病室の声、出会いの春
ICUに入っていた時は、話す言葉もおぼつかなかった。これでカルチャースクールの講師に復帰なんて無理だと思った。
直ぐにワンランク下のHCUに移って、歩行訓練。
幾つものチューブに繋がれたまま頑張って看護師さんたちの詰所みたいなところを一回り、車いすに戻ったところで意識がなくなった(らしい)。
眼を開けると男性が二人覗き込んでいた。
優しい声で男性は「お名前は?」「ハセガワミチコ」「この部屋はどこですか」(なんだっけ。ICUじゃない。UC?これ缶コーヒーの名前だったよね。そうだ)「UFJです。違う、KCU」「いいでしょう。よかった。気がついて」「私、気を失っていたのですか」「そうですよ」
それが最初の会話らしい会話だった。
今まで寝ていたのに、立って歩いたから全身の血が下がって立ちくらみのような症状を起こしただけで心配ない、と主治医。
あのときの二人の男性の顔と声。焦りに焦っていた表情。優しい声。
テレビドラマのシーンみたい、と私は思っていた。ドラマの登場者になったみたい。ついでに薄幸の美人になったようでロマンチックな気分。
こんなに皆に心配されちやほやされるなんてもう一生ないよ、きっと。
次に特別室、ここはお金の発生しない個室だ。後で知ったことだが。
一晩中、廊下で女の子と母親らしい声が笑って喋っている声がした(ような気がする)
子連れで働いている女性みたい。一晩中、子供も一緒にお掃除してる?それにしてもなんて楽しそうな親子。あの女の子の笑い声。預け先がないから母親が子連れで働いているんだ、きっと。
明け方まで、女の子と母親の笑い声と話し声を聞いていた(ような気がする)あれは幻聴だったのか。
次の一般病室は4人相部屋に二人という状態。
向かい側の患者には昼間から大勢の人が集まり騒いでいる。まるで宴会みたいだ。
笑い声、ぼりぼりと菓子袋を破る音。箸やスプーンを打ち合わせる音。そのあと、チーンとお鈴を鳴らすような音。
新興宗教の団体だろうか。病室で宴会なんて厄介な集団だ。やっと集団が帰り夜になると、一晩中、ポリポリとせんべいかスナック菓子を食べている音。
やがてその音は私を取り巻き、回り中に、スナック菓子の音が聞こえてきた。半端な音じゃない。なぜ看護師さんは注意しないのだろう。
ああ、我慢するしかない。相部屋の人と気まずくなりたくないから。
私は物を食べる音に包まれたまま明け方眠りについた。
あれはすべて幻聴だったのだろうか。
退院近く、すっかり元気になったころ、隣のベッドに入って来た患者さんが小さな声で「外見たいのでカーテン開けさせてもらいます」と誰にともなくささやいた。
私は起き上がり、窓辺に行った。わたしぐらいの年齢の女性が振り向いてにっこり笑った。
「あそこに富士山が」と彼女。
「わー、綺麗。あっちの山は」
「多分、赤城連峰です」と彼女。
景色のことや ドクターの品定めやら話しているうち、とても気が合うことが分かり、どちらからともなく電話番号を教え合った。
「あなたが手術終わって4日目頃、ショートメール送りますね」と私。
「心強いです。良い友達が出来て」
「私たち癌友ね。コロナが収まったらお茶でも飲みましょう」と私。
退院し、庭の白い梅の花を見ながら、ああ、彼女が手術してからもうすぐ4日目。メールしなきゃ。と指折り数えている。
あなたに出会えてよかった……。
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