長めの文章が書きたくて

 はじめまして。楠谷佑と申します。
 名前の読みは「くすたにたすく」です。逆から読んでも「くすたにたすく」。
 普段は、おもに推理小説を書いております。

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 2018年から、SNSはもっぱらTwitterを使ってきました。
 しかし、今月の1日ごろから「API制限」なるもののせいで、1日に閲覧できるツイートの数が限られるようになりました。これは時限的な措置だとされているようですが、7月3日現在、Twitterにおける情報の収集・発信がたいへん難しい状況です。多くのユーザーが、Twitter以外の「定住先」を探す動きが始まっています。

 というわけで、私がnoteのアカウントを取得したのも、その波に乗ってのことではあるのですが――。
 それとは別に、じつはここ1年くらい「情報発信は長文投稿に向いたプラットフォームでおこないたい」と思い続けていました。いろいろ迷い続けるうちに時間が経ってしまったのですが、上記のTwitter騒動をちょうどいいきっかけとして、アクションを起こしてみたという次第です。

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 ここ1年ほどのあいだ、考え続けてきたのは「物事をちゃんと語るためには、ある程度の文字数が絶対に必要である」ということです。
 Twitterの1投稿における上限文字数は140文字ですから(課金するともっと書けるらしい)、あまり長い文章は書けません。そもそもTwitterって、「短文投稿サイト」と呼ばれていますから。
 たしかに、複数の投稿を「ツリー」として繋げることはできるので、6つの投稿をつなげてひとつの「語り」にすることもできるのですが、その「語り」を形成するひとつのツイートだけが極端に広くシェアされて、投稿主の意図とはかけ離れた解釈に基づいて批判や賞賛を集めることもあります。

 ――というようなことも含めて、短文投稿サイトは「短文ならでは」の難しさがいろいろと付きまとい、変に人を誤解させてしまったり、いやな思いをさせてしまったりすることもあります。私自身も「後から考えたら、あの人のツイートの意味をちょっと誤解していたかも」と思い直すことは、しばしばあります。
 いちいち「例外もあるんだけど」と書き添えたり、「たしかに~だけど、しかし……」という形で、予想される反論にあらかじめ再反論したりするような書き方は、Twitterだとやりにくいし、そもそももっと軽快なコミュニケーションをすべき場であるように感じます。
 そのため、ちょっと丁寧に語ってみたい/考えてみたいことがあるな、というときには、長めの文章を書くのに向いた場所でやりたいと感じるようになったのです。かといって、なにか高尚なことを書くつもりもないのですが(書けないし)。

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 あれっ、なんだか「Twitterに嫌気がさした理由」を書いたみたいになってしまった。
 べつに嫌になったのではなく、Twitterにしかない良さは、たくさんあると思うのですが。
 たとえば私は、漫画家さんやイラストレーターさんがTwitterに投稿している作品を見てその人のファンになった――ということが、ここ5年のあいだにもう何度もありました。また、私自身が発表した小説の感想を読者のかたから直接いただくということもあり、これはたいへん嬉しいことです。
 そのような出会いや交流が叶う場としてあそこは大切だし、なくなってほしくないなあ、と感じています。

 でもやっぱり、「文章」を書くならある程度のまとまりがある文章を書きたいな、と感じる今日この頃です。
 むやみに長いと読む人をうんざりさせてしまうので、「長く楽しく」って難しいんですけど。精進します。

 というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。

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