書いてみなくちゃわからない

 おととい、「横書きで執筆するとたいへん捗る」という話を書いた。そのとき同時に、「書けたからといって、その部分は後で書き換える可能性も高い」ということを書いた気がする。

 やはりと言うべきか、その「捗った」部分を書き換えたほうがいいな、と昨日気づいた。
 新しい人物が複数登場する場面なのだが、その人たちの造形が作品のプロット(筋書き)と上手く噛み合っていない気がして、キャラクターの性格を練り直すことにした。
 今日は、その書き直し作業がメイン。

 でも、いちど書いた部分は「無駄な仕事」だったとは思わない。
「あー、これは違ったな」ということは、小説として文章化したから気づけたのだ。事前につくるプロットは、情報の羅列みたいな感じなので、小説化したときにどうなるかは、自分で想像するしかない。
 ベテランの作家ならば、プロット時点でのイメージと、実際に書けた作品のギャップが少なくなるのかもしれないが、私はまだその域にない。

 だから、一度書いて没にした部分、没にしたキャラクターも、無駄ではなかったということになる。
 いいか悪いかは、書いてみなくてはわからない。
 つい、プロットの時点であれこれ心配して「もっと細部が決まらなきゃ書き始められない」と泣き言を言いたくなるけれど、やっぱり、走り出してみなくては見えてこない景色というのがある。
 やってみて、駄目だとわかったら、その部分は潔く変えればいいのだ。

 ……などと偉そうに言っているけれど、その「潔く」が難しい。だから、わりと自分を鼓舞するつもりで書いている。

 削除し、世に出なかった文章もみずからの血肉になっていると信じて頑張っていきたい。

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