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源氏物語外伝・2千円札はなぜ消えた

いづれの御時にか、とある国のとある宰相、2千円札なるものを発行しようと思いついたのでございます。宰相は近侍する官僚を呼び寄せました。

「素晴らしい思い付きでございます」「そう思うか。ところで札の図柄だが、今までにない雅なものにしたいのだが」「素晴らしいことで」「ならば、宰相さま。源氏物語など使ったらいかがでしょう」

「それはいい。外国にも自慢できる。何しろ紫式部は、世界10大偉人の1人であるからのう」「源氏物語絵巻とかいう物があるらしいので、その方面から絵を取りましょう」「制作の過程は極秘としよう」「雑音が混じるとめんどうになるからの」

官僚たちの特別秘密チームが編成されましたが、委員たちの誰一人、源氏物語の「げ」の字も読んだことはなかったとか。いえ、うわさですがね。もし、読んでいたらあの図柄を選ぶなどありえないなかったでしょう。

一人が源氏物語絵巻を国会図書館から借りて持参しました。

「男女の濡れ事を連想させる図柄はまずい」「お札だからのう」「オンナが大勢登場しても拙い。印刷代がかかるし、華やか過ぎて重みがなくなる」

「国文学者など参加させたらいかがでしょう」「専門家が入ると、ことがめんどうになる。わしらで決めよう」「これはどうですかのう。オトコ二人が黒い、いかめしいしい服で向かい合っている」

官僚たちはその図柄を宰相に見せました。

「おお、これはいい。重々しいし、デザインが単純だ。印刷代もかからないだろう」「これだけでは寂しゅうございますので、お札の隅っこに紫式部の顔を出しましょうか」「それはいいのう」

とにかく「新札発行あり」の結論に向かって会議は進みました。

ちょっとだけ古典に興味のある官僚が差し出したのは『紫式部日記絵巻』のあるページ。酒に酔った男性貴族が紫式部の局の前にやってきて、「若紫はここにいるのかい」とナンパしたのですが、「あの物語は作りごと。いるはずないじゃない」と追い返された有名なシーン。

わたくしごとき古女房なら、これがナンパシーンということは知っておりますよ。

「紫式部は案外ブスであるのう」「まことに」「だが、昔の人の顔はこんなものであろう。この顔を出そう」と宰相は上機嫌でござったそうです。いえ、すべて、人づてに聞いたことでございますがね。

実は、わたしの知り合いの女房がその会議の記録係をしていましてね、教えてくれたのでございますよ。

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「ちょっとだけ文章も出そう。だれか選べ」「ははー」

というわけで国文に少し強い女性たちが呼ばれました。(めんどうなオジサンたち。少しは自分で勉強しろよ)と心の中で思いながら、「十五夜という文字ならだれでも読めますから、この字の辺りでいいのではないでしょうか」「同じ『鈴虫の巻』だから、間違いではないと思います」

そんな会話が交わされたかどうかは定かではありません。でもまあ、その場に源氏研究者がいなかったことは事実だとか。

さて、猛スピードで完成した2千円札。「雅だ」「日本的だ」「これが紫式部か」と官僚たちは自画自賛、うっとりとお札を眺めていましたが……

国文学者たちは目をむいて驚きました。

「よ、よりによってこの場面を……」「しかも、図柄に関係ない文章を……」「この顏は……最近の研究ではこの女性は紫式部ではない、紫式部付の女童であろうと言われております」「紫式部クラスの女房が、御簾を開けて顔を出すはずがない。絵の右奥の女性が紫式部だと今では言われているが……」

「それはどうでもいい。2千円札を使う民は、多分、2千円で何が買えるかだけを考えるから」「問題はメインの図柄……」

学者たちは顔を見合わせました。誰かが気づかぬはずはない。あまりに有名なスキャンダルシーン。源氏物語のハイライト。禁断の場面……。(トップの写真をご覧じあれ)

右手前が光源氏。左奥が冷泉院。二人は鏡に映ったようにそっくりなのです。実は冷泉天皇(若くして譲位、院になっています)は光が父帝の妻である藤壷と密通して生まれた子なのです。

二人は秘密を守り通し、子供は帝の子として、天皇に即位したのです!

やがて冷泉帝は実の父は光であることを知ってしまった……知られたと知った光は、それでも、あくまでも臣下として身を処している。

この図柄には出ていませんが、右下には光の正式な子である嫡男、夕霧が並んでいるのです。

いやはや、古代の人たちは、まことに意味深なシーンを意味深な構図で描いたものです。現代なら、とても、こんな絵は書けないでございましょう。現代というのは、「いずれの御時にか」より下った時代ということでございますが。

これは、世が世なら発禁処分になっていい場面。不倫の子が天皇として秘密の実父と向かい合っているシーン。

「こ、これがお札の図柄とは……」

学者たちは絶句。だれにも話すまいと思ったのでございますが、この事実は瞬く間に、学生たちの間に伝わりました。 

それから、何が起こったかは分かりませんが、ある時、この2千円札は突然、発行停止となり、表舞台から消えてしまいました。

お国の経営する「○○ギンコー」によると「使い勝手が悪いから」とのこと。まあ、図柄の意味を知っていようといまいと、ちと、使い勝手は悪かったようでございますが。

何事にも決定に時間がかかるこのお国にしては珍しいぐらい、すみやかな処置でございました。

ところで、わたくし、年のせいか、最近、惚けが進んだようで、今の話、適当に聞き流してくださいませ。

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