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訪れた国

Episode 7 – Algeria 1

 

パリからエアフランス便でアフリカのアルジェリアへ行った。かつて独立戦争でフランスと激しく戦ったが、石油資源などに恵まれて今は落ち着いた国という知識は持ち合わせていた。しかし、治安はよくないようで多くの仲間とアルジェリア人が働く事務所と宿舎は、一辺が100m以上ある大きな敷地にあって高さ2mくらいのコンクリートの塀で囲われていた。敷地出入り口の検査場所と塀の四隅には銃を持った保安員が常駐していた。業務上の外出は基本的に車を使用し、前後に護衛車つけて車列を組んで出かけることになっていると聞いた。

 アルジェリアは昔ベルベル人のヌミディア国としてカルタゴの支配下にあったりした。ローマのユリウス・カエサルが地中海沿岸を征服してローマの属国となって、ヨーロッパ的な言い方によるとciviliseされたといえる。その後、アラブが侵入していまではアラブ的な国となっている。しかし、古代ヌミディアはアルジェリア人の誇りのようで、ボディにヌミディアと大書した観光バスを幾度も見かけた。

 地中海の北側と南側の違いはあるが、ローマの遺跡やなだらかな丘陵がつながる景色は、そこが地中海沿岸であることを思い出させる。自然の風景が似ているのだ。ただ、羊が放牧されている草原は、ごみが散らばっていて北側の沿岸とは雰囲気が違う。イスラムの国なのでモスクがあるのは当然だが、丘の上に教会を見かけた。

今ではフランスとも友好的な関係にあってフランス企業も多く進出しているが、エアフランス便は到着当日の出国で空港に停泊しないし、乗組員は全員決して機内から出ない規則になっていた。国内便で預ける荷物はチェックインの後で自動的に機内へ運ばれるわけではない。トラックで駐機場へ運ばれた積み荷のなかから自分の荷物を探しだして、積み込み担当者へ引き渡してから搭乗することになっていた。飛行機に積み込むすべての荷物を搭乗者に一つずつ確認をさせて、持ち主の不明な荷物が積み込まれることを避けているのだ。

ホテルの入り口でX線検査があるのはインドと同じだ。ホテルでは英語が通じるので不自由は感じられない。街ではフランス語が現地の言葉と同様に話されている。植民地時代にフランスが宗主国としてフランス語を強制してきた名残といえようか。宗主国が言葉を強要していた頃は相当の反発があったようだが、今は生活(職)のためといえないこともないようにみえる。宗主国が植民地支配に言語を強制するところは日本も同様だったようだ。イギリス型の植民地経営とは違う手法だ。

 というわけで今から思うとやはり滞在中は緊張の連続だったのだと思う。最後の日は飛行場まで送ってくれる迎えの運転手に「ヒコーキに遅れる」と言って起こされるまで寝ていた。空港へはゲートが閉まる直前に到着して、多くの監視と検査を通って搭乗ゲートへ向かった。機内でシートベルトを締めると初めて緊張が解けて疲れがどっと出た。パリまで約2時間、シャルルドゴール空港の滑走路に着陸する衝撃で目が覚めるまでぐっすり寝てしまった。

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