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後世への最大遺物 4  内村鑑三

ぐれた1

 さて、私のように金を貯めることの下手なもの、あるいは貯めてもそれが使えない人は、後世の遺物に何をのこそうか、私はとうてい金持ちになる望みはない、ゆえにほとんど十年前にその考えをば捨ててしまった、それでもし金をのこすことができませぬならば、何をのこそうかという実際問題が出てきます、それで私が金よりもよい遺物は何であるかと考えて見ますと、事業です、事業とはすなわち金を使うことです、金は労力を代表するものでありますから労力を使ってこれを事業に変じ、事業をのこして逝くことができる、金を得る力のない人で事業家はたくさんあります、金持ちと事業家は二つ別物のように見える、商売する人と金を貯める人とは人物が違うように見えます、大阪にいる人はたいそう金を使うことが上手であるが、京都にいる人は金を貯めることが上手である、東京の商人に聞いてみると、金を持っている人には商売はできない、金のないものが人の金を使うて事業をするのであると申します。

 純粋の事業家の成功を考えてみまするに、けっして金ではない、グールドはけっして事業家ではない、バンダービルトはけっして事業家ではない、バンダービルトは非常に金を作ることが上手でございました、そして彼は他の人の事業を助けただけであります、有名なカルフォルニアのスタンフォードは、たいへん金を儲けることが上手であった、しかしながらそのスタンフォードに三人の友人がありました、その友人のことは面白い話でございますが、時がないからお話をしませぬけれども、金を儲けた人と、金を使う人と、数々あります、それですから金を貯めて金をのこすことができないならば、あるいは神が私に事業をなす天才を与えてくださったかも知れませぬ、もしそうならば私は金をのこすことができませぬとも、事業をのこせば充分満足します。

 それで事業をなすということは、美しいことであるはもちろんです、どういう事業が一番誰にもわかるかというと土木的の事業です、私は土木学者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでございます、一つの土木事業をのこすことは、実にわれわれにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います、今日も船に乗って、湖水の向こうまで往きました。その南の方に当って水門がある、その水門というは、山の裾をくぐっている一つの隧道(ずいどう)であります、その隧道を通って、この湖水の水が沼津の方に落ちまして、二千石ないし三千石の田地を灌漑しているということを聞きました、昨日ある友人に会うて、あの穴を掘った話を聞きました、その話を聞いたときに私は実に嬉しかった。

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 あの穴を掘った人は、今からちょうど六百年も前の人であったろうということでございますが、誰が掘ったかわからない、ただこれだけの伝説がのこっているのでございます、すなわち箱根のある近所に百姓の兄弟があって、まことに沈着であって、その兄弟が互いに相語っていうに、「われわれはこの有難き国に生まれてきて、何か後世にのこして逝かなければならぬ、それゆえに何かわれわれにできることをやろうではないか」と、しかし兄なる者はいうた、「われわれのような貧乏人で、貧乏人には何も大事業をのこして逝くことはできない」というと、弟が兄に向っていうには、「この山をくり抜いて湖水の水をとり、水田を興してやったならば、それが後世への大なる遺物ではないか」というた、兄は「それは非常に面白いことだ、それではお前は上の方から掘れ、おれは下の方から掘ろう、一生涯かかってもこの穴を掘ろうじゃないか」といって掘り始めた。

 それでどういうふうにしてやりましたかというと、そのころは測量器械もないから、山の上に標(しるし)を立って、両方から掘っていったとみえる、それから兄弟が生涯かかって何もせずに‥‥たぶん自分の職業になるだけの仕事はしたでございましょう‥‥兄弟して両方からして、毎年毎年掘っていった、何十年でございますか、その年は忘れましたけれども、下の方から掘ってきたものは、湖水の方から掘っていった者の四尺上に往ったそうでございます、四尺上に往きましたけれども御承知の通り、水は高うございますから、やはり竜吐水(りゅうどすい)のように向こうの方によく落ちるのです、生涯かかって人が見ておらないときに、後世に事業を遺そうというところの奇特(きとく)の心より、二人の兄弟はこの大事業をなしました。

 人が見てもくれない、ほめてもくれないのに、生涯を費してこの穴を掘ったのは、それは今日にいたってもわれわれを励ます所業ではありませぬか、それから今の五ヵ村が何千石だかどれだけ人口があるか忘れましたが、五ヵ村が頼朝時代から今日にいたるまで年々米を取ってきました、ことに湖水の流れるところでありますから、旱魃ということを感じたことはございません、実にその兄弟はしあわせの人間であったと思います、もし私が何にもできないならば、私はその兄弟に真似たいと思います、これは非常な遺物です、たぶん今往ってみましたならば、その穴は長さたぶん十町かそこらの穴でありましょうが、そのころは煙硝(えんしょう)もない、ダイナマイトもないときでございましたから、あの穴を掘ることは実に非常なことでございましたろう。

 大阪の天保山を切ったのも近ごろのことでございます、かの安治川を切った人は実に日本にとって非常な功績をなした人であると思います、安治川があるために大阪の木津川の流れを北の方に取りまして、水を速くして、それがために水害のうれいを取り除いてしまったばかりでなく、深い港をこしらえて九州、四国から来る船をことごとくあそこにつなぐようになったのでございます、また秀吉の時代に切った吉野川は昔は大阪の裏を流れておって人民を悩ましたのを、堺と住吉の間に開鑿(かいさく)しまして、それがために大和川の水害というものがなくなって、何十ヵ村という村が大阪の城の後ろにできました、これまた非常な事業です。

 それから有名の越後の阿(あがの)賀川(がわ)を切ったことでございます、実にエライ事業でございます、有名の新発田(しばた)の十万石、今は日本においてたぶん富の中心点であるだろうという所でございます、これらの大事業を考えてみるときに私の心のなかに起るところの考えは、もし金を後世に遺すことができぬならば、私は事業をのこしたいとの考えです。また土木事業ばかりでなく、その他の事業でももしわれわれが精神をこめてするときは、われわれの事業はちょうど金に利息がつき、利息に利息が加わってきて、だんだん多くなってくるように、一つの事業がだんだん大きくなって、終りには非常なる事業となります。

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 事業のことを考えますときに、私はいつでも有名のデビッド・リビングストンのことを思い出さないことはない、それで諸君のうち英語のできるお方に私はスコットランドの教授ブレーキの書いたライフ・アンド・レターズ・オブ・デビッド・リビングストン(Life and Letters of David Livingstone)という本を読んでごらんなさることを勧めます。私一個人にとっては聖書のほかに、私の生涯に大刺激を与えた本は二つあります。一つはカーライルの『クロムウェル伝』であります。そのことについては後にお話をいたします。それからその次にこのブレーキ氏の書いた『デビッド・リビングストン』という本です。それでデビッド・リビングストンの一生涯はどういうものであったかというと、私は彼を宗教家あるいは宣教師と見るよりは、むしろ大事業家として尊敬せざるをえません、もし私は金を貯めることができなかったならば、あるいはまた土木事業を起すことができぬならば、私はデビッド・リビングストンのような事業をしたいと思います。

 この人はスコットランドのグラスゴーの機屋(はたや)の子でありまして、若いときからして公共事業に非常に注意しました、デビッド・リビングストンの考えまするに、どこかに一事業を起してみたいという考えで、始めはシナに往きたいという考えでありまして、その望みをもって英国の伝道会社に訴えてみた、ところが支那にやる必要がないといって許されなかった、ついにアフリカにはいって、三十七年間己れの生命をアフリカのために差し出し、始めのうちはおもに伝道をしておりました、けれども彼は考えました、アフリカを永遠に救うには今日は伝道ではいけない、すなわちアフリカの内地を探検して、その地理を明らかにしこれに貿易を開いて勢力を与えねばいけぬ、そうすれば伝道は商売の結果としてかならず来るに相違ない、そこで彼は伝道を止めまして探検家になったのでございます。

 彼はアフリカを三度縦横に横ぎり、わからなかった湖水もわかり、今までわからなかった河の方向も定められ、それがために種々の大事業も起ってきた、しかしながらリビングストンの事業はそれで終らない、スタンレーの探検となり、ペーテルスの探検となり、チャンバーレンの探検となり、今日のいわゆるアフリカ問題にして一つとしてリビングストンの事業に原因せぬものはないのでございます、コンゴ自由国、すなわち欧米九ヵ国が同盟しまして、プロテスタント主義の自由国をアフリカの中心に立つるにいたったのも、やはりリビングストンの手によったものといわなければなりませぬ。
 
 今日の英国は偉い国である、今日のアメリカの共和国は偉い国であると申しますが、それは何から始まったかとたびたび考えてみる、それで私は尊敬する人について少しく偏するかも知れませぬが、もし偏しておったならばそのようにご裁判を願います、けれども私の考えまするに、今日のイギリスの大なるわけは、イギリスにピューリタンという党派が起ったからであると思います、アメリカに今日のような共和国の起ったわけは何であるか、イギリスにピューリタンという党派が起ったゆえである、しかしながらこの世にピューリタンが大事業をのこしたといい、のこしつつあるというは何のわけであるかというと、何でもない、このなかにピューリタンの大将がいたからである。

 そのオリバー・クロムウェルという人の事業は、彼が政権を握ったのはわずか五年でありましたけれども、彼の事業は彼の死とともにまったく終ってしまったように見えますけれどもそうではない、クロムウェルの事業は今日のイギリスを作りつつあるのです、しかのみならず英国がクロムウェルの理想に達するには、まだずっと未来にあることだろうと思います、彼は後世に英国というものをのこした、合衆国というものをのこした、アングロサクソン民族がオーストラリアを従え、南アメリカに権力を得て、南北アメリカを支配するようになったのも彼の遺蹟といわなければなりませぬ。

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内村鑑三著「後世への最大遺物」を「私たちは後世に何を残すべきか」に改題して《草の葉ライブラリー》より近刊。

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