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安曇野絵本館が消えていた!


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大量の脱落者を防ごうと「note」はバッジ制度をとりいれた。おびただしい数のバッヂだ。数えたわけではないが、百近くあるのではないのか。よくもまあ、こんな大量のバッジをつくりだしたものだ。なんなんだい、この大量のバッジの葬列(誤字ではない、行列でなく葬列である)は。おめでとうございますととも貼り付けられるこのバッジは、まるで小学一年生に貼り付けてくるみたいだ。作文を一枚書いたらバッジをあげますよ。二枚書いたら二つ目のバッジをあげますよ。三枚書いたら三つ目のバッジをあげますよ。しかしいまの小学一年生には、こんな安っぽいバッジは通用しない。幼稚園か保育園の児童たちには通用するだろう。ということはこのバッジ制度を組み込んだ「note」の創業者や運営者は、「note」の会員の知的レベルを幼稚園児童、保育園児童のレベルだと想定しているのだろう。いや、そうではなく「note」の創業者や運営者の知的レベルが、実は幼稚園児童、保育園児童のレベルだったと書くほうが真実をついているということかもしれない。
こんな空手形のバッジをいくら貼り付けられたって人は励まされない。会員だれもがわかっていることだった。この大量のバッジは「note」が上げる悲鳴の叫びなのだということを。記事を書いてくださいよ、どんな記事でもいいから書いて下さいよ、お願いしますよ! 鋭敏なる会員ならばさらに鋭く見破っている。このバッジなるものは、欠陥のシステムで成り立っている「note」のその欠陥を補強しようとするためのものだということを。こんなバッジをいくら貼り付けたって、インチキ補強なのだからなんの役にも立たない。言ってみれば、笊で水をすくうような補強である。

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安曇野絵本館が消えていた

 十年ぶりに安曇野を訪れたのだが、そこで私は一つの衝撃を受けるのだ。安曇野絵本館が消えていた。安曇野の森に、廣瀬さんが夫人とともに何千個、何万個の石を積み上げて、その砦の上に夫婦で組み立てていった絵本館だった。
 廣瀬さんはもう一年前に亡くなっていた。何事にも妥協しない高度なセンスで造形された絵本館の建物は、シューズショップになっていた。私たちの世代の意志が、希望が、理想が、戦いの砦が、ここでも消えていた。こうして私たちの世代は歴史の底に消えていくのだろうか。人生とはこういうものなのか。
 廣瀬さんは「草の葉」に六回ほどエッセイを寄稿してくれた。石清水のようにこぼれ落ちてくる言葉の精で紡がれた一級のエッセイだ。「草の葉」はもっと存続すべきだった。もっともっと彼に寄稿してもらうべきだった。いまともなってはかなわぬ夢となってしまったが、こういう方法がある。彼のエッセイをこの不毛の大地に植え込もう。そして彼の魂と彼の言葉が、群がりしげる葉となってきらきらと光る木に育て上げよう。

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    魔法の瞬間(とき)    廣瀬嗣順

 夕暮れ時、太陽が沈んでしまった後、残照でまだかすかに明るい時、その美しさに見とれていると、みるみるうちに光りが消え入ってしまう。光ある日中の映像が頭から静かにはがれ落ちてゆく。心地よいが妙に不安な感覚と匂いが心の中を満たす。
 絵本館での仕事を終え、外に飛び出すと、北アルプスの稜線にすでに陽が沈んだ後の得も知れぬ一瞬の美しさに出逢うことがある。呆然とそれに見とれていると、あっという間に闇に打ち消されてしまう。この闇に打ち消される直前の残照を、『魔法の瞬間』というらしい。

 安曇野での生活は、私の心から忘れ去った遠い記憶を時折々に想い起こしてくれる。ふうっとした風とか、夏の強い陽射しとか、雲とか、遭遇した一瞬の場面が引き金となって忘れていた心の片隅を堀り返してくれる。
 何故かこうした時、決って心地よい倖せな記憶でなく、心淋しい不安にかられた気持ちが湧き出してくる。アルプスの稜線に沈んでしまった残照を見る度に、得も知れぬ所在なさげな気持ちになる。多分、誰もが子供時代に経験するだろう自分の居場所がふうっとなくなるような底知れぬ不安感によく似ている。
「ただいま!」
 と云うやいなやランドセルを放り出し、数多く残っていた空地でメンコやビー玉といった遊びに夢中になって、時の経つのも忘れ、あたりが光より闇の比率が多くなってくるのにハッと気付く。「おい腹へったな」まわりの家いえに灯がともりはじめ、夕げの支度に美味しい香りが大気一面に漂い始める。「帰ろうか」「うん」「じゃあね」と云ってクモの子を散らすかのように、それぞれの家路に着く。

 あれ程、明るかった世界がにわかに闍の世界へと包まれてゆく。その路すがら自分の所在なさに心細くなって妙な不安感が心を支配しはじめる。やがて歩く足も足早になって、はやく暖かさに逢いたくなる。小津安二郎が描く昭和二干三年代の風景と折り重なって、台所に立つ母の着物と割烹着姿、そして鍋から吹き出している湯気、家に辿り着くと表現できないような安堵感で体中暖かくなってゆくのが感じられた。
 不安と侘しい心が、灯のともった家と母の姿で氷解してゆく。あの得も知れない暖かさが今は懐かしい。失った原風景が、ある時ある場所に出会うとよみがえる。心の意識のタイムスリップとなる。その瞬時、大人である自分でなく十歳前後の等身大の自分に出会うことになる。

 こうした風景に出会うと子供の頃の原体験が心の隅まで棲みついていたことがわかる。日常では心に張り付いてなかなか顔を見せないでいるのだが、ひとたびある風景に出会うとはがれ落ちて予期しない映像とみせてくれる。
 こんな時こそ、子供時代、遊びを通して色々なものが感じられたことに気が付きもする。一緒に遊んだ子供たちの顔々、身なり、会話、大気の香りさえもよみがえってくる。でもやはり楽しかったことではなく自分の存在の稀薄になった不安、生と死、光と影といった相反する恐怖のイメージが「魔法の瞬間」を境に心を支配することになる。
 果たしてこうした所在なさは子供時代だけのものだろうか。静かに目を閉じて、想い起してみると、今までいつも自分の居場所を探し歩いている気がする。大袈裟な言い方かもしれないが、人生のテーマがあの子供時代に感じた見知らぬ場所を彷徨う時の、あの不安や違和感の穴埋めであるような気がしてならない。
 ここでの生活は、私の心の中で様々な映像を写し出してくれる。たぶん心のゆとりがなせる魔法であるかもしれない。経済の流れや時が目まぐるしく過ぎ去ってゆく社会の中で、ふっと立ち止まることを忘れてしまう。それが「大人になったこと」と呟いてしまうこともある。

 心が解放され、穏やかな時の流れに身をゆだねていると、生活の身近な周辺にも心を満たしてくれる事柄が一杯あることに気付く。東京で生れ育った私が今、こうして安曇野という地で、絵本を素材に生きているのもあの子供時代に感じた自分の居場所探しの延長であるかもしれない。
 そして今、私の子供たちがどんな想いで学校から、あるいは遊びから家に帰ってくるのだろうか。片道四、五キロの帰路を同じ「魔法の瞬間」を見ながら、同じような足取りで家路を急いでいるに違いない。心に一杯の不安を抱きながら‥‥。母の姿を発見した時、「ただいま!」と云うと同時にホッとした安心感が心を満たす。そして、私とおなじように原体験をいっぱい心に張り付かせながら、自分の居場所を探し続けるだろう。
                       (安曇野絵本館)

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