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二人は性愛の世界に、心と体を溶かしていった

 三か月前もそうだった。実朝は、幕府に大船の建造を命じた。果たして、幕僚たちは猛烈な抵抗をした。貿易船の建造など絵空事だと。陳和卿の法螺話に乗ることだと。しかし実朝は、それらの抵抗を押し切って、船と港を建設させたのだ。
 
 それは実朝が、はじめて成した大きな政事的な決断だった。船は竣工した。しかしその船は、海に半身を乗り出したとたん、船底に海水がどくどくと浸水してくる始末だった。鎌倉中を、笑いの渦に巻き込むばかりの、茶番の劇を演じただけだった。港を塞ぐこの船の始末に困惑した幕府は、陳和卿と建設にあたった棟梁をこの船の柱に縛りつけ、船もろとも炎上させるという荒々しい処分にでた。その夜もまた、実朝は兼子の肉体を執拗に求めたのだ。砕け散った自分を、必死に支えるかのように。兼子は実朝の精神を支える女になっていたのだ。
 
「公暁(くぎょう)が戻ってくるのだ」実朝は半身を起こして、横たわる兼子の乳房を愛撫しながら言った。
「そのことは、母上からも聞いております。公暁さまが京より戻ってくることが、そんなにうれしいことでございますか」
「父の血をうける男児は、もはや公暁と二人だけになってしまった。いまこそ二人は散り散りに生きるのではなく、身を寄せて生きることが必要なのだ」
「これも母上のお話ですが、公暁さまは、最近しきりに殿のお歌を筆写なさっているそうですよ。一字一字書き写すことによって、殿のお心を知ろうとなさっていると」
「公暁は、歌なるものとは縁がなかった少年であった。歌をつくるなど、武士のすることではないといった眼で、おれを見ていたはずだ。それがまことならたいした変わりようだな。しかし公暁が、筆写したというおれの歌は、もう過去のものだ。ひたすら背のびをした幼稚な歌ばかりで、いまでは恥ずかしい」
「そうでしょうか。殿のお心がいっぱいにあふれているお歌ではございませんか。私もときどき殿が分からなくなるときがあります。そんなとき、あのお歌の数々を読むのですよ。きっと公暁さまも、筆写することで、殿のお心を知ろうとなさっているのです」
「公暁は大きく成長したようだ。鶴岡宮の別当に就かせるなど無謀だという声があちこちから聞こえてくるが、彼はその仕事を十分にこなしていくだろう。おれには、しなければならぬ仕事がある。その仕事に踏み出さなければならぬ。父がこの鎌倉の地に、幕府を打ち立てたのは、三十五のときであった。そのときが、おれにも迫っている。そのために公暁を呼び寄せたのだ」
「私は殿のお考えが、おぼろげながらわかっております」
「そのこともわかっているのか。まだ誰にも話していないことを」
「夫婦とは、心のなかまでもわかるものでございます。殿がなさんとするお仕事が、どんなに大きなお仕事であるのか」
「おれには世継ぎがない。だからこそ急がねばならぬのだ」
 
 そのとき兼子は身を起こし、絹衣をかきあわせ裸体を包むと、なにか悲しみに顔をくもらせて、「私にはお子が生まれませぬ。お子は天の授かりものと言いますが、私は天から見放されているのでしょうか」
「なぜそのようなことを言うのだ」
「私は天から恨まれているのではないかと思うばかりです」
「そうではない。それはそなたの罪ではない」
「殿が側室をおつくりになられたら、私はきっと嫉妬で苦しむでしょう。殿のお心が、その方に移られていくのを見るのは辛いことです。しかし殿が大きなお仕事を成すために、そのお仕事がその子に受け継がれ、またその子が次の子に受け継がれて完成されていくものなら、殿が側室をつくられ、その方がお子をお生みになることは、仕方がないこととあきらめもつきます」
 
 実朝は、兼子をひしと抱き寄せて言った。
「兄は、あちこちの女に手を出し、あちこちに側室をつくった。しかしそれは、心をゆだねる女に、遂に出会わなかったからなのだ。大きな空洞をかかえたままの女漁りであったように思える。多くの女を愛したように見えるが、結局一人の女も愛することはなかったのだ。おれは違う。おれにはそなたがいる。おれはそなた一人で十分なのだ。そなた一人でおれは深く満ち足りている。子ができないのはそなたのせいではない。そのことに少しも苦しむ必要はない。おれに子ができぬということは、むしろ神と仏のお導きではないのかと思うばかりだ」
「そうでしょうか」
「おれの子供ができたらどうなるか。兄の子供たちを見るがいい。謀略のなかで哀れ短い生命を閉じた。生れ落ちたときから争いの運命に弄ばれ、あげくの果てに権力をせしめんとする愚かな人間たちの野望の餌食になった。おれにもし子供ができたら、まったく同じような運命をたどるだろう。我が子にそのような運命を与えるなら、子供など生まれないほうがいいのだ。子供ができぬことがおれに与えられた試練ならば、おれはこの試練に潔く殉ずるだけだ」
 兼子は実朝に腕を巻きつけて、一つになれよとばかりに抱きしめる。二人はまた性愛の世界に、心と体を溶かしていくのだった。


 
 
 
 
 

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