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紙芝居の小父さん   菅原千恵子

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  愛しき日々はかく過ぎにき   菅原千恵子


 三年生になったときから、私は毎日、五円か十円のお小遣いをもらうようになっていた。洗濯屋の姉妹は、それを紙芝居か、一銭店屋で何か買い食いをすることが多かった。何に使っても自分のものだから、いいのだが、決して後悔しないような使い方をするには、いつも頭をしぼらなければならない。

 あるとき、学校の帰り道で、「おこのみやき」と書かれた小さな張紙を私は見つけた。普通の民家のようだったが、通りに面していて、のれんの下から覗いてみると、大きな鉄板の上でおばあさんが、やはりおこのみやきを焼いていた。子どもも、二人鉄板を囲むようにして焼けるのを待っている。ここは子どもが入ってもいいところなのだ。私は、急いで帰って、この店の存在を洗濯屋の姉妹に知らせた。

 私は、姉妹を連れて、その日のうちにこの店ののれんをくぐった。私だけは学校の方角が、姉妹とは逆方向なので知り得たが、彼女たちはこんな店があるとは気がつかなかったらしい。二人はそれを残念がり、新しく来た新参ものの私に教えられたことを嘆いた。この日を境に、ちょくちょく私たちは、ここに来ておこのみやきを食べていたが、母にはいっていなかった。言ったばっかりに、禁じられでもしたらやっかいだと思っていたからだ。

 いかにも気むずかしそうなおぱあさんが、手際よく作っていて、私たちは、返しべらを渡されてはいるものの、作ることには参加させてもらえないのが少し不満だった。ただ、そこはおばあさんたちのサロンみたいな部分を兼ねていたので、私が普段耳にすることのできないような話を聞くことができた。おばあさんのお嫁さん、つまり、息子の奥さんの話に話題が移ったときお客のおばあさんが言った。

「おらいの嫁ごだらば、また腹に子どもできたんだどっしゃ。もう、こんで五人目だでば。金もねえくせに、そいなごどばりいっちよ前だどって、爺様ど笑ってるんだべっちゃ」
 客のおばあさんは、さもいまいましそうに、おこのみやきやのおぱあさんに訴えている。

「そいなもんだでば、おらいの嫁も、三人続けて女ばり生んで、まなしにまだ妊娠したもんだがら、おらゆってやったのっしゃ。も少し間をおげって。そしたらば、むきになって縄跳びば始めでだげんとも、そんでも子どもおりねもんだがら今度はわざど、雪道で転んでみだんだどっしゃ。そんでも駄目だというので、しゃね、生むしかねべていって生んだらば、まあず、他のどの子どもよりも元気のいい子ども生まれだおんね」

 私は一心に聞き耳を立てて聞いていた。赤ちゃんがお腹にいるときの話だということは解かった。しかし、それが意識的な自然堕胎を意味していることまでは解からないのだが、何か困ったことらしいのだけは感じられた。そして、縄跳びをしたり、雪道で転んだほうが元気な赤ちゃんが生まれるというところだけが、強く印象に残っていつまでも忘れられなかった。

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 私は、新しく仕入れたこの話を、誰かにいいたくてうずうずしているとき、父の同僚の奥さんが妊娠したという話を食事の時に聞いて、早速私はチャンスとばかり話題を提供することにした。
「元気な赤ちゃんを生むんだったら、縄跳びをしたり、雪の道でわざと転ぶといいらしいね。かえってそのほうが赤ちゃんは下りないんだってよ」

 一瞬、食卓が静かになった。私は、何かまずいことをいったのだろうかと思ったけれど、自分ではよく分からない。
「誰がそんなこと教えてくれたのっしや」
「誰って、聞いただけ」
 私は、お好み焼き屋に出入りしていることは言いたくなかったので、ごまかそうと思ったが、ここまで来ると絶対ごまかすことができないのを経験から知っていた。それで仕方く全てを話すことにしたのだ。

 ところが、私はこっぴどく叱られるとばかり思っていたのに、母も姉たちもあまり私を叱ったりはしなかった。それどころか、
「そのお好み焼きはおいしかったのすか? 中に何が入っているのっしゃ」
 と、母の質問責めにあい、驚いたことに、母さんにも焼いてきてくれないかと言った。私はうれしくなっていつでもいいよとこたえると、早速次の日に、いつものお小遣いとは別口に、私の分までお金を渡し、ぜひ熱々のところを買ってきてと頼んだ。私は知らなかったのだが、母は、おこのみやきが何よりも大好物だったのだという。

 町にいたときは、勝手に「どんどんやき」といって、小麦粉に、堅魚の削りぶしと、海苔とネギ、紅しょうがを入れたのを焼いて食べていて、たまにおやつに焼いてくれたりしていたが、本当は、母が食べたかったのだ。父は、毋が好きなおこのみやきを、豚が食べるものといって馬鹿にしていたので、日常の食卓に上ることはなかった。

 母は、すごくおいしいといって食べ、その後も、ちょくちょく私は頼まれた。そのたびに私のお小遣いに余裕ができて、こっそり、一銭店屋で、洗濯屋の姉昧前に食べているのをみてうらやましかった、あのガラスの試験官のようなものに入った不思議な食べ物も、食べることができた。それでもまだ紙芝居を観る余裕が残っていた。

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 紙芝居の小父さんは、自転車の後ろの荷台に、紙芝居の小さな舞台や、観ている間黙って口だけ動かしていられるような、自家製のおやつを入れたり、お金を入れたりしている小引出しを乗せていた。一回観ると五円を払わなければならない。毎回欠かさず出席していて、小父さんとも顔なじみになっている子は、小父さんの信用を勝ち得ており、拍子木を打つのを任され、得意になって、その役を務めていた。それは誰もが羨む栄光の仕事だった。私も一度やってみたいと思っていたが、新顔の女の子に小父さんが任せるはずもなかった。

 拍子木の音を聞きつけて、子供たちが集まってくると、小父さんは、お金をもらい、薄っぺらなお煎餅のようなものに、梅干しに砂糖をねりこんだ、奇妙きてれつな味のジャムを乗っけて渡してくれる。私たちはそれを舐めながら、「黄金バット」や「怪人二十面相」、「透明人間」などを、だみ声で、演じるのにじっと聞き入るのだ。時間にして七八分もないのに、その間だけはたっぷりとその世界に浸ることができた。

 時々、紙芝居の自転車から遠く離れたところで観ている子がいると、お節介な子が「おんちやん、おんちやん、あれ、あそこで誰か、ペロンこして見てるよ」
 と告げ口をしたりする。私は、告げ口した子が気にくわない。せっかくひっそりと観ているのに、なぜそんな意地悪をいうんだろうと思うと無性に腹が立つのだ。小父さんは、告げ口を聞いて、咳払いをしながら、
「お金を出した人だけしか観れねんだからな。あっちさいってでけろ」
 とこれまた大人げないことをいう。

 誰だって、おもしろい話は聞きたいのに、お金を払えないのは、子どものせいではないのに、追い払うとは、なんてひどいことをする小父さんではないか。物語が好きというのはどんなことなのかを知っていた私には、小父さんの一言が何よりも残酷な仕打ちに思われ、あんまりだと憤慨した。私がもし、お金を持っていなかったら、追い払われた子と同じように、遠まきにでも紙芝居を観ていただろう。
「観てたっていいじゃないの。それくらい、ケチ」

 私が、しょんぼりと帰って行くその子の後ろ姿を見ると、つい告げ口した子に言わずにはいられなかった。小父さんに、もう二度と来るなと言われたら、こんな紙芝居なんてこれから観なくてもいいと思って私は言ったのだ。ところが、私と同じ気持ちでいた子が、他にもたくさんいたのだ。私が口火を切ったとたん、
「んだ、おめ、余計なごとばゆうんじやねんだぞ。あいつの身にもなってみろ」
「んだ、んだ、一人でバカこいでろっちや。な」
 と、あちこちで騒がしくなった。告げ口した子は、ことばでも責められ、大きい子にこずかれたりもして、とうとう泣き出してしまった。

 小父さんは、盛んに咳払いをし、一段と大きな声で、紙芝居の世界へ私たちを引き入れようとするのだが、もう誰も聞いてなどいなかった。小父さんは怒ったような顔をして、紙芝居を中途にしたまま、片づけてあっという間に自転車をこいで帰っていってしまった。それから三日間というもの、小父さんは私たちの町内には現れなかった。

 続きを誰もが知りたいのに、小父さんが来ないので、腹を立てた子どもの一人が、
「半分しか紙芝居をしねで行ってしまったんだがら、今度来たら、五円を返してもらうべな。当たり前の話しだべっちや」
 などといいあって憂さを晴らしていた。

 四日目に小父さんは紙芝居を積んでやってくると、またいつものように何もなかったみたいに始まった。
 しかし、それも一年もしないうちに、小父さんは来なくなった。家庭にテレビというものが入り込み、店をやっていると人寄せのためにテレビを買うところが大幅に増えたためではなかったろうか。紙芝居が来るのを、ワクワク、ドキドキして待つ子どもが少なくなり、それにつれて、紙芝居だけでは暮らして行けなくなったためだろうと思う。

 ただで観るのはいけないと言った小父さんも、本当はどうしたら良いのか分からなかったのだろうと思う。ただで観る子を一度許してしまえば、お金を出している子供たちが納得しない。どちらの気持ちも不満を持たないようにさせるための方策など、何も持ち合わせていなかったというべきなのだ。私は、今ならこんなふうにも考える。小父さんは、お金を持たない子にも、本当は見せてやりたかったのではないか。しかし、それをすれば、小父さんの家業が成り立たず、暮らして行けない。小父さんは、暗く小さな家の中で仕事にも出ないで三日間じっと悩んでいたのではなかったろうか。

 紙芝居屋を生業としていた小父さんだって、決して豊かな生活ではなかっただろうし、テレビというものの普及で、その仕事すら追いつめられてきていることは、小父さんにもわかっていたに違いない。自分の仕事の行く末や、私たちが起こした事件が、小父さんに仕事を休むように仕向けたのではないかと、想像してしまうのだ。

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