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トロッコ少年のこと   帆足孝治

あいこの12

山里子ども風土記──森と清流の遊びと伝説と文化の記録   帆足孝治

 そのころ機関庫の裏には、玖珠川の河原から石を採取してきてこれを砕き、線路の路床に敷く砂利を作っている砕石工場があって、このあたりでは珍しく騒音 を出す工場だったが、ここには玖珠川から石を運ぶためのトロッコがあって、夕方、砕石工場の作業が終わると、従業員たちはトロッコをひっくり返して帰宅した。まちがって子供たちがトロッコを動かして大怪我でもされては大変だから、子供の力では起こせないよう完全にひっくり返し、脱線させてから帰るのである。

 小学校に上がって、そのころ官舎にいた同じ機関車好きの中園君と私は大の仲良しだったので、放課後よく誘い合ってトロッコに乗りに行った。中園君は私に輪をかけた汽車好き少年で、私と違って機関車の部分の名称などもよく知っていたから、私はだいたい彼にはいつも一目置いていた。彼が何よりも偉いと思うのは、汽車が大好きでありながら学校の勉強もよく出来たことである。

 私は、汽車が好きな子は勉強が出来ないつまり、趣味に熱中する子供は勉強する時間がそれだけ少ないのだから、勉強ができないのは当たり前だと勝手に思い込んでいたものだから、中園君に会ってみて、彼が私とは違って両方を見事にこなしているのを知って、本当に彼は偉いと感心した。なぜなら私には彼の真似は出来ないと思ったからである。

 私は、採石工場のトロッコに乗る楽しみをこの中園君に教えてもらったのだが、あのまじめで級長までやったことのある優秀な中園君が、大人たちがやってはいけないといっていたトロッコを、大人たちの目をかすめて大胆にやるのには驚いた。先生のいうことをよく聞き、クラスでも真面目で通っている彼のどこにそんな勇気があるのか私には不思議だった。

 彼からトロッコに乗ることを誘われた時、初めは私の方で尻込みをしたくらいで、絶対にやってはいけないと言われていたトロッコに無断で乗るということはそれくらい悪いことだった筈である。その悪事に級長だった中園君があえて挑戦しようというのだから、出来のわるい私が断る理由はない。それで一も二もなくトロッコに乗ってやろうという相談がまとまったのであった。

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 そして決行の土曜日、私たちは工場の人達が帰ってしまうまで、中園君の家で仲良く遊んだ。お昼のサイレンがなって作業がおわると、従業員たちはいつものようにトロッコを全部ひっくり返してから帰って行った。さあ、これからは僕たちの時間である。 私たちは子供だったが、大人たちが考えるほど力が弱くはなかったから、誰もいなくなるのを待って、私たちはひっくり返されたトロッコを満身の力を込めて引き起こし、力を合わせて線路に乗せた。

 トロッコの線路は、くにゃくにゃとカーブしながら玖珠川の河原まで続いていたから、線路にはめて少し押していくと、あとはトロッコは川までの下りを実に軽快に走った。私たちは二人で力を合わせて、すこし押して慣性がついてから、トロッコに飛び乗る。下りにかかるとトロッコはどんどん加速して、危険なほどの速度になって、あっという間に玖珠川の河原に降りてしまう。転覆しないよう、行き止まりの少し手前で飛び下りて、力を合わせてトロッコを押しとどめるのである。帰りは砕石工場までずっと上りで、トロッコに乗ることはできないので、わずか数十秒で下っていった路線を大変な思いをしながらエッコラエッコラと押して登るのである。

 トロッコの楽しさを知らない人には、何をそんなに苦労してまでトロッコに乗りたいのかと思うだろうが、惰性がついて走るトロッコに乗って仰向けに寝転んだ時の気分に勝るものはそうざらには無い。全身に響くレールの継ぎ目のガタンゴトンという振動に身をまかせながら楽しむ、わずか数十秒の快感は何ものにも代え難いものである。

 うっかりすると行き止まりの手前で飛び下りるタイミングを失する恐れもあるから、おちおちとはしていられないが、そのわずかな間にトロッコの上から白い雲の浮かんだ青空を仰ぎ見て、その広さを満喫できる幸せは最高だ。機関庫の脇の小川にかかった短い鉄橋をわたるときは、わざとトロッコの端の方に乗って、川の上に身を大きくのり出したりした。こうした壮快な気分が味わいたいばっかりに、見つかれば大目玉を食う危険を冒しても、また明日もトロッコに乗るのである。

 中園君の汽車好きは本モノで、彼は九大工学部を卒業するとすぐ国鉄に就職、ずっと技術畑を歩いたが、東京オリンピックに備えてわが国に初めて新幹線が開通するという直前に、私はそれまで長い間音信が途絶えたままになっていた中園君から突然声がかかり、小田原と新横浜の間を試運転する車両に試乗させてもらったことがある。豊後森の機関庫裏でトロッコに乗って遊んだ二人の仲良しの汽車好き少年たちが、まさか新幹線の試作車車両の試運転にともに試乗できるとは考えもしなかった。

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