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余を斬って、奔流のように駆け上がれ

 実朝が公暁の寝所を襲ってからその後、実朝と接触する日が一度あった。実朝が鶴岡岳寺で行われた恒例の仏事に参列するために足を運んできたのだ。将軍を先導していた公暁は一瞬をついて実朝に問いかけた。
──修学院は近々に峰起いたします、その日をいつにするか思案しておりますが、拝賀の式典の日こそふさわしいのではないかと、将軍が政事の全権を握って、新しい鎌倉を打ち立てるにはこれ以上の日はありません、早急にご返事をいただきたいのです。

 しかしそのとき実朝は無言のままだった。間もなく年が暮れる。年が明けたらあっという間にその式典の日はやってくる。しかし実朝からいまだなんの応答もない。だから公暁は重慶の問いに、
「まだ将軍からの返事はない、そのことは重慶どの以上に私も案じているところだ、将軍は我らの成さんとすることをすべて知っている、それゆえに決断することに苦しんでいるようにも思われるのだ」
するとその重慶はさらに、
「公暁さま、私たちはそろそろ実朝さまと決別すべきでありませんか、あの方はもともと政事のお人ではないのです、武人でもありません、ぬくぬくと甘い生活のなかで生きてこられた方には、このような生命を賭けた争闘に身を投じることなどできないのではありませんか、そのようなお方を私たちは待つ必要があるのでしょうか」
 と応じた。その言を継ぐように良喜も、
「私もそう思います、実朝さまが我らとともに動くという展望はもはや捨てるべきです、なんの音沙汰もないということは、我らと拒絶する一線を引いたということではないでしょうか」

 しかし公暁が最も信頼する定豪は、この二人の僧とは異なった意見を放った。
「いや、その言に私は反対です、やはり公暁さまは最後の最後まで、実朝さまとともに立つというご努力を、放棄さなってなりませぬ、実朝さまが我らの側に立つか立たないかによって、我らの峰起の意味はまるで違ってまいります、もし実朝さまが我らの側に立つとき、新しい幕府はその日にも成立するでしょう、しかしもし実朝さまが和田の乱のときのように、どちらともつかぬあいまいな態度をとられるとき、新しい幕府の成立は容易なことではございませぬ、和田の乱以上の騒乱が、あるいは我らの蜂起が頓挫する事態になるかもしれません、それゆえにここはなお実朝さまをご説得なさることが肝要かと思われます」

 すると塾生たちから荒い声が飛び交った。
「もしその説得に将軍が応じなかったらどうするのですか」
「将軍が拒絶したら、われらの蜂起を放棄せよということですか」
「ときは迫っています、仮定の上に立った作戦で動くべきではないのです」
「もう我らの蜂起は走り出したのです、重慶さまが言われるように、もう実朝さまをあてにしてはならないのです」
「いや、私は定豪さまの意見に賛成です、この蜂起は実朝さまが我らの側に立つということが絶対の前提なのです」

 その場にはげしい論議が巻き起こった。その議論の行方を見守るようにじっと聞いていた公暁がようやく口をはさんだ。
「両者の意見、それぞれもっともだ、ときは迫っている以上、決着を急がねばならないだろう、もう一度将軍の真意を探りだしてみることにする、将軍の取る道はいまや一つしかない、中間はないのだ、あいまいな中立などという道はない」

 その意味がわからず大庭がそれはどういうことでございますかと問うた。それはその場にいた全員の問いだった。だれもがそのことの意味がわからなかった。公暁はその真意を告げた。
「もし我らの側に立つことを拒絶したとき我らは将軍を討つ、そのことを視野に入れるということである」
 公暁はその日、実朝の歌集をひもとくとそのなかから一首を選んだ。
 
 岩根ふみ幾重の峰を越えぬとも思ひも出でば心隔つな
 
 たった一首の歌をしたためただけの文を幕府に届けさせた。その歌一首ですべてが実朝にわかるはずだった。もはやその歌は実朝の歌ではなかった。生か死かという必死の問いを実朝に放った公暁の歌だった。実朝はその必死の文にかならず返事を返してくるはずだ。
 公暁の思案した通りその翌日、幕府から公暁のもとに漆塗りの小箱を屈けられた。その小箱のなかに短冊が一葉入っていた。そこに実朝が自らしたためたたった一首の歌が記されてあった。
 
 世も知らじわれもえ知らず唐国のいはくら山に薪樵りしを
 
 その日の謀議の席で、公暁はその歌を八人に回した。一人一人その短冊を手にすると、そのたびに深い溜め息がもれ、またしばらくじいっとその歌に見入る。そのために一巡するのに長い時間がかかった。
「逃げましたね、実朝さまは逃げたのです、実朝さまはもともとこういう軟弱なお人なのだ」
「あの船の建造で鎌倉中のもの笑いになったのに、いまだに唐の国だ」
「唐の国で樵をしたいなどとは、悲しゅうございます、これほど我らをこけにした歌はございませね」
「もともとあの方は、歌を歌われる以外になにもできないお人なのだ、あの方をあてにしてはならなかったのです」
「それにしても、なんという我らを馬鹿にした歌なのだ」
 と彼らは口々に怒りを吐き出した。するとそのとき、公暁の何か悲しみで濡れたような声が放たれた。
「そうではない、将軍は軟弱でも夢想するだけのお人でもない、この歌は我らをこけにした歌でもない、将軍がはげしい決意をかためた歌なのだ」
「どういうことでございますか?」
「余を斬って、奔流のように駈け上がれと言っているのだ、余を討ち取って、そなたたちの国をつくれと言っているのだ、そのはげしい決意を吐露した歌なのだ、唐の国とはそちたちの言う意味ではない」
 公暁の眼に涙がにじんでいた。塾生たちははじめて公暁の涙を見た。


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