本日誕生日でした。

お久しぶりの更新となります。皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回何について書いていくかというと、僕のストⅢ3rdの遍歴について、です。簡単に言うと、遺書です。

遺書と聞くとなんだか物騒なイメージですが、自殺願望があるとか余命いくばくもないとかそういった話ではありませんので、そこはご安心を。

スト6の隆盛を嬉しく思いつつも、それによってタイトル間での人の横移動も多く発生して寂しくなっちゃったなーと感じている今日この頃。アニコレにもその波は例外なく来ていて、ただでさえ少なかったところからさらに人が減りました。

対戦環境が無くなれば、プレイヤーとしては死も同然です。対戦したくてもできないわけですから。そしてそれはもう今後いつ訪れてもおかしくない状況です。もしかしたら、明日には息絶えているのかも。誰にも見向きもされなくなってしまう前に、誕生日という良い区切りの今日、何か自分のこれまでの足跡となるものを書き残しておいた方がいいかなと思い立ち、こうして書いている次第です。

自分語り九割九分ですので、苦手な方はご注意を。


ストⅢ3rdとの出会い


僕がゲームセンターに通い始めたのは高校生の頃。友達に誘われてビートマニアやDDRをプレイしに行ったのがきっかけでした。
そこに、ストⅢ3rdが置いてありました。でも当時は、「なんでこんな古いゲームが未だに置いてあるんだろう」くらいにしか思っていませんでした。もっと他に新しい格闘ゲームはあるんだからそっちを置けばいいのに、と。今の僕を知る方にとっては信じられない話かもしれませんが、当時は本当に興味が引かれなかったのです。音ゲーの順番待ちの暇つぶしにちょっとプレイする程度でした。

それが変わったきっかけは、「ニコニコ動画」の存在を友達に教えてもらって、興味本位でストⅢ3rdの動画検索をして、背水の逆転劇を見つけてしまったことです。あれを見て、「ああ、あのゲームってこんなにかっこいいことができるんだ!」と衝撃を受けて、それから友達とプレイし始めました。僕の人生が狂った最初の瞬間ですね。

ただ、この時はまだ対戦にのめり込むほどハマったわけではありませんでした。ストⅢ3rdをプレイしていく中で、僕をゲームセンターに誘ってくれた友人のおかげで少しずつ友達が増えていきましたが、知らない人と対戦するのは怖かったし、知らない人に乱入なんかされたときは心臓が破裂しそうなくらい緊張して、早く音ゲーに逃げたい気持ちになっていました。友達同士での対戦ではそこそこ勝てるけれど、それ以外では全く勝てなくて、一人でプレイしているときは肉食動物におびえるキリンのような心境でした。

対戦にのめり込んだきっかけ


ゲームセンターでストⅢ3rdを遊び始めてから二年後。大学生となった僕は北海道を離れて八戸に下宿していました。
今は亡きG3ポロス八戸の二階で一人用を定期的に遊んでいたのですが、長らく遊んでいるうちに高ランクでのクリアを安定して取れるようになり、「対戦してみたい」という気持ちが湧き上がってくるようになりました。

しかし対戦機会はほとんど訪れず(数か月に一度まとまった対戦が出来ればいいというくらい)、困った僕は某掲示板に勇気を出して対戦募集の書き込みします。その書き込みに反応してくださったのが、BLUEさんでした。

当日ゲームセンターを訪れてみると、BLUEさんのほかに緑色のユリアン使いの方(焔さん)と、メガネに白Tシャツにジーンズの白いトゥエルブ使いの方(名前は聞きそびれた。春麗を使って、このキャラ汚ねーw といいながらげへへへへと笑っていたのが印象に残っている)がいらっしゃいました。
当時はすでにストⅢ3rd稼働から約十年。いずれの方も稼働初期からやりこまれているような猛者の方々でした。

これ以上なくぼっこぼこにされました。その日の僕は多分一回も勝ってないと思います。何十連敗したかも覚えていないくらいです。一人用をこなしてスキルが上がっていた自負のあった僕の自尊心は跡形もなく砕かれました。

あまりの実力差に悔しさも湧いてきませんでした。ただ不思議とストⅢ3rdをやめようという気持ちは全く湧いてきませんでした。あったのは、僕の書き込みにわざわざ応じてきてくださった方々へ非常に申し訳ないという気持ちでした。今考えると非常にぶっ飛んだ思考ですね。

僕とやっている間はきっとつまらなかっただろうな。だから、これから何としてでも実力を上げて、次回の対戦までにもっといい勝負ができるようにしないといけない。じゃないと、いつか掲示板で呼びかけても弱すぎてつまんないという理由で相手をしてもらえなくなってしまう。そういった強迫観念に襲われた僕は、ここからストⅢ3rdというゲームを本格的にやりこむこととなります。3rd人生の岐路というものがあるとすれば、間違いなくこの日です。当時の取り組みが、今の僕を形作ったと言っても過言ではありません。

対戦動画を見漁って、ゲーセンや家庭用(まだOEが出る前だったのでPS2)で真似をしたり、ゲレのフレーム表を相手ににらめっこしたり、それらを少ない対戦機会の中でちょっとずつ実践して……手探りで効率は良くなかったと思いますが、それでもある程度一人で上達する術を身につけられたのかなと。

結果、この翌々年に北海道に戻るまで、最初ほぼ0:10だった八戸での対戦相手のほとんどから、イーブンから少し負け越しという戦績までもっていけたのは大きな財産です。
勝ち越せなかったのなら大したことないじゃんって? いやいや、そんなことはないでしょう。なにせ、十年のプレイ歴の差をたった二年でこれだけ縮められたのですから。


長くなりそうなのでいったんここまで。次回はGAME41へ遠征していたころのお話から。

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