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後世への最大遺物 3  内村鑑三

あさ1


 また有名なる慈善家ピーボディーはいかにして彼の大業を成したかと申しまするに、彼が初めてベルモントの山から出るときには、ボストンに出て大金持ちになろうという希望を持っておったのでございます、彼は一文なしで故郷を出てきました、それでボストンまではその時分はもちろん汽車はありませんし、また馬車があってもただでは乗れませぬから、ある旅籠屋の亭主に向い、「私はボストンまで往かなければならぬ、しかしながら日が暮れて困るから今夜泊めてくれぬか」というたら、旅籠屋の亭主が可愛想だから泊めてやろうというて喜んで引き受けた、けれどもそのときにピーボディーは旅籠屋の亭主に向って「ただで泊まることはいやだ、何かさしてくれるならば泊まりたい」というた、ところが旅籠屋の亭主は「泊まるならば自由に泊まれ」というた、しかしピーボディーは、「それではすまぬ」というた、そうして家を見渡したところが、裏に薪がたくさん積んであった、それから「御厄介になる代りに、裏の薪を割らしてください」というて旅籠屋の亭主の承諾を得て、昼過ぎかかって夜まで薪を挽き、これを割り、たいていこのくらいで旅籠賃に足ると思うくらいまで働きまして、そうして後に泊まったということであります。

 そのピーボディーは彼の一生涯を何に費やしたかというと、何百万ドルという高は知っておりませぬけれども、金を貯めて、ことに黒人の教育のために使った、今日アメリカにおります黒人が、たぶん日本人と同じくらいの社交的程度に達しておりますのは何であるかというに、それはピーボディーのごとき慈善家の金の結果であるといわなければなりません、私は金のためにはアメリカ人はたいへん弱い、アメリカ人は金のためにはだいぶ侵害されたる民であるということも知っております、けれどもアメリカ人のなかに金持ちがありまして、彼らが清き目的をもって金を貯め、それを清きことのために用うるということは、アメリカの今日の盛大をいたした大原因であるということだけは私もわかって帰ってきました。

 それでもしわれわれのなかにも、実業に従事するときにこういう目的をもって金を貯める人が出てきませぬときには、本当の実業家はわれわれのなかに起りませぬ、そういう目的をもって実業家が起りませぬならば、彼らはいくら起っても国の益になりませぬ、ただただわずかに憲法発布式のときに貧乏人に一万円‥‥一人に五十銭か六十銭くらいの頭割をなしたというような、そんな慈善はしない方がかえってよいのです、三菱のような何千万円というように金を貯めまして、今日まで‥‥これから三菱は善い事業をするかと信じておりますけれども‥‥今日まで何をしたか、彼自身が大いに勢力を得、立派な家を建て立派な別荘を建てましたけれども、日本の社会はそれによって何を利益したかというと、何一つとして見るべきものはないです。

 それでキリスト教信者が立ちまして、キリスト信徒の実業家が起りまして、金をもうけることは己れのためにもうけるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起らんことを私は願う、そういう実業家が今日わが国に起らんことは、神学生徒の起らんことよりも私の望むところでございます、今日は神学生徒がキリスト信者のなかに十人あるかと思うと、実業家は一人もないです、百人あるかと思うと実業家は一人もない、あるいは千人あるかと思うと、一人おるかおらぬかというくらいであります、金をもって神と国とにつかえようという清き考えを持つ青年がない。

 よく話に聴きまするかの紀ノ国屋文左衛門が、百万両ためて百万両使ってみようなどといういやしい考えを持たないで、百万両貯めて百万両神のために使って見ようというような実業家になりたい、そういう実業家が欲しい、その百万両を国のために、社会のためにのこして逝こうという希望は実に清い希望だと思います、今日私が自身に持ちたい望みです、もし自身にできるならばしたいことですが、ふしあわせにその方の技量は私にはありませぬから、もし諸君のなかにその希望がありますならば、どうぞ今の教育事業とかに従事する人たちは、「汝の事業は下等の事業なり」などというて、その人を失望させぬように注意してもらいたい、またそういう希望を持った人は、神がその人に命じたところの考えであると思うて、十分にそのことを自から奨励されんことを望む、あるアメリカの金持ちが「私はあなたにこの金を譲り渡すが、このなかにきたない金は一文もない」というて子供に遺産を渡したそうですが、私どもはそういう金が欲しいのです。

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 それで後世への最大遺物のなかで、まず第一に大切のものは何であるかというに、私は金だというて、その金の必要を述べた、しかしながら何人も金を貯める力を持っておらない、私はこれはやはり一つの ジーニアス(Genius─天才)ではないかと思います、私は残念ながらこの天才を持っておらぬ、ある人が申しまするに、金を貯める天才を持っている人の耳はたいそうふくれて下の方に垂れているそうですが、私は鏡に向って見ましたが、私の耳はたいそう縮んでおりますから、その天才は私にはないとみえます(大笑)。

 私の今まで教えました生徒のなかに、非常にこの天才を持っているものがある、あるやつは北海道に一文無しで追い払われたところが、今は私に十倍もする富を持っている、「今におれが貧乏になったら、君はおれを助けろ」というておきました、実に金儲けは、やはりほかの職業と同じように、ある人たちの天職である、誰にも金を儲けることができるかということについては、私は疑います、それで金儲けのことについては、少しも考えを与えてはならぬところの人が金を儲けようといたしますると、その人は非常にきたなく見えます、そればかりではない、金は後世への最大遺物の一つでございますけれども、のこしようが悪いとずいぶん害をなす、それゆえに金を貯める力を持った人ばかりでなく、金を使う力を持った人が出てこなければならない。

 かの有名なるグールドのように彼は生きているあいだに二千万ドル貯めた、そのために彼の親友四人までを自殺せしめ、あちらの会社を引き倒し、こちらの会社を引き倒して二千万ドル貯めた、ある人の言に「グールドが一千ドルとまとまった金を慈善のために出したことはない」と申しました。彼は死ぬときにその金をどうしたかというと、ただ自分の子供にそれを分け与えて死んだだけであります、すなわちグールドは金を貯めることを知って、金を使うことを知らぬ人であった、それゆえに金を遺物としようと思う人には、金を貯める力とまたその金を使う力とがなくてはならぬ、この二つの考えのない人、この二つの考えについて十分に決心しない人が、金を貯めるということは、はなはだ危険のことだと思います。

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内村鑑三著「後世への最大遺物」を「私たちは後世に何を残すべきか」に改題して《草の葉ライブラリー》より近刊。

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