見出し画像

山崎範子  「谷根千」の先駆者

 昭和三十六年に『谷中の今昔』という一冊の本がでた。著者の木村春雄さんは谷中真島町会長であり、ついこの前まで長らく谷中連合町会長でもありました。
 森まゆみが『谷中スケッチブック』を取材する過程で、谷中を書いた数少ない資料であるこの本に出会ったのです。

─―谷中にはいつから?
「私は明治四十年、宮城県の農家の生まれでね。十八の時に上京して、練塀町の印刷工場で五年間小僧をして、京橋で独立した。工場を持たないで、外交専門で本やパンフレットをつくる、いってみればブローカーだね。それがひょんなことでひっかけられて昭和十三年、仕事をたたんで谷中の長屋にきたのがはじめ」

─―どうして『谷中の今昔』を作ろうと思われたのですか。
「そりゃ自分が馬鹿でないってことを見せるためだよ。戦後も商売で失敗して、仕事がないときに、ようし、金はなくても馬鹿じゃないってことを証明しようと。
 それで、この辺のことを書いた本はないし、下谷区史の谷中に関する辺りをまとめようと、巣瀬純一さんと協力してはじめたんです。二人でしょっちゅう会って打ち合わせして。いやあ、ほとんど飲んでただけだったか」

─―本づくりの資金は?
「金がまったくなかったからね。近所の店から広告を取って、それだけじゃ足りなくて家内が帯を加工する仕事もして。
 それでも調べてつくる本だから、速くは書けないんだ。昼は食うために働いて、夜業してやるんだから、なかなか原稿ができない。そのうち印刷費は上るしさ。広告とったのに三年も本が出なかった」

─―でも、この広告自体に資料性がありますね。当時谷中にあった店がわかる。「そういってくれる人もね。活版も金の続くだけバタバタ組んで、最後にやっとノンブル通したり、苦労したよ」

─―タイトル文字は朝倉文夫先生ですね。
「そう。表紙の絵は、片町に住んでいた岩田正巳さんに描いてもらった。朝倉さんは、君も大変だし町のための仕事だとタダだったが、岩田さんはいくらかくれと言ってきた、平櫛田中さんは、何も手伝えないが売れば資金になる、と色紙を二枚描いてくれたよ」

─―それで、本は売れましたか?
「定価五百円つけたけど、谷中銀座の本屋で三、四冊売れたくらいだろう。あとはみんなやっちやった。もう手元にだって一冊しかないんだよ。
 でもあなたたちはいい時に始めた。みんな町づくりとかに興味か出てきたから。私の時は駄目だった」

─―そうでしょうか。でも、木村さんがいらしたからこそ、後に続いていけたのです。改めてありがとうございました。

【追記】
 木村さんの著書『谷中の今昔』はなかなか手に入らなかったが、今はネットで古書を探し買えるようになった。今日、「傷みアリ/二〇〇〇円」という情報を見つけた。

草の葉ライブラリー 山崎範子著「谷根千ワンダーランド」近刊

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?