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組織運営の技術

組織運営の技術-基準

 

 最近よく聞く話に「基準を示してください」というのがあります。たとえば、コロナ禍で政府の「まん延防止等重点措置」や「緊急事態宣言」などの発出と停止の基準が抽象的説明に過ぎ明確な規則があるとはいえず(公表されているのかもしれませんが)、都道府県知事の要請に任されているように感じることがあります。

知事の要請決定条件においても、各都道府県が独自の基準(目安)を定めている状況です(たぶん)。要請するかしないかの判断を、知事が目安を参考にして総合的判断(Political Decision)でしているようにみえます。コロナ重症者の基準でも東京都は独自の基準でカウントしており、日本全体の総計に整合性がないので、一般の人にはわかりにくいところがあります。

このように物事の基準を具体的に示さないで、物事が適用される側の判断(裁量)に任されているという状況は昔からの日本における組織運営の文化です。多くの分野で要求を具体的な計量可能な基準で示すことはありませんでした。物事のあるべき姿を表す時に、具体的な数量表現ではなく抽象的な文言を用いてきました。したがって、蔓延の波が6回に及ぶコロナ禍で客観的(自動的)に物事が決まる(一般の人がわかりやすい)ことはあまりなかったような気がします。

同様の背景を持った人が当該事項にかかわっていることを前提としているので、指針だけ示しておきさえすれば、関係者全員が同じような判断をするだろうということを暗黙の了解とする理解で成り立つ手法といえます。同じ文化で同じ言葉であれば、思い浮かべてきたことと同じような結果がかつては期待できたからです。

わたしたちは、幼稚園以来「みんなで一緒に」を繰り返し教えられてきました。コロナ禍の今も同調圧力の空気は強くワクチン接種やマスクを義務化しなくても、みんながマスクをして多くの方は接種券が届くとすぐに接種を受けに行かれます。日本には他の先進諸国と違う市民社会があるようにみえます。

 先進国が合理的で論理的な精神を持つ西洋的な考え方に基づいて、何事にも明確な基準を持とうとするのは、隣の人は同じような背景を持つ人ではないかもしれないがルールは知っておいてもらいたい、という気持ちの表れでしょう。一方、非合理的で直感的な対応を重視する思考と実践をしてきた日本では、抽象的な文章表現の指針だけでも期待どおりに理解してもらえて馴染みやすかったのかもしれません。

しかし、最近は異なった背景を持つ人たちが増えて、みんなが目安に沿った同様の判断と行動をするだろうということが期待できなくなってきています。抽象的な言葉による説明では、文言の解釈が人によってあまりにも違うので、結果にばらつきが出てくるのです。客観的な基準よりも総合的判断(Political Decision)が優先されてきたことは、日本が遅れてきた原因の一つでもあります。

作業ごとに具体的な要求基準を示すことが必要になっていると言えます。物事に着手するとき具体的な要求基準を示すことは、作業の間違い、手戻り、手直しを減らすばかりではなく、作業にかかわる人員と時間を減らすことが可能になります。なおかつ、背景の違う人が作業に携わっても初めから同じような結果が期待できるようになります。

 限られた時間と人員で今まで通りの結果を期待するならば、要求基準は具体的に、明確にすることが今後の組織運営の基本となると思います。

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