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”盗人にも五分の理” を認めるべきか?

 もう、10年以上前のこと。「教師がみたっ!! ”とんでもない親”」の話をテーマにしたテレビ番組をみたことがあります。その中で印象的な話がありました。
 ある教師が、万引きをして捕まった生徒のもとを訪れた際、その保護者がこういったそうです。

「万引きした、こどものことも、考えてあげてくださいっ!!」

 それに対して、教師は「んな、アホなぁ~。」とあきれ果てた表情をするさまが、VTRで紹介されていました。

 当時は、本当にとんでもないことを言う親もいたものだ、と学生時分のわたしも、一緒になって呆れたものでした。


 それから、時は流れ…。最近、デール・カーネギ―の「人を動かす」を読んで、いきなりこんな文言をみました。

「盗人にも五分の理を認める」

 それを読んで、あの日のテレビ番組を思い出したわけです。

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 万引きした生徒は悪い、それはそうだろうと思います。保護者の発言にあきれ果てる教師は、間違いではないはずです。

 一方で、本の内容からは、万引きした生徒を頭ごなしに否定することは誤りであると、読み取れました。

 たとえ相手が窃盗をした犯罪人でも、理解を示すべきだと、そう言いたいのでしょう。どんな人も、他人に理解されたいという欲求を持っています。それにもかかわらず、他人を非難すれば、相手は反抗的になってしまい、まともなコミュニケーションはとれなくなってしまいます。

 もし仮に、その時の保護者の発言が、教師の”なにかしらのあまりに行き過ぎた態度” をみるにつけ、『その態度は、あなたに対する他者の信頼を損ねますよ』を含意して、「相手のことを、もっと考えてみてはどうか。」と言ったのであれば…。

 過分に珍妙な発言にも、思えなくなってきます。

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 盗人にも五分の理。

 そんなことを、考えながら、他者と接するのがいいですかね…。

 簡単に答えを出すのが、難しそうであります。(過ぎたるは及ばざるがごとし、と、言ってしまえばそれまでですが) 互いに互いを尊重する心構えを持つ間柄である関係というのは、その親密度に関わらず、良質な人間関係に、なっていくように思えてきます。それは確かに、”人を動かす” には基盤になりそうです。

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 あの日みた、VTRの中の教師のあきれ果てた表情。それをわたしは、正義だと思っていました。

 なんとも安直な考えだったと、思い知らされます。

 一面だけを切り取ることによって、生じる誤解と、それに伴う人間関係の歪みは、すさまじく歩みを妨げることでしょう。


 ちょっとだけ、おおめの視座から。

 世界を眺めていきたいものです。


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