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ウォールデン・森の生活 今泉吉晴



 私も「森の生活」に憧れました。
 この本は、ヘンリー・D・ソローの名作「ウォールデン 森の生活」の全訳です。多くの訳本が出されている今日、私がこの古典を訳すには、もちろん理由があります。 
 この本は、ソローが27歳で森に移り住み、その経験から学んだすべてを、見えてきた世界のすべてを書いた傑作です。なぜ、森に入って家を建て、畑を作り、自然を見て生きたのか、森でどんな経験をしたのか。ソローは住んだ森から散歩に出て、人間の社会(村)も、鉄道も、工場も観察しました。それにしても、なぜソローは、わざわざ森から、人の社会を観察する必要があったのでしようか。

 ソローは詩を読み、古典を読み、旅行記を読み、そして最新の科学書を読みました。ソローはニューイングランドの森にいて、世界の常識を根底から覆す進化論を先取りし、どう生きるかを問いました。自然を見る目が変わり、人間社会に言いたいことが山のように生まれました。そこでソローは、森にいる間、本書の執筆に取りかかったのです。本書は、すべてのアメリカの若者の原風景を作り、美意識を改め、そして人生を見る目を変えたと言われます。

 そこでなぜ、今、この本を訳すのか。それは何より、私が「若者として」この本を読みたくて、次々に出る新訳を手に入れては、今度こそ、と胸躍らせ読んだのに、ついに読める訳に出会えなかったからです。なぜそうなのか、ソローの言葉をそのまま使わせてもらえば、ひと言で言えます。
 「だらだらはやめ! 全部やめ! やっているようで、何も進んでいないのはなぜか?」(第二章「どこで、なんのために暮らしたか」)

 学生だったころ、私も「森の生活」に憧れ、文庫で出ていた「森の生活」を読みました。輝かしい「森の生活」とは大違い、森の魅力を会得できず、ついに読めませんでした。私は、新訳が出るたびに買って読みました。私ほど忠実な「森の生活」の読者は少なかったでしょう、五、六冊にのぼりました。そのうちに数十年が経ちました。私は、「森の生活」を読了するより先に森を手に入れ、森の生活を始めていました。

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 ある日、立ち寄った東京・神田の書店で原書「Walden」を見つけ、読みました。一読して、訳本で読んだ、時代がかったようで時代不明な文章ではなく、古ぼけておらず、曖昧でもなく、威張ってもおらず、達観した老人の書いた文章でもありません。簡潔に言い切る、喜びにあふれた見事な記述とわかりました。そこで、数ページを訳して、その文章を読むと、なんと見事な自然観察! 感覚を楽しませる、なんとユニークな社会との距離の取り方! と感心しました。私は、とうに若者ではなくなっていたものの、これから人生を始めるつもりでした。そこで翻訳に取りかかったのです。

 でも、ひとりよがりで読んでは、わかったという気がしません。アメリカ人がどう読むか、聞くに限ると思いました。ロビン・ウィリアムズ主演の映画「いまを生きる」(Dead Poets Society, 1989)をご覧の方は、おわかりでしょう。アメリカでは高校生が、「森に住んだのは自由に生きるため」と“Walden””を暗唱して、人生のスリルを味わいます。古典が「(文学者や詩人ではなく)あらゆる人々の唇から発せられる生きた言葉に」(第三章「読書」)なっている社会こそ、ソローが夢に見た世界でしたが、「いまを生きる」では、まさにそうでした。しかし私は、劇ではなく人が生きる現実の場面で、ソローの言葉にいったいどんな魅力が感じるのか、目の当たりしたいと思いました。

 そこで、私は誰でもいいと、スカウトしたアメリカ人に一緒に呼んでもらいました(失礼な表現ですが、私は「生身の人」がどんな驚きの言葉を発するかを知りたかったのです)。すると、その人は私の目の前で「Walden」を表情豊かに読み、ただちに語り始めました。その、なんとイメージ豊かな読み取り方!  なんと緻密な文章のつながりの把握! なんと遠くへ飛ぶ意味の飛躍! ある時は彼の、ある時は彼女の、生きた「ウォールデン」に、聞き入る時間を私は持てたのです(四人ほどに読んでもらいましたが、『いまを生きる』の撮影に使われた洞窟で、子どものころに遊んだという人もいました)。彼らの驚きの言葉は、すべて私の想像を超えました。彼らの生きた言葉が、私の固い頭をほぐしてくれたのです。

 日本語が得意な人もいて、英文のこのあたりは日本人は間違えるだろう、と、これまでの訳本の文章をいちいち参照しながら、私に親切に指摘してくれる人もいました。それはありがたい指摘で、大いに役立ちました。でも私は、読んでくれた人の言うままに訳したわけではありません。読んでくれた人の多くは、部分的にですが、ソローに反発して表面的にしか読めず、自分の解釈ですましました。ソローの文章は、平明であっても深く、幾重にも意味が重なり、他の言葉と連なり、本の全体と関わっていました。それを、翻訳作品として満足できるように適切な日本語に移すのは至難の業です。ソローがもくろんだ通り、読み手である私の固い頭には、あまりに「突飛」でした。長く頭に温めて吟味しなければ、前後の連なりさえ理解不能な箇所が続出しました。

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 私は、1998年12月18日に最初の一ページの翻訳にかかり、2000年12月19日に最後の一ページの翻訳を終えました。以後、推敲と読み直しと、裏付けを中心に、ソロー研究を進めました。推敲と読み直しに長い年月がかかったのは、今、書いた通り、温めて吟味することが必要だったからです。つまり、私が変わらなければ、訳はできませんでした。

 ソローに関しては、たくさんの研究論文や研究書が出版されています。そのリストだけで、一冊の本になっているほどです。私は、面白そうな研究書をどしどし買い入れ、片っ端から読みました。難解で、さっぱりわからない本もありました。でもわけのわからない本は、私の専門の動物学でもあります。ソローも言う通り、「自分に合ったものだけが、真に役立つのです」(第一章「経済」)から、身に合わないものは捨ててしまえばいいのです。そのうちに、読んでドキドキする本が見つかりました。もちろん、面白い本が見つかるようになったのも、これまたソローが言う通り、変わったのは相手(この場合は本)ではなく、「私が変わった」からです。

 たとえば、歴史家ドナルド・ウォースターの「自然の経済」は、ソローが生きた時代のアメリカの経済が、いかに森と深い結びつきを持ちながら、大多数の人がその関係に無関心であったか。ソローがいかに早くその関係に気づいていたか、ソローの考えと提案が、いかに現実に即したものであったかを書いていました。ウォースターはアメリカ中西部の出身で、アメリカ経済が陥った1930年代の大恐慌と、それに呼応して起こった環境の大崩壊、「ダスト・ボウル」の後遺症に悩むオクラホマ州で子ども時代を過ごし、歴史家になって子ども時代の経験を問い直し、自分の経験がソローの経験と結ばれたものであったことに気づきました。

 また、カナダの英語学者であるビクター・フリーセンの「ハックルベリーの精神」も、私に素晴らしい気づきをもたらした本でした。ソローのように簡素に暮らす両親が経営する1930年代のカナダの開拓農家で育ったフリーセンは、自然を「浴び」て「飲む」ソローの感覚の喜びを、共感をもって伝えています。フリーセンのこの本なしには、私はソローが森で感じている喜びを、共感をもって理解することはできなかったと思います。同じように魅力ある本は、まだまだたくさんあります。私は、ソローの研究の第一人者ウォルター・ハーディングの「ソローの伝記」をはじめ、注釈書などは、みな参考にさせていただきました。

 これら幾重もの助けを借り、私は地域の自然と社会に感心を向ける本来の性向をもって、良き人と自然の関係をソローに問うて「Walden」を読みました。この本は、ソロー(書き手である私)が一緒にする「私とあなた」の冒険の物語です。ソローは森であなたに問い、あなたはソローに問い、共に古典を読み、散歩をし、あらゆる言語を超えた、人と生き物の共通の言葉であるサウンド・サイレンス(第四章「音」)に耳を傾けます。本書は、生きとし生けるものの言葉、サウンド・サイレンスで書かれています。

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 ソローの魅力といったら、何よりソローが、読者の一人ひとりに向ける、簡素な暮らしを送ろうという呼びかけの親しさでしょう。私はアメリカ空軍の「超空の要塞」B29の大編隊の空襲を受けて焼け野が原になった東京の戦後教育で、小学校の先生から「日本は東洋のスイスになる」と言われて、簡素、臨機応変、合理主義、そして自然との共生を理想とする価値観を身に付けました。が、ヨモギを摘んで小麦粉を何倍にも増やしてパンを焼いた私の子ども時代の暮らしを、アメリカ人がわかるはずがないと、密かに思っていました。でも、ソローの簡素さは、戦後日本の経験すら先取りして人の暮らしを追求しており、私が世界で最もひねた理想と思っていた貧乏の理想が、見当違いではなく、人の暮らしの本道にあることを伝えてくれました。それがソローと私の冒険の物語です。

 「森の生活を始めた」私は、自然の素晴らしさに目覚めつつありました。私が専門にする動物学は、専門分化が激しくて、実験・観察から研究論文のまとめまで、あらゆる研究が、退屈な仕事になっています。「ウォールデン」は、私たちに時代を遡って問題を見直させ、あらゆる関心を、生き生きと、赤ん坊のように再生させる力を持っていました。

 私は、子ども時代からの猟師の経験(昆虫を捕らえ、ドジョウを漁り、のちに動植物学者になって罠を引きずり、山野で動物を追った記録)が蘇るのがわかりました。ソローの言う「自分自身を狩る強靭な猟師になろう」という、ドキリとする言葉の鋭さは、猟師の経験を重ねた人でなければ、核心がわからないでしょう(ソローによる猟師の知恵の独創的な評価は、今日ではイタリアの歴史家、カルロ・ギンズブルクの研究により、学問的に確かな着想とされます)。あるいは美しい夜の森の散歩も、その経験がない人にわからないでしょう。あるいはまた、朝の朝である真の早朝に、ほのかに射す朝日の色合いは、それを見て何事かを察知しようとする経験を一年は重ねた人でなければ、目にも入らないでしょう。そんな経験を密かに重ねている人が、世界にどれほどいるでしょうか? そこで、ソローは誤解されてしまいます。

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 ソローの自然研究に対する批判は、ジョン・バローズ(1919)に始まります(私は第10章「ベイカー農場」の注で、手短にバローズの批判に触れました)。バローズという、アメリカで最も人気のあるナチュラリストによる「ソローは科学的ではない」という批判のお墨付きは、多くの追従者を生みました。ノーマン・フォレスター(1923) は、「小学校の生徒でさえ、五年もあればソローの鳥の知識を超えることができる」と述べ、ソローの稚拙をあげつらいました。チャールス・アンダーソン(1971)は、ソローの研究は「今日の生物学者にはあまり興味を引かない」と述べています。日本でも「森の生活」の翻訳者の中に、このような言葉を残している人がいます。

 私はこれらの批判を、批判した人を非難してここに紹介するのではありません。今日でも、自分は論理的な志向に優れていると自負する人なら、科学者に限らず誰もがソローを読んで、似た感想をもつでしょう(日本の場合には、従来の翻訳の難しさが誤解を一想ひどくしています。

 しかし、そのような論理に強い人でも、若いころから意図して自然を経験してきたソローに、論理や経験でかなう人は、まずいないでしょう。ソローは毎日、散歩に数時間を費やしたばかりではありません。好んで、隣人である木に会いに出かけました。花の盛りを見定めるために、八キロの距離を二週間の間、六回ほども出かけています。また、深い雪の中を16キロほども歩いて、隣人である一本のブナに会う約束を守っています。どんな科学をも超えるソローの豊富な自然経験は、科学の言葉では、語ろうにも語れません。科学は部分を説明するに過ぎず、経験はすべてを受け入れているからです。神話、詩、旅行記、芸術論、先住民の言葉、そしてもちろん科学の言葉に、ソローは表現方法について救いを求めましたが、十分ではありませんでした。

 では、どんな言葉なら語れるか、サウンド・オブ・サイレンスでも十分ではありません。全体の構成が肝腎だからです。そして、それらすべての答えが、本書です。本書を順を追って読んでいけば、自然に限らず、言葉に尽くせぬ事柄の全てを、地域の人と自然を含む身近な環境の言葉で読めるように、ソローは書いています。

 それに、ソローの言葉はあくまでも深く、冒険的です。マツの樹皮をかじって枯らす野ネズミの「害」についての、優れて生態的な見方のすごさ(第15章「冬の動物」)は、大学の自然科学の授業で、自然を性急に知った学者には分からないでしょう。でもソローは、このような冒険者の言葉の平明さゆえの理解の難しさも、わかるように配慮して書いています。

 「彼(カナダのきこり、セーリエン)には、目立たないとはいえ、優れた独創性がありました。私は時おり、彼が自分で練り上げた意見を表明するのを聞きました。しばしばあることではない、価値ある出来事でしたから、私は10マイル離れていようと駆けつけたはずです」(第6章「訪問者たち」)とソローは書いて、自分の気づきと同じ、というより、自分の影であるセーリエンの独創的な着想の誕生を高く評価します。天才も、英雄も、神々も、エデンも、すべては地域の人と自然を含む身近な環境に用意されています。今日の科学も、ソローの経験に無限の価値を認めています。ソローの日記は、科学的データの宝庫とみなされています。

 ソローが「個性的に生きたらいい」と言っている、とは、よく評論家が指摘しています。でも、そんなことよりソローは、コンコードを愛していました。地域との深いつながりを何よりも大切にしていたことを言う人は、特に日本ではほとんどいません。しかも、その地域にはエデンがあると言って、天国は地上にないという宗教を批判しました。このものの見方は、何より「ウォールデン」を読む上で必要な見方です。私は、地域主義こそ、ソローの言いたかったことだと理解して当たり前、と考えます。

 私はちょうど今(2004年3月12日)、校正の作業を終えて、図や写真も整え、注釈も付けてすべてを終りました。そこで、ソローの言うひと仕事終えたところと言わせていただきたいと思います。そして目覚めた朝(3月13日)に、ソローが書いている通り、私も、「答えられた問いの世界である、すがすがしい朝」に目覚め、朝日を浴びる稀有な経験ができた、と報告したいと思います。

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