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山崎範子の奥に見えるもの──二十年前に去っていった須賀敦子が見えてくる

 須賀敦子がこの地上から去ってから、すでに二十年近い月日が流れてしまったが、須賀さんと結ばれている精神の紐帯というものを私はいよいよ強く感じるのだ。私が須賀敦子という存在を知ったのは、ある雑誌に連載されていたアン・リンドバーグについて書かれたエッセイに目を投じたときだった。アンは夫のリチャード・リンドバーグと極東に向かって飛び立つ。しかし「シリウス」と名付けたその単発機は千島列島で不時着するのだ。そのときの様子を描いたアンのエッセイに、須賀敦子は強い衝撃をうけて、いつか自分もこのような文章を書ける人になりたいと思うのだ。日本はアメリカと大戦争を勃発させた。須賀さん、中学生のときである。
 それから数十年後に、再び須賀さんはアン・リンドバーグと対峙することになる。そのあたりをちょっと長めに、須賀さんのエッセイ「草の中の声」から転載してみる。これは山崎範子の本質に向かっていく行程でもある。

 さらに時間が経って、まったく関係のない調べものをしていたときに、アンの最初の著書の表題が、『北から東洋へ』"From North to Orient"だということを知った。これこそ、かつて私を夢中にさせたあの千島での不時着陸のときの文章がのっている本に違いないとは思ったけれど、それも手に入れる方法をもたないまま、また月日が流れて、私は大学を卒業し、フランス留学から帰って、放送局に勤務していた。ある日、友人がきっときみの気に入るよ、と貸してくれた本の著者の名が、ながいこと記憶にしみこんでいたアン・モロウ・リンドバーグだった。この人についてならいっぱい知っている。                               『海からの贈物にというその本は、現在も文庫本で手軽に読むことができるから、私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイの話よりは、ずっと現実味がある。手にとったとき、吉田健一訳と知って、私はちょっと意外な気がしたが、尊敬する書き手があとがきでアンの著作を賞讃していて、私はうれしかった。もしかしたら、戦争中に読んだあの文章も、おなじ訳者の手になったのではなかったかという思いがあったが、そのころの私はそういうことをきちんと調べる習慣をもっていなかった。
 一九五五年に出版された『海からの贈物』は、著者が夏をすごした海辺で出会ったいろいろな貝がらをテーマに七つの章を立てて、人生、とくに女にとって人生はどういうものかについて綴ったもので、小さいけれどアンの行きとどいた奥行のある思索が各章にみちた美しい本である。たとえば、つぎのような箇所を読むと、ずっと昔、幼い日に私を感動させたあの文章の重みが、もういちど、ずっしりと心にひびいてくる。
「今日、アメリカに住んでいる私たちには他のどこの国にいる人たちにも増して、簡易な生活と複雑な生活のいずれかを選ぶ贅沢が許されているのだということを幾分、皮肉な気持になって思い返す。そして私たちの中の大部分は、簡易な生活を選ぶことができるのにその反対の、複雑な生活を選ぶのである。戦争とか、収容所とか、戦後の耐乏生活とかいうものは、人間にいや応なしに簡易な生き方をすることを強いて、修道僧や尼さんは自分からそういう生き方を選ぶ。しかし、私のように、偶然に何日聞か、そういう簡易な生活をすることになると、同時に、それが私たちをどんなに落着いた気分にさるものかということも発見する」
「我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を米たすものなのである。或る俥の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。しかし女にとっては、自分というものの本質を再び見いだすために一人になる必要があるので、その時に見いだした自分というものが、女のいろいろな複雑な人間的な関係の、なくてはならない中心になるのである。女はチャールズ・モーガンが言う、『同転している車の軸が不動であるのと同様に、精神と肉体の活動のうちに不動である魂の静寂』を得なければならない」(新潮文庫)
 半世紀まえにひとりの女の子が夢中になったアン・モロウ・リンドバーグという作家の、ものごとの本質をきっちりと捉えて、それ以上にもそれ以下にも書かないという信念は、この引用を通して読者に伝わるであろう。何冊かの本をとおして、アンは、女が、感情の面だけによりかかるのではなく、女らしい知性の世界を開拓することができることを、しかも重かったり大きすぎたりする言葉を使わないで書けることを私に教えてくれた。徒党を組まない思考への意志が、どのページにもひたひたとみなぎっている。》

 そして、須賀さんは雑誌連載の次の号に、須賀敦子の存在が私のなかに決定的な痕跡を残すエッセイを載せるのだ。

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