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解体と建設の物語 Ⅱ



 蓮ママの訃報を金井君と丸山さんが我が家に伝えに来た。この二人とは十年どころか二十年、三十年、まったくの交流がなかった。それなのにこの訃報を真っ先に伝えに来たことに、ぼくには思い当たることがあった。それは蓮池が仕組んだ仕業なのだ。蓮池がこの二人を使って、ぼくに伝えたにきたのだ。
──セキサン、とうとう妻がおれのもとにやってきたよ。三十年、待っていたからなあ。ああ、妻がおれのもとにやってきたよ。

 蓮池正弘がこの地上から去ってからもう三十年の月日が流れていった。その蓮パパのもとに蓮ママも旅立っていったのだ。しかし、彼がぼくのもとに伝えにきたのそれだけではなかった。蓮池はさらにこう問いかけてきたのだ。

──セキサン、太陽少年団はどこにいっちまったんだい。あのときの少年少女たちは、あの燃えるように輝いていた若者たちは、そんな子供や若者たちを熱くサポートしていた父母たちはいまなにをしているんだい。あの時の仲間が次から次にここにやってくる。まさかと思ったが、若い木野君がやってきた。さらに若い桐島太郎までやってきた。このまま太陽少年団が成してきたこと、太陽少年団がこの地上に打ち立てようとしてきたことが、このまま消え去っていくっていうことなのか。

 太陽少年団は、蓮池とその彼を背後で支えていた蓮ママがつくりあげていったようなものだった。その蓮ママもまたあの世に去っていくとき、もはや太陽少年団はその消滅のピリオドを打つことになるのか。蓮池は金井君と丸山さんを通してそう問いかけてきたのだった。

 蓮池が忽然として去っていったとき、ぼくたちは彼を追想する冊子を作った。蔵書の中をかき回して、その冊子を掘り出してくると、十部ほどコピーしたのは、この冊子は蓮ママへのぼくたちの弔辞でもあると思ったのだ。蓮ママは蓮パパに隠れた存在だったが、彼女がどれほど大きな力を少年団に投じたかぼくたちはよく知っている。

 その追想集のなかで金井君はこう書いている。
《蓮パパ、あなたは僕にいつでもどんな時でもまるで親父のように、男の力強さ、笑顔のやさしさ、そしてすべての子どもたちにわけへだてなく贈る愛情の大切さを教えてくれていたのですね、そのことに気づいたのが、こんな時であるなんて‥‥‥。あなたはほんの少しズルいです。僕はまだあなたが立ててくれた大きく、そして重い道標をみつけたばかりなのに、その足元にたどり着く前により大きく、より遠い存在になってしまったのですから。でも僕はやっぱりあなたの道標を目指します》

 蓮池の魂は、金井君の中にしっかりと刻みこまれているのだ。金井君だけではない。その追想集に寄稿した島田君にも、小原君にも、久門君にも、下山君にも、冬人君にも、蓮池の魂は脈々と流れこんでいる。そのことをはっきりと覚知する事業が起こっているのだ。

 長野県安曇野市に明科という町がある。その町の後方に広がる山の中に築百年をこす広壮な家屋が立っていた。その家屋を解体して、そこにログハウスを建設するというプロジェクトを彼らは組み立てのだ。それはちょっと常軌を逸した、正気の沙汰ではないと揶揄されるようなプロジェクトだった。というのはその広壮な建物の解体を解体業者にたのむと、おそらく一千万円をこえると算定されるだろう。それほどの難工事だった。その難工事に彼らは素手で立ち向かっていったのだ。ぼくはそのとき彼らのなかに、太陽少年団の、その少年団をつくりあげていった蓮池の精神や魂がしっかりと流れ込んでいると覚知したのだ。

 そのプロジェクトの顛末は、彼らの苦闘の様子を撮った写真とともにウェッブサイトに打ち込んである。パソコンの、あるいはスマホの検索装置に、
《note解体と建設の物語》
と打ち込めば、スクリーンに現れてくる。彼らの苦闘の痕跡が断片であるがそこに記録されている。

 その難工事であった解体が終わり、更地になったその地に彼らの希望と理想の砦であるロッジが建てられた。解体の物語から建設の物語に展開させていったのだ。しかしその建設の物語はいまだ未完成だった。建物はほぼ八割がた出来上がっている。しかし彼らの情熱が息切れしたのか、あとの二割が結着できずにずるずると引き延ばされている。

「蓮池正弘追想集」をコピーしながら(それは蓮ママの追想集づくりでもあるのだが)、ぼくのなかにふつふつと湧きたってくるものがあった。彼らに挑戦の思想を投じようと。それはこの解体と建設の物語に取り組んだいまや中年のおっさんたちになってしまった六人に投じるだけでなく、あのとき少年団活動によって、懸命に地平を切り拓こうとしたすべての仲間たちに問いかける挑戦である。

 安曇野までは遠い。頻繁に通えない。コロナ禍が最後の結着の物語をさらにずるずると遠ざけていくに違いない。そこで残る二割の工事を現地の業者にゆだねるという挑戦である。三好さんにも打診してみたが、トイレに水洗装置など設置したら二百万円を超えるが、そうでなければ残る工事に百二、三十万円も投じれば建設は完了すると算定された。その百二、三十万円をどうするか。この活動の賛同者を募るのだ。我らの希望と理想のロッジ建設に十万円を投じて下さい。一口十万円である。太陽少年団はいったいどれほどの熱い仲間たちをつくってきたのだろうか。百人、いや二百人をこえるかもしれいない。彼らによびかけるのだ。十二、三人の投資者はまたたく間に現れるに違いない。竹内さんがいるのだ、久門さんがいるのだ、丸山さんがいるのだ、戸田さんがいるのだ、次郎だっているのだ。彼らの背後にもまた熱い賛同者がいるはずだ。

 池桜の山のなかで、六人の青年たちが取り組んだ「解体と建設の物語」は、広く少年団の仲間たちによびかけることによって、太陽少年団の活動へと昇華していく。太陽少年団は消滅していくのではない。蓮パパと蓮ママの精神と魂はしっかりと我らのなかに刻みこまれている。いまそのことが池桜の山の中で結実していくのだ。「解体と建設の物語」は、希望と理想のロッジとなって我らの前に体現されていく。そこからまた新しい希望の物語が誕生していく。

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