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ザ・リバー  真崎義博


 この本はヘンリー・ディヴィット・ソローの有名な『ジャーナル』から抜粋した文章を、ダドリー・C・ランドが編集したものだ。『ジャーナル』に書かれたソローの川の深い関わりを示す部分から抜き出して春夏秋冬という一年のサイクルを構成し、川の四季の表情とそれに対するソローの感性を浮き彫りにしている。

 ぼくはもう十年以上もまえに、やはりソローの『森の生活(ウォールデン)』(宝島社刊)を翻訳した。そして今この「ザ・リヴァ-」を読んで、あらためてソローの自然に対する観察眼の鋭さにびっくりさせられている。元になった文章は『ジャーナル』が示すように日記だ。日記というのは日常生活の時間の流れのなかで見聞したこと、感じたことを肩肘張らずに書き留めるものであり、出版ないしは雑誌掲載を前提として書く文章とは、書くときの態度がちがうはずだ。

 つまり、日記には書く者の自然な態度、無意識的なものの見方・感じ方が表現される。とすると、この本を読むかぎり、ソローは日々の生活のなかでまったく意識せずに自然を観察していた。逆にいえば、そうすることを目的して、自然を観察していたのではないかということになる。まさに、「そこにどんな植物が生え、どんな動物が棲んでいるか、そうしたことを熟知した土地だけが、ぼくにとってぼくのテリトリーだと断言できる土地なのだ」というゲイリー・スナイダーのことばどおりではないか!

 この本からもわかるようにソローの観察眼はひじょうに鋭いものだが、同時にこれまたひじょうに素朴なものだ。動植物学の専門知識などどこにも見られない。ここからもソローにとっての自然が「学」の対象などではなく、彼の人生の一部だったこと、彼自身が自然の一部だったことがよくわかる。あえて言えば、ソローは自然を観察などしていず、むしろ自然をその内側から記述しているにすぎないのだ。しかし、この「すぎない」ことがいかにむずかしいことかは、現代の人間が自らの生活を一瞥しただけですぐに納得できるはずだ。

 こうした意味で、現代のナチュラリストやアウトドア派がこの本から学ぶべきことはたくさんあるだろう。彼らはつねに「自然」を観察しているのだから、自分と自然とのあいだに、絶対に越えることのできない一線を自ら引いてしまっているのだ。(あるいは引かざるをえない状態に閉じ込めているというべきか?)。
 声高なスローガンとは無縁なこの本は現代に、静かで穏やかだからこそなおさら強烈な、鋭い警鐘を鳴らしている。
ヘンリー・D・ソロー 真崎義博訳「ザ・リバー」(宝島社刊1993年刊行)

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