横書きマジック

 なかなか前に進まなかった小説の執筆作業が、ようやく滑らかに動きだした。

 もちろん、書けたからといってその部分が世に出ない可能性もある。あとで気に入らなくなって、書けた部分を削除することはよくある。編集者の指摘を受けて、その部分をまるごと改稿することだって珍しくない。
 しかし、いずれにせよ、原稿の空白が埋まって作品世界の密度が高まった瞬間は、どうしたって嬉しい。

 いろいろ、自分なりに頑張ってエンジンのかけ方を考えてきたのだが、昨日試してみたのが、「原稿を横書きで書いてみる」というやりかただ。これは、以前にも試してみたことがある。

 本を読む人には常識だけれど、日本の文芸書はふつう、縦書きで印刷されている。私のこれまでの刊行物も、すべて縦書きである。
 だから、私は活字になったときのイメージに少しでも近づくように、縦書きで執筆する。出版されるときの字数と行数が事前にわかっているときは、もちろんそのレイアウトで書く。
 ただ、作家の中には横書きで執筆するという人もいる。割合は知らないけれど、何人か存じている。

 不思議なことなのだが、私は横書きで文を書くときはすらすら書ける。普段、縦書きの小説で苦しんでいるのが嘘のようだ。
 高校2年生のときはウェブ上のサイトに小説を投稿していたけれど、後から字数を数えてみたところ、10か月くらいの間に40万文字以上書いたらしい。ウェブは横書きで投稿するから、書くのも横向きだった。あのときの執筆速度は、そのおかげで出ていた気がする。
 このnoteももちろん横書きしているが、文章はほとんど考えるまでもなく出てくる。

 そんな魔法の「横書き」だが、商業出版する予定の小説を書くときには、あまり使うのは気が進まない。
 理由は、上記のとおり刊行時に近いレイアウトで書きたいということもあるのだが、もうひとつ、文章が滑らかに「書けすぎる」ことが、必ずしもいいとは思わないからだ。

 お金をいただいて書く文章には、責任が伴う。だから、読者は読み流すかもしれない一文一文を仔細に点検するのは当たり前。そうしたうえでも、誤字脱字が紛れ込んでしまう場合はあるし、時間が経ってから自分の文章を読み返すと「もっと上手く書けたのに」と思うことはある。

 というわけで、小説は、必ずしも軽やかに書ければいいものではない……と、私は思う。
 私にとって横書きは軽さがあり、文章に重みを持たせたいときには、ちょっと不向きな印象があるのだ。「そこにあるべくしてある」文章以外も、手癖のようにさらさらと書き込んでしまう気がする。

 でも、これも、単なる感覚の話ではある。
 そもそも、横向きだろうと縦向きだろうと、そこに入力されているデジタルな文字情報は同じである。横書きだけで書きながら、私なんぞよりも密度の高い文章を書かれるかたは無数にいらっしゃるはずだ。
 単に、私がヨコだのタテだのに振り回されているだけで。

 とにかく、普段自分に禁じている横書きで書き進めてみたら、スムーズに作品が進行した。
 ただ、このまま書き進めるのはやはり気が進まなくて、本日執筆を開始したときには、また縦書きのレイアウトに戻してから作業を始めた。
 ただ、意外なことに、横書きで書いた部分は、少し直すだけで済んだ。つまり、自分で危惧していたほどには散漫な文章になっていなかったということだ(第三者が読めば別かもしれないが)。

 もしかしたら、変な幻想は捨てて、横書きスタイルに身をゆだねたら、今より楽になれるのだろうか。
 いやでも、楽になるのが怖い気もする……。

 なんか、「苦しんだ分だけいい文章になる」というような、危険な精神論に片足を突っこんでいる気がしないでもない。
 これからは、横書きスタイルも積極的に取り入れてみようか。
 ある程度の速さで文章を書くことも、プロには必要な資質なのだ、きっと。

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