレオに抱いている慕わしさは別種のものであるように思える。)
なにを問題にしたいの? ということが自分でもうまく整理できていないんですが。
言いたいのは要するに、「他人から『定義』を押し付けられることに反発するのは当然の権利だけれど、その強い否認が本人の意思とは無関係に暴力性を帯びてしまうことがある」ということ……かな。
このあたりのコミュニケーションは正直、「こうすれば誰も傷つきません」という回答があると思えない領域で、重い問いが自分の中に残りました。
とはいえ、人間関係を外野が勝手に解釈するのは、それがどのような解釈であろうと暴力でありうる、という点は、留意すべきだと思いました。
蛇足
先月観た是枝裕和監督の映画『怪物』と、一部のモチーフが共通しているため、いろいろ比べて考えたこともあるんですが……。
この話を書くと倍の長さになってしまう。noteを書くのに力を込めすぎないという決め事をしていたのだけれど、すでに想定より長くなってしまった。
しかしとにかく、『怪物』に続いて、みずからの少年期を想起せざるをえない映画を観たな、と感じました。
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