【15日目】天動説的な考え方【クソではない】

今日やったこと
5時半頃起床。ストレッチと軽い筋トレをしてから朝食。その後借りてきている『君たちはどう生きるか』を読み進め、人からの頼まれ事のために調査と作業をした。昼食後が問題で、また本を読んでから夕方までウダウダしてしまった。17時半からサッカーの指導。帰ってきて夕飯、風呂。

『君たちはどう生きるか』の中で、主人公コペル君の、あだ名の由来について語られる章がある。その中で、コペル君が自分中心ではなく全体の中の自分というものの見方をし始めたことについて、コペル君の叔父が、天動説と地動説を例に褒めるくだりがある。叔父さんが言いたいことは、子供は天動説のように自分を中心に物事を認識しているが、大人になるにつれ地動説のようなものの考え方をするようになる。客観的な視点でこそ、ものごとの真理が分かる。みたいな、おおよそこんな感じだった。

今日のサッカーの練習が始まる前の夕方5時過ぎ、ある子供がグラウンドに到着し、先にいたチームメイトに「おはよう」と挨拶した。その挨拶に対する回答が、「それだと今は朝の5時になっちゃうよ」だった。「おはよう」が今の時間に適していない挨拶であることを指摘していることは間違いないのだが、今日、コペル君の話を読んでいた僕は、「天動説的な指摘だな」と感じた。友達が言った「おはよう」を中心に時間を動かして指摘しているな、と思ったからだ。僕なら、「もうとっくに夕方だわ」とか言うと思う。すなわち、全員共通の夕方5時という時間があり、そこを基準にして、朝の挨拶はズレているという指摘の仕方だ。

なるほど、コペル君の叔父さんが言う通り、子供は天動説みたいな考え方をしているんだな、と経験として理解できた。まあ、ほぼこじつけみたいな感じだが。

こういう、大人と子供で物事の認識の仕方に違いがあることを頭の片隅に置いておけば、指導や説明の道筋をもっと分かりやすくできるかもしれない。地動説的に考えて、子供には天動説的に伝える。書いていて意味が分からない。コペル君の叔父さん、僕は大人なのに、まだ地動説的な考え方ができてないのかもしれません。

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