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西成での野宿経験者の声明~新今宮PRnoteを受けて~

先日、島田彩さんによる、新今宮(西成)でのホームレス状態にある人とのでのコロナ禍デートの様子を書いたnoteが炎上しました。その記事は、大阪市の「新今宮エリアブランド向上事業」という取り組みのひとつとして、電通関西支社を通して依頼されて書かれたものでした。
そして、最近、当事者は気にしていない、といった趣旨の記事も公開されました。
しかし、一貫してこの記事に異議を唱える当事者はいます。
今回は、西成で野宿(ホームレス状態)を経験されたDiceさん(48歳)が寄せてくださった声明を、あえて手を加えることなく、掲載します。(ご本人の許可を得ています。)一人の人が、何を感じたのか。ぜひ、読んでください

私は元野宿者です。
わかり易く言うならば元ホームレスです。
自分語りからいたしましょう。

私は元々関東の出だったのですが、30の時に結婚のため大阪に移住しました。
然しその幸せな生活は、相手の浮気と離婚により僅か1年で破綻しました。
その後は一人、知り合いも頼れる者もいない大阪の地で暮らしていました。
始まりは鬱病になったことです。
当時は日雇い派遣の非正規雇用だったため、傷病保障もありませんでした。
仕事を失い収入も絶たれ貯金も使い果たし家も失いました。
その時は鬱のことも忘れていたのでしょう。
死を覚悟し「どうせ死ぬなら少しでも東京に近づいて死にたい」と、徒歩で東京を目指したのです。
何日か歩き通しで靴底も壊れ、残飯を漁りながら何とか奈良県の天理市に着いたときでした。
天理教の人に「釜ヶ崎に行きなさい」と言われたのです。
「あそこには貴方のように絶望を抱えた人が大勢居るから」と。
「貴方は一人じゃないと思えるから」と。
「東京まで行くのなら大阪に戻った方が近いから」とも。
そして僅かばかりのお金(確か3千円ほど)を「返さなくていいから」と渡され、久々に食料を買ったのです。
そして私は大阪へと歩き続け、釜ヶ崎に辿り着きました。
(購入した食料は早々に尽き、残飯を漁っていましたが)

釜ヶ崎では、数多のNPOの方々や宗教関係者の方々(殆どがキリスト教、それも韓国系のプロテスタントでした。日本のキリスト教は救世軍を除いて終ぞ見かけませんでした)にお世話になりました。
一日一食であっても炊き出しで飢えることもありませんでした。
大抵の韓国系教会では牧師様の説法を聞いた後には食事が振る舞われました。
NPOの施設では本も読め、月イチで散髪もしてくれ、週イチでしたがシャワーまで浴びさせてくれました。
救世軍西成小隊(救世軍は軍隊のような組織構造をしていて、地域の教会は「小隊」と呼ばれます)では衣服や靴などをいただきました。
人に絶望し人間不信になっていた私は、あの人達のお陰で「人間らしさ」を捨てずに済んだのです。
感謝しかありません。
ただ同じ野宿者の方々とは余り話すことはありませんでした。
正確には何を話せばいいのか分かりませんでした。
然し、皆が自分と同じ目をしていることに安心もしていました。
「私だけじゃないんだ」と。

彼らも必要以上に関わってきたりはしませんでした。
いい意味で放置していてくれたのです。
然し、世間の人々は真逆でした。
若年層の人は直接的な暴力で物理的に攻撃してきました。
ブルーシートを被って寝ていたら、棒のようなもので突かれ大きめの石を投げつけられたように。 
中高年の人は言葉や態度で精神的に攻撃してきました。
ただ歩いているだけでひそひそ囁かれ、汚物を見るような冷たい目で見られたように。
嫌悪するくらいなら放置していてくれればいいのに。
そして私は恐怖から釜ヶ崎地域を一歩も出なくなりました。

そんなある日。
路上で寝ていた私に、確かNPOの人が声を掛けてくれたのです。
「自立支援施設に入所して、社会復帰を目指す気はありませんか」と。
「貴方はまだ若いから再出発出来るよ」と。
運良く施設に入所出来たので、野宿生活は僅か3年ほどで済んだのです。

施設では半年の期限付きですが、無償で入居出来ました。
その間に就職を決め、給与を貯め、路上に戻らないようにして下さいとのこと。
施設に住民票を置けたので住所不定ではなくなりました。
2段ベットでしたが、屋内で布団をかけて寝られました。
洗濯機も自由に使えたので、古着でしたが清潔を保てました。
朝昼晩と3食食事が出たので、少し太りました。
面接の事前トレーニングもしてくれました。
面接に行く際の背広やかばんを借りることが出来ました。
3ヶ月目で職を決め、社会復帰の第一歩を踏み出せました。

施設を出たとは言え、貧困のために数々の人の悪意に晒されて騙されました。
困窮しているところを助けてもらったからと馬鹿正直に恩に着てしまい、相手の無茶苦茶な要求にもNOと言えず、散々利用され続けました。
現に今でも私の公的な権利は一部制限されています。
当時の給与は貰える時でも3万程度。
殆どが貰えない日々でした。
代わりに住居だけは用意するからと。
明らかに労働基準法違反でしたが、それでも、そんな状態でも私は「恩があるから」と身を粉にして働いていました。
そして……
鬱病が再発した。

全く動けなくなり、何日も食事をしませんでした。
時には自殺を試み、台所用の漂白剤を一本飲んだこともありました。
死ねませんでしたが。
やがて意識を失ったところ、気付いたら病院のベッドの上でした。
後から聞いたところ、何日も欠勤してる自分の様子を見に来た会社の上司と大家さんが発見して、救急車を呼んだそうです。
そしてそのまま緊急的に生活保護受給となりました。
何の手続きもした覚えはないのですが、会社は辞めたことになっていました。
そして会社関係の加害者達との縁も切れました。
そこから本当に心身を休め、病を治すことに専念できました。

あれから10年。
今は大切な人と可愛い犬と猫と共に暮らしています。
様々なことがありましたが、今は生きてて幸せだと思えます。

そんな「元・野宿者の一人」から問題の記事に意見したいと思います。

4月7日にnoteに【ティファニーで朝食を。松のやで定食を。】と題された記事が公開されました。
この記事は大阪市の「新今宮エリアブランド向上事業」の取り組みの一貫として依頼のあったPR記事とのことですが、当初はそれすら全く記載されておらず、noteによくある日記記事の風体をなしていました。
ここで不誠実さしか感じられないのですが、それは脇に置いておくとして……
以下に幾つか個人的にうんざりした点を並べます。
以下に挙げた以外にも様々あるのですが、それは既に他の方々に言い尽くされていますので省略。

①地理
新今宮、ひいては釜ヶ崎を肌身に沁みて知っている者として、元地元民として幾つか。
先ず記事中で最初に著者が向かった大衆酒場の「岩田屋酒店」。
これは地図ではココ。

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見ての通り、JR新今宮駅の恵美須町口近くの環状線ガード下。

で、次の「入船温泉」はココ。

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岩田屋酒店からあびこ筋渡ってすぐ。
その後に向かった宿ですが……
ここは記事中の「大通りに出るとスーパー玉出」「その横を抜けると萩之茶屋本通商店街」という地理からして、ほぼ間違いなく「太子1丁目/2丁目」。

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更に記事中の「1階にカフェ併設」という条件、更に上がっていた写真からして十中八九「ココルーム」でしょう。

上はココルームのサイトからカフェの写真。

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下は記事からカフェの写真。

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背景の縦縞の布とカウンターが一致してるように見えないだろうか?

ココまでの経路をマッピングすると

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見事に「釜ヶ崎」(萩之茶屋1~3丁目)を避けた「観光客ルート」を通っています。
この時点で「持つ者」(社会的強者)が「持たざる者」(社会的弱者=野宿者)を観察しに来たのだろうな、という推測が立ちます。
正直、この時点でもう読むのを放棄したくなりました。


②著者の傲慢さ
萩之茶屋本通商店街に入ったところで荷物の中の飲料が溢れてしまい拭いていると「お兄さん」が声を掛けビニール袋をくれ100円を要求されました。
後の描写から見ても「お兄さん」は野宿者でしょう。
この人にしてみれば100円はビニール袋の「対価」であって、それ以上でもそれ以下でもないと思われます。
ここで感謝するなら素直に「対価として」100円を渡せば良い(感謝の証として色を付けても良い)だけなのに、著者はあろうことかマイルールを押し付けます。
ルールを押し付けることが出来るのは強者の証です。
本人にはそのつもりはないのでしょうが、帰る家のある「著者」と、家すらない「お兄さん」とではどちらが強者かを無意識に判定しているのでしょう。
と言うか、酒屋でおじさんが「明日、このまちに返してくれたら、それが一番ええわ」と言っているのなら、それは「誰かから親切にしてもらったように、自分も誰かに親切にする」という自分への戒め程度にしかならないはずです。
それなのに「仮ができた分、貸しをつくる」という歪んだ解釈をしている時点で、対人関係を上下なり貸し借りなりでしか判断出来ないというそんな意識が根底にあるのでしょうね。
「貸し」とは、作られた方(=お兄さん)が作った方(=筆者)に負い目を抱くものですから。
自己中心的な傲慢さが溢れていると思います。

③無神経さ
酒屋でおじさんがご馳走してくれたのは、その支払いの前段階として「同じ空間で筆者と楽しい時間を過ごせた」からです。
「名前も何も知らない」人であっても「何の接点もない人」ではありません。
見知らぬ人間に、会話もしたことのない相手に唐突にご馳走したのではありません。
然し「お兄さん」は単に「ビニール袋をくれて100円を要求してきただけの人」です。
その前段階も何もありません。
物を貰ったのだから、要求通りに対価を支払う。
それだけでいい筈です。
その人に唐突に「奢る」と言い出した時、相手のことを考えていたでしょうか。
奢るということで自分を上位に置こうとしたようにしか見えません。
序に言えば「メリットしかないのだから断るはずはない。断れないだろう。これで自分が上位に立てる」という計算が、俗っぽく言うなら「これでマウント取れる」という浅ましい計算が働いていたようにしか見えません。
「自分勝手ではない。ちゃんと相手に今後の予定も確認したのだから」という言い訳を自分にするために、野宿者だと分かっている相手に対し「後ろ、予定とかなかったですか?」と聞いてしまう。
野宿者で服を着込むしか防寒の術がない者に対して「お兄さんは防寒術すごそう。教えてください」と聞いてしまう。
「帰る家のある者」が見物に来ただけであって、自分が珍獣観察の対象となっているのが、コンテンツとして消費されているのが薄々分かっている野宿者に対して「近く寄ったら、会いに来るね」などと言い出してしまう。
見物なんてされたくないと思う人に「泊まるなら駅の近くかなー」「せっかく新今宮に来たし、普通のビジホより、」などと平然と口にしてしまう。
飽く迄も自分のことだけしか考えない。
それを聞いた人がどう思うかまで想像が及ばない。
無神経の極みです。

確かに新今宮のPRや再開発やイメージアップは必要です。
でもそれはジェントリフィケーションにならないよう、熟考の下に行われねばならないと思います。
況してや、野宿者も一人の人間であって「エモさとして消費されるコンテンツ」ではありません。
貧困問題をおざなりにしてイメージアップを図る大阪市と、野宿者や貧困を広告の消費コンテンツとする電通と、幾ら依頼とは言え「キラキラ」「エモい」とした記事を書いて何も問題と思わなかった筆者と。
私には決して許すことは出来ません。





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