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交換日記

私は大人になってからも交換日記をしていた。まさに添付のようなノートで書いていた。
毎日ではなかったから日記ではなく週報みたいな感じかもしれない。


最初は字が汚くて悩んでた私を見かねて、彼女が文章を適当に書いてそれを真似するみたいな事をやってた。
「字が上手くなりたいなら上手い人の真似をするのが一番の近道!」と彼女は良く言ってた。

いつしか、そこに

【好き】、【愛してる】みたいな文章が混ざるようになった。私もそれを習って【好き】、【愛してる】と書いた。

そこから少しずつ日記みたいなものが始まった。
私は今でも字がお世辞にも綺麗とは言えないが完全に彼女の字を荒くしたバージョンだと思っている。


日曜日の夜、彼女がお風呂入ってる時などにコソコソ書いて、月曜日の朝に彼女の枕元に置いておく。
彼女が起きるのは私が仕事に行った後だから、一人で私の日記を読むことになる。

月曜日、彼女は仕事終わるのが遅かったので、私が必ず先に家に帰ることになる。
私宛に書かれた交換日記を必然的に一人で読む。

19歳くらいから3年くらいは続いた。

喧嘩した後とかは少しお互い文章が乱暴になったけど、直接は言えないこと、傷ついたこと、嫌なこと、言いたかったけど言えなかったこと、反省してること、これから気を付けるなどを冷静に受け止めて発信できて良かったと思ってる。

彼女はめちゃくちゃ頭が良かったので、いつも綺麗な文字でわかりやすく愛情をこめて書いてくれた。
何より実際に書いた文字というのは本当に魂がやどる。
色々な魂がやどる。どんな良い文章をSNSで見つけても、直筆で書いた文章には叶わないと思っている。

SNSをやりながら、どこかでSNSを軽蔑してるのはそのせいだと思う。携帯の文字では絶対魂はやどせない。ただ無機質に傷つける。誤解を生む。無機質に笑わせる。無機質に怒らせる。無機質に嬉しくなる。






愛情、恋愛、などもうそんな事を深くセンチに想うような見た目でも年齢でもないが、あの頃は純粋に愛情、恋愛で満たされてたのだとおもう。


あの交換日記はどこにあるんだろう。
思い出せない。ノートで5冊くらいはたまったと思う。

もう廃棄されてるかもしれないし、私自身が記憶から廃棄したかもしれない。

焼却されて微かな煤のような魂になって未だ世の中をさ迷い続けてるなら何かで傷ついて塞ぎ混んでる人を優しく包んであげてしい。そしてたまには私のもとに帰ってきてほしい。いつも笑顔で優しかった大人な彼女の魂と、まだまだ世間知らずな私の稚拙な魂がつまっていたから。お盆だしね。嬉しい時も悲しい時も側にいてください。








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