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雨の晩の不可解な足音  帆足孝治

あいこの14


山里子ども風土記──森と清流の遊びと伝説と文化の記録   帆足孝治

雨の晩の不可解な足音 

 山間の田舎では夜が暗いのは当たり前だが、昔は今よりもっと暗かった。暗かったから人々は家の中にじっとしており外を出歩く人もなかったから、外の闇夜は全く魑魅魍魎の世界であった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という歌があるが、暗いがゆえに昼間みれば何でもないものが恐ろしいものに見えたりする。私は特に臆病だったから、夜わずかに家がきしむ音を聞いたりすると、とたんに頭がジンと冴えてくるのだった。

 当時の農家はたいてい便所が外にあった。夜、寝る前に小便に行くには、いったん庭に降りて下駄を履いてから便所に行ったものである。便所はたいてい牛小屋の外にあったから、牛が寝ているところや鶏小屋の前を遖って行かなければならない。外の便所は大体において土壁塗りの粗末な造りで、入り口に近い所に小便壺があり、その奥に大便所がある。

 私は夜便所に行くことを考えると、よその家に泊まるのはどうしても嫌だった。ある夜、私は隣りの昭ちゃんちでウンコがしたくなって、仕方なくその便所を使ったが、母屋から遠く離れた真っ暗な便所に一人でしゃがんでいるといろいろな妄想が湧いてきて、股の下の便壺から手が出はしないかと気色が悪かった。しゃがんでいる頭の上には竹の桟が入った小さな明かり取りの窓があいていたが、夜はかえってこれが怖いのである。ここから一つ目小僧か般若でも覗くのではないかという気がして、おちおち力んではいられない。私は怖くなってとうとう途中で切り上げて、逃げるように母屋に掛け戻った。

 そのころ私の家の台所のすぐ裏には無縁仏の古い墓があって、夜は台所の電気を消してしまうので真っ暗になり、私は台所に水を飲みに行くのも恐る恐る近寄ったものである。

 ある雨のしとしと降る晩のこと、座敷の火鉢に掛けてあった鉄瓶のお湯がなくなったので、おばあちゃんが私に、台所にいって鑵子(かんす)からお湯を汲んでくるように言った。家の中とはいえ、食事の後片付けが終わった台所は真っ暗で人気もなく、手探りでいかなければならなかったから嫌だった。居間を通って土間に降り、つっかけ下駄を履いてから台所へ行き、流し台についてからその上の空中を両手を延ばして手探りで電気の笠をさがし、それをつかまえてスイッチをひねって電気をつけるのである。

 私は家の中とはいえ、人気のない台所に一人で行くのは嫌だったから、何か異変でも起こったらすぐに逃げ出せるよう屁ッピリ腰で鑵子に近寄り、手探りで鉄蓋をとり、柄杓(ひしゃく)でお湯を汲み始めた。まさにその時である。全く突然に裏の無縁仏の辺りから、ボコボコと長靴を履いた誰れかが歩いて来るような足音が聞こえてきたのである。雨降りの晩のこんな時間に、ひとの家の裏庭の、しかもお墓があるような所に入って来る人などあっていい筈がない。

 私はたちまち鉄瓶も柄杓も放うり出して、下駄を脱ぐのもそこそこに「ウワウワウワーツ、誰れか来たアー」とあらぬ声をあげて座敷に座っていたおばあちゃんのところへ飛んで逃げ帰った。
 驚いたのはおばあちゃんの方である。私の余りにも真剣な表情に、これは何かよほど恐ろしいことが起こったのだと悟ったらしく、「何をとっぱごろをしよるか? いっそん顔色を変えてしもうてからアー」と怒鳴りながらも、おばあちゃんも怖そうに青ざめた顔で私を見上げた。

「だって、裏の方で誰れかが歩き回りよるもん!」と私が訴えると、おばあちゃんは「そげなバカらしいこつがあるもんか」といいながらも、私と恐る恐る台所に戻ってみた。台所の電気をつけて耳を澄ましてみたが、もうあの不気味な長靴の音はしなかった。

 おばあちゃんが台所に干してあった番傘をたたもうと手をふれたとき、番傘がコトコトと音をたてて少しころがった。おばあちゃんは、「長靴の足音ちゃ、こん音じゃなかったんへ?」と言った。言われてみればそのコトコトという音は、確かに私がさっき聞いた音に近いものだった。怖い、怖いと思っていたから、この番傘の転がる音をボコボコという長靴の音と聞きまちがえたのだろうか。それにしてもあの足音は確かに外から聞こえたような気がしたが、あれは怖がっていた私が勝手にそう思い込んだものだったのだろうか。

 私は今に至るまで、あの時の恐ろしさをまざまざと思い出すことができるが、果たして本当にあれは番傘の転がる音だったのだろうか、私にはまだすっきりしないものがある。

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