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日本の川下り  2

 翌日、暗いうちに大岡さんをひろって松本を抜けた。二時間も走るともう車は深い山のなかだった。道の下を朝の光を浴びてきらきらと光った高瀬川が流れていく。やがてその山道は舗装道路ではなくなった。ごろごろと石のころがった山道は、四WDをゆさゆさと船のように揺らした。
 車は山道を左に折れて、急な傾斜道を下って、川におりていった。川はゆるいカーブを描いて、そこに広い草地をつくりだしていた。そこがこれから三日かけて下るスタート地点だった。私たちはカヌーやテントやシラフやヘルメット、それにたっぷりと買いこんできた食糧をおろした。
 大岡さんは翔太に、
「いいか、翔太君。ガッツだぞ。ガッツ。どんどんつっこんでいけよ。川っていうやつはな、人間をみるからな。甘ったれてるとがばっとやられるぞ」
そして私には、
「果実ちゃん、うんと沈してこいよ。沈するたびに女の子は色っぽくなるんだから。なんといっても女の子は色っぽくなくっちゃあ」
 と言ってまたガガガガと笑った。
 大岡さんは派手なクラクションを鳴らして、あっという間にその姿を山にかくした。私たちの四WDを町まで運んでくれるのだ。

 私たちがファルトボートを組み立てているとき、翔太はもう待ちきれないとばかりに赤いカヤックに乗って川にのりだしていた。そしてわざと沈させてばしゃばしゃと川とたわむれていた。うれしさが体の底から躍動しているみたいだった。
 衣類や食糧を小さくわけてビニール袋にパッキングし、それをさらに防水バックにいれて、それぞれの艇に積み込んだ。さあ出発だ。私もするりと足をコックピットのなかにいれて、そろりと川にのりだした。パドルで水をつかんでいく。右、左、右、左と川を掃くようにパドルをあやつる。前を翔太のカヤックが走っていく。一年前どことなくひよわで幼かった翔太は、がくっがくっと力強く水をつかんでいる。ずいぶんたくましくなったなと思っていると、
「果実、なかなかいいぞ。ずいぶんうまくなったな。もうお母さんよりもうまいぞ」
 と父が私のそばによってきて言った。
「そう、果実のパドリング、絵になるよ」
 と母も言った。

 深い渓谷を川はのんびりと流れていた。静かでおだやかな流れだった。カヌーの舳先が気持ちのいいほど水を切って突き進んでいく。しかし川は生きているのだ。水の力がパドルを通して伝わってくる。青くちょっと不気味な色をたたえた水尾の流れは速く、水は重かった。
 川がカヌーをたたきはじめた。そこは昨日大岡さんが言っていた七十センチ級の波が立つ大岩小岩の瀬だった。ばちゃばちゃと水がはげしくカヌーをたたく。川が落差をつくっているからだ。その落差が大きいほど高い波が立つ。
 ばしゃばしゃと全身に水しぶきを浴びながら、波のなかに突っこんでいった。緊張の一瞬だ。パドリングをやめたら沈してしまう。つねに波をつかんでいること、川の流れよりもはやくパドリングをすること。それは父がいつも言っていることだった。
 瀬が連続してあらわれた。しかし私たちはだれも沈することなく下った。大岡さんが言っていたほどのことはなかった。
 その日のツーリングは、ピラミッド広場と大岡さんが呼んでいた所にテントを張ることにした。ピラミッドのような岩があるからそう呼ぶのだと言っていたから、さぞ巨大な岩なのだろうと思ったが、おむすびのような小さな岩があるだけだった。

 父と母は久しぶりのツーリングで疲れたのか、あるいは年のせいなのか、ちょっと昼寝だと言ってテントのなかでぐうぐうと眠りこんでしまった。私と翔太はゴーグルとシュノーケルをつけて川のなかに飛び込んだ。水のなかに魚の影をみた。ひゅるひゅると素早く逃げ去っていく。ヤマメだ。それはこの川が少しも汚れていないことを物語っているのだ。
 今夜のカレーは子供たちがつくることになっていたので、私は川から上がるとお米をハンゴウにいれてさらさらした水で洗った。それからニンジンとジャガイモを取り出し皮をむきはじめた。翔太が火をおこす役だった。私は翔太にまた言った。
「翔太、もういいかげんにしてよ」 
 しかし川のなかにいる翔太は、もう少し、もう少しと言うばかり。
「もう少し、もう少しって、いったい何回もう少しなのよ。あんたね、そんな態度で、ご飯が食べられると思っているの」
 と私は母みたいな声で言ってしまった。

 その夜、私たちはしみじみとした気持ちで焚火をかこんでいた。あたりは怖いほどの闇だったが、ぱちぱちと燃える焚火のまわりだけは、あたたかさとやすらぎがあった。川はざわざわと流れていたが、その音は少しもうるさくない。むしろ深い静寂を刻みこんでいるようだった。空を見上げると星がふるばかりにまたたいている。父も母もこの静かにふけていく夜を味わっているようだった。
 父はウイスキーを入れた銅のカップを手にしてにこにこしているし、母もまたこの川で割る水割りは最高ねなどと言ってちびりちびりと飲んでいる。
 そのとき父が、
「果実と翔太に言っておきたいことがあるんだ」
その言い方がおだやかな口調だったから、私もまた軽い調子でなんなのときいた。すると父はちょっとだまりこんでから、思い切ったように言ったのだ。
「お母さんとお父さんは、離婚することにしたんだ」
 そのとき私たちをつつむ闇はさらに深くなったようだった。
「いろいろ努力してみたがね。しかし結局、お母さんと別れて生きることが、いま自分たちには、一番正直な生き方ではないかと思うようになったんだ。別れるってとてもつらいことだけど、しかし正直に生きるには仕方がないんだ」
 母をみると、母もまたやわらかい微笑を浮かべていたけど、やっぱり力のないさびしそうな声で、
「こういうことになることは、果実にも翔太にもわかっていたのよね。私たちの力がなくて、ほんとうにいけない親だと思うわ。いまは申し訳ない気持ちでいっぱいで、ただ許してほしいとしか言えないの」

 たしかに私の家はだいぶ前から危なかったのだ。どうしてそうなったか私にはよくわからないことだけど、私なりに考えてみると、父と母の仲がそれまでのようにしっくりいかなくなったのは、母が友達と小さな会社をつくってからだった。父はそのことにずうっと反対していた。だから母が仕事で父よりも遅くなったりすると、いらいらした父は私たちまでに当り散らした。
 でもなんといっても決定的なのは、父に好きな人ができてからだった。そのときから私の家はかわってしまった。父と母が暗い争いをしているとき、翔太が私にきいたことがあった。
「ねえ、お姉ちゃん。もしお父さんとお母さんが離婚したら、ぼくたちどうなるのかな」
 それは私も前から考えていることだった。
「どうなるかわからないわ。でも私たちだって別れると思うわ。お父さんが翔太を欲しいっていったら、翔太はお父さんの家にいくわけよ」
「お姉ちゃんは、お母さんの家か」
「そうよ」
「だけど、親の意見ばかりじゃなくてさ、子供の意見だってきかなければだめだと思うけどな」
「それはそうだけど、でも結局は親の言う通りにされてしまうのよ」
 それまで私と翔太はずいぶん喧嘩してきたけど、そんな話をしてから急に喧嘩をしなくなった。

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