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ケーキづくりの大騒動   菅原千恵子

あいこの12

愛しき日々はかく過ぎにき   菅原千恵子


 授業のカリキュラムに組み込まれていたのかどうなのか、時々私たちのクラスでは、料理の時間というのがあった。料理といっても、何の設備もないところでやるのだから、料理に必要なものの一切を、自分たちで持ってこなければならない。まず幾組かのグループに分けられそのグループの者達で、自分が何を持ってくるかを決めて行く。私たちが最初に作ることになったのが、ホットケーキだった。これは、卵と小麦粉、それに膨らし粉、蜂蜜、バター、そして、おたま、泡たて器、布巾、フライパン、ボール、フライ返し、それと肝心の七輪と炭ぐらいでよかったから、割合簡単に決めることができた。

 膨らし粉は重層で代用しても良いといわれたが、確かベーキングパウダーというのが家にあったことを思い出し、それと重層が同じだったので、私はバターと蜂蜜、それに膨らし粉を持ってくることにした。たった二時間のために、遠いみちのりをそれぞれ材料や、器具を抱え、それにランドセルをしょって学校までやってくるのだ。晴れていればいいが、雨など降ると、それに傘もささなければならないから、天気予報を聞くのは何より大事だった。それでも食べ物を作るということがうれしくて、前の晩など眠れないほど興奮したものである。

 それぞれが重い荷物を抱えて、学校に集まってきた。もう、教室は蜂の巣をつついたような騒ぎで他の人の話しなど聞こえないも同然だった。それぞれのグループでは早く来た者から順に、机をテーブル兼調理台になるような形に組み合わせ全員がそろうのを待っている。男の子達は、ただただはしやいでしまっていて、持ってきたボウルをおたまで叩いて騒音をだす者や、まだなにも始まっていないのに卵を床に落として割ってしまうものなどで、教室が揺れているようなほどのざわつきようである。

「Rはまだ来ねのが? 弱ったっちゃなあ。Rが来ねど俺だちの班はホットケーキなんて焼がれねんだ」とOが心配している。何しろRは家が学校に一番近いからという理由で七輪を持ってくることになっていたのだ。そのRがまだ来ていない。他の者は全員揃っているというのに。先生も来ていないうちから炭を起こしている班もあるくらいだ。どこかの班が火を起こし始めると、他の班も焦って次々と火を起こし始めた。

「まさか、熱出して休むってゆうんでねえべっちやなや」
 Oの心配は、たちまち私たちにもうつってきて、もしそんなことになったら、私たちの班は全員ホットケーキにありつけないことになる。Kがたまりかねていった。
「そんなこと心配してるくらいならO君がひとっ走り行って見てきたらいいべっちや。あんだは足速いんだもの」
「んだな。行ってくっぺかな」

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 食いしん坊のRはいやに素直だ。もし食べられないようなことでもあろうものなら生涯の悔いが残るとでもいいたげだ。私たちも心配で、下駄箱のところまで一緒に下りていった。Oがズックをはいていると、遠く校庭の端に、Rがよろよろと歩いてくるのが見えた。私たちは歓喜して叫んだ。
「何してたんだあ、遅がったよー」
OがKの声を聞いて、七輪を足下に置き、力なく手を振っている。
「O君、何してんの。すぐ行って七輪ば持ってくるの手伝ってやんねげねえべっちゃ。ただ騒いでねで早ぐいがいん」

 Kに叱られ、Oは急いでRの所へ駆け出していった。考えてみればRは学校に近いといっても体がとても小さいのだ。小さい彼が重い七輪を担いでくるのはいくら近いといっても、大変だったはずだ。少し歩いては休み少し歩いては休みしなければ持ってくることはできない。だから遅くなったのだと私たちは納得した。ところが遅くなったのはそれだけではなかった。つい今し方まで母親がこの七輪を使っていたというのだ。

「だれえー、まだ熱っついんだもの、持って来んのはひどいのっしゃ。そんでねくても、母ちゃんが焼けどすんでねがとか、七輪ば割ったら駄目だどかゆって、うるせがったんだ。俺、んだがら休み休み注意しながら持ってきたのっしゃ」
 確かにRの持ってきた七輪はまだほのかに暖かかった。OがRの話しもそこそこに急かしていった。
「そんなのんびりどRの話しなんか聞いてらんねんだ。もう、他の班は火を起こしてんだでば。急がねど。早ぐ早ぐ」

 さっき始業のチャイムがなったので、先生が教室に来ているかも知れない。私たちは、急いでRの手から七輪を奪い取ると、教室のある二階の階段を昇っていった。教室の前に来ると、先生が何やら声高く叱っているのが聞こえてきた。私たちのことかも知れないと思い、背中が寒くなるのが自分でもわかった。入ろうか入るまいかと迷っていると、廊下の窓から私たちを見つけて、先生が中に入るようにといったので、おずおずと小さくなりながら私たちは入っていった。

「勝手に火などいじらなかったのは、ここの班だけだったな。おまえ達は、クラスの手本だから、すぐ席に着いて、火を起こしてもいい。後の班は、十分後に火を起こすように。その間、反省しているように」
 先生が怒っていたのは、まだ先生も来ないうちから火をいじっていたということについてだった。

 教室の窓から煙が漏れているのを見つけ、火事かも知れないと思ってあわてて飛び込んできてみたところ、それぞれの班が下敷きで風を送って勝手に七輪に火を着けていたのを目撃した途端、先生は頭に血が上ったらしい。それで皆に雷を落としたのだった。何が禍を呼び、何が福をもたらすかはまったく人生分からないものである。私たちの班は、Rが遅かったばかりに、先生の怒りをかわずにすんだのだ。

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