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たまに途切れる経歴

この秋から無職を卒業したけど、それでも私の中で経験したことはなくなりはしない。
今は、たまたま派遣として仕事に出ているのだけれど、そこでは無職、あるいは引きこもり経験があることは言っていない。

派遣されていく場合、面接ではなく面談がある。
派遣会社のスタッフと本人(私だ)と、派遣先の会社の管理職的立場の人が。
これはまあ、雇用のミスマッチを事前に防ぐためにやってるシステムなんだそう。
その面談で、私の職歴についてスタッフの方が淡々と紹介してくれる。

それを聞いている私は、まるで他人の人生を聞いているみたいだった。
人間死んだ時、こうやって「故人はこれまで~」なんて葬式で紹介されるんだろうな。
そんな死人の気持ちを味わえた時間だった。
あれは実に奇妙な時間だった。

3年以上期間が空いていることに関しては、「怪我が原因で退職してから療養に充てていて~」と都合よく喋ってもらった。
精神的な問題を抱えている人間よりは、物理的な問題を抱えている人間の方が、今の世の中では理解されやすいだろうと判断してのことだ。

もちろん、これは紛れもない事実なので私は嘘は言ってない。
まあ実際には、3年もかかる怪我があるのかって話だけど、そんなには突っ込まれなかった。

そんなことよりも、仕事内容を了承してもらえるかどうかがポイントで。
そこの面談以外で、私の過去を知っている者は誰もいない。
気かれりゃ答えるけど、別に自分から言うこともない。

前の職場では、仕事をしてない期間があったということを同僚(40代女性)に話したことがあった。

すると
「私にもあった」と言い、さらには
「弟にも、そういや妹にもあった。」と。

なんなら兄妹全員が仕事をしてなかった時期もあったと話してくれた。
今思えば、よく親は何も言わなかったなぁと感慨深げにつぶやいてもいた。

仕事をずっと続けられるのは奇跡のようなものらしいと、私も思った。

私は一度仕事で躓いたから、もう全てが終わりだとすら思っていたけど、案外世の中見渡してみたら、こんなもんだった。

あのしっかり者の友人ですら、3度目の就職を目指しているのだ。
なーんだ、もっと気楽に思えばよかったのか、なんて今では思う。

(もちろん、悲観しまくる時期も必要だと思う。これは間違いなく。
でも問題は、悲観しすぎるとパワーが無くなることだね。あと、後に引けなくなること。今の日本みたいに)

それが反動なのかどうか知らないけれど、今では楽観主義者だ。
それもどうかと思う。
人間考えすぎると、いよいよ馬鹿になるらしい。

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