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1週間

すきなひとと別れて1週間経った。
1週間経っても実感は湧かないし
好きな気持ちは消えないし
毎日どこかであのひとのことを考えてしまう。
わたしの頭の中にはまだすきなひとがいて、
頭の大半を陣取って寛いでいる。
わたしは先週からなにも変わっていない。

きっとすきなひとの頭の中にはもうわたしなんかいない。もしくはだいぶ隅の方に追いやられて
ちっちゃく体育座りをしている。

今のあのひとは生大喜利に夢中だ。
きっと四六時中大喜利のことしか考えてない。
どんどん遠くに行ってしまう。
大喜利はほぼ大喜利茶屋しか嗜まないわたしは
ひとり取り残された気持ちになっている。
Twitterを見る限り、すきなひとはわたしと
別れた後の方が生き生きしているように見える。
その姿を見ると安心するけど、わたしがいない人生を順調に歩み始めているように見える時があって、それが寂しくなるときがある。
わたしはずっと立ち止まったままだ。
足踏みすらできない。

すきなひとはわたしと別れたとき、
どんな気持ちだったんだろう。
やっと別れられると思って清々したのだろうか。
別れられて嬉しかったのだろうか。
わたしと別れるのは悲しかったのだろうか。
別れると言う決断は苦しかったのだろうか。

すきなひとと別れてから、
毎日が少しつまらなくなった。
心にぽっかり穴が空いたような気持ちで、
寂しくて、つらくて、苦しくなるときがある。
1週間経ってもすきなひとが恋しくて、
泣きそうになるときがある。
それだけわたしにとってすきなひとの存在は
偉大だった。
日常の一部だった。生活の一部だった。

一度好きになって一緒の時間をそれなりに過ごした人と離れることってすごく勇気がいることだ。

この恋が終わったときの事をなにも考えていなかった。終わることなんか考えていなかった。そのくらい好きだった。「今が楽しければそれでいいや」の気持ちではなく、「この先も楽しいといいな」と思ったひとは初めてだった。初めて貰った手紙に「こんな来年が楽しみな人生は初めて」と書かれてたとき、とても嬉しかった。
わたしも同じ気持ちだった。
でも、終わってしまった。
終わってしまったのでノープランの人生を
今は生きている。
来年も来月も来週すらもわたしはどんな気持ちを抱えて生きているのかわからない。

こんなに自分が面倒くさい未練たらたらな重い女だとは思わなかった。だから振られたんだろう。
振った女に別れたあともこんなにめそめそうじうじされるのって嫌だろうな。本当に申し訳ない。

すきなひとが恋人ではない人生を
まだ受け入れられていない。
まだ「すきなひと」を
「すきだったひと」と呼べない。

まだすきなひと離れはできそうにない。
しばらくはすきなひととの思い出を
抱きしめながら生きていく。

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