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我が家に泥棒が入った   菅原千恵子

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  愛しき日々はかく過ぎにき  菅原千恵子

 父は、一年前から仕事のことで悩んでいた。父が専門としていた馬は、終戦を境に激減し、時代は酪農に移っていこうとしていたからだ。毎日夜遅くまで、酪農に関する資料と首っ引きで勉強している姿を私も見て覚えている。父の悩みは、自分の専門性を活かせないということと、このままの公務員で居続ける限り、三人の娘たちに満足な教育をしてやれるか分からないという不安でもあった。当時の父の月給ではそれをかなえるのは厳しかったのだ。そんなとき、学校給食に、脱脂粉乳が用いられるようになり、国全体が酪農の必要性を感じ始めてきたときでもあった。

 時を同じくして開拓農民の間では、開墾地で乳牛の放牧をするのが一番経済性が高いと思う人たちが集まって、酪農協同組合を結成しょうという動きが起こっていた。そのための指導者として父は誘いを受けていたのだ。毎日眠れない夜が続いたと、後に父は語っている。給料が少なくても、公務員としてこのまま居続ければ、お役人として世間にも幅がきく。

 民間の中にはいるということが、どんなことなのか父には想像がつかないのだ。これまでは自分が許可を出したりしていたことを、逆の立場になって許可を仰がなけれぱならない立場となるのだ。しかも、組合が成功するかどうかも先のことは誰にも分からない。
 父は、先輩や、母に相談して、とうとう新しく発足した酪農組合に移る決心をしたのだった。
 
 この年の秋は、いろいろなことがたくさん起きた。まず、我が家に空き巣泥棒が入ったことである。長い田舎生活が身にしみついていて、私たちは、家を留守にするときでも鍵をかけるという習慣を持ち合わせていなかったのだ。母は、買い物に出かけ、私は、洗濯やの姉妹と物干し広場で遊んでいた。ゴンタが激しくなくので、私たちが楽しそうに遊んでいるその仲間になりたくて吠えているのだと私は勝手に解釈し、ゴンタを広場に連れてきてつないでいた。

 一時間ぐらいして、違う遊びに移るときに、再び家に連れ帰って、つないだ。夕方になっていえに帰ると、母が、なんだか変な顔で私を迎え、聞いた。
「ちいちやん、汚い足のまま家に中に上がってこなかった?」
「一度も家に帰ってこなかったよ。今が初めてだってば」
「あらあ、んだら、この土はなんだべ。ほら、土が畳みについてるんだでぱ」
「ほんとだ。あっ、ここにも」
 私はこたつの前においてある座布団の下にある土を見つけていうと、毋があわてて座布団をひっくり返した。

 すると、座布団の裏にはどろ靴をこすりつけたような汚れが、べったりとついていたのだ。
「誰かこのうちに入ったんだわ」
 気の抜けたような頼りない母の声だった。私は、恐る恐る聞いてみた。
「誰かって、泥棒? 家に泥棒が入ったんだえか」
 私の質問に、母は、バネではじかれたように、いつもお金を入れている引き出しに駆けつけ、開けてみるなり、悲鳴のような声を出して引き出しに倒れ込んだ。
「ないでば、ないでば、みな持って行かれてしまったでば」

 母は、昨日の父の給料を電気代とか、姉が習い続けている踊りの月謝代とか、それぞれ封筒別に分類し分けていたのだという。それが袋ごと全部なくなっていたのだ。母は、すぐ洗濯屋の奥さんに伝え、警察に電話をかけてもらった。洗濯屋の奥さんは、あわてて飛んできたが、ただ驚くばかりでどうすることもできない。二番目の姉が帰ってきたので、私は家に泥棒が入ったことをすぐ知らせた。ほどなく刑事がやってきて、指紋をいろいろとって、私や母の話を手帳に書き込んだ。

 遊んでいて、何か物音のようなものは聞こえなかったかと聞かれたが、そんなものはしなかったと答え、そばで見ていた洗濯屋の姉妹も同意したので、刑事はつぎの質問に移っていった。そして、ゴンタの存在をチラリと見ながら、飼犬も反応なしとつぶやいて、手帳にメモした。私は一瞬あの時だと思ったが、とてもいまさら言えたことではない。体中熱くなりながら、私はだんまりを決め込むことにした。私はきっと、卑怯な人間なのだと自分を責めたが、やはりワシントンのような正直ものにはなれなかった。

「給料の全部をとられたんですね」
「はい、何もかもです。今あるお金は、私の財布にある五百円だけです」
 母は、蚊の鳴くような声で答えると、よほど情けなくなったのか、割烹まえかけの裾をたぐりよせて涙を拭いた。母が泣いていると思うとものすごく心細く感じられた。一番上の姉が帰ってきた。姉はこの春から高校生となって、電車で通学している。家の中で起きていることを知って、姉は絶句し、鞄もおかずに立ち尽くしていた。

 刑事は、特別な物的証拠がないので、まず現金は戻らないだろうと言った。そして、帰りがけに、私たちをよほど気の毒だと思ったのか、少しお金を貸して行きましようかと母に尋ねたが、母は、丁重にその申し出を断った。あいにく、この日の夜は父が出張で、家に帰ってこない。私たちは、夜になるほど恐くなり、誰かが障子の陰に潜んでいるような気がして、体を寄せあって眠った。四人は、布団に入ってもなかなか眠れそうになく、あれこれ話し込んだが、母は、すぐにでもみんなに言いたかったことだったんだけどと前置きしてからいった。

「やっぱり、刑事というだけあって、今日の刑事さんも目が鋭かったおんね」
「でもいい人でよかったっちやね」
 と私。私は、子どもの話に熱心に耳を傾け、手帳に書き込んでくれるなんて、すごい人だと思って内心感心していた。それでも、母がいった、刑事さんは目が鋭いということばを聞いて、目の鋭い人は、悪い人なのか、目が鋭くなければ刑事になれないのかと問うと、母は、刑事を長くやっていると、自然に目が鋭くなるのだと答えた。

 私は、どんぐりのような目の人が、刑事になって月日が経つといつのまにか、麦の実のような目になってしまうのかも知れないと想像した。若い頃の写真ではまん丸の目で写っているのに、年を取ると狐の目のようになるのだとしたら写真のあまりの違いに、奥さんも、子どもも、誰なのか分からなくなるのだろうかと考えると、おかしくて笑ってしまった。

「洋服ダンスにお父さんのオーバーを出したばっかりだったし、あれを持って行かれたら本当に困ったよわ」
 毋が、オーバーがとられなかったことにほっとしていると、一番上の姉がいった。
「お母さん、刑事さんもいってたじゃないの。最近の泥棒は、現金しか狙わないって。品物だと、足がつくってね」
「本当にね。時代が変わったんださね。服が盗まれないんだものね。あああ、明日、どこかへお金を借りにゆかなっくちやなんないんださ。どこにいったらいいんだか」

 泥棒に入られたばっかりに、昔話に出てくる貧乏なおじいさんとおばあさんみたいに、お金や、お米を借り歩く生活になるのかと思うと、母の嘆きを聞いて、なんだかわびしくて、涙が出そうだった。
「それにしても、ゴンタは番犬としては失格だね。泥棒に入られても吠えない犬なんて、聞いたことがない」
 母も姉たちも、嘆きが怒りに変わるほど、そのことに話が集中した。私は、もう胸がドキドキして、心の中で、ゴンタごめんといいながら、寝たふりをして、話に交じらないのを怪しまれないように装っていた。

 翌日、父が少し早めに出張から帰ってくると、母は、父に駆け寄り、すがって泣いた。
「お父さんに申し訳ないことしてしまったのっしゃ。泥棒に入られて、月給全部もって行かれてしっまったんだおん」
 父は驚いて、ちょっと顔色が青ざめたけれど、起きてしまったことは仕方がない、それよりも、お金だけですんだのならかえって良かったよ、といってとがめるどころか逆に私たちを励ましてくれた。

 私も父にすがりながら、お父さんがいなかったので昨夜はものすごく恐かったと訴えた。父が帰ってきたことで、私はいっぺんに安心し、急に元気が出たのだった。その後も泥棒は捕まることはなく、お金も戻っては来なかった。そして、ゴンタだけが、泥棒が来ても吠えない困った犬という烙印を押され、私はその話になると、いつも胸がキリキリと痛むのだった。

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