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パワー・オブ・ザ・ドッグ──すごい本に出会った    波多野理彩子

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すごい本に出会ってしまった。最初にこの本を読み終えたとき、そう思った。
 出会いは今から二年ほど前にさかのぼる。編集者の方から聞いたのは、一九六七年に初版が発行され、最近ジェーン・カンピオンによる映画化が決まったこと。一人の女性の出現をきっかけに、モンタナの大自然で暮らす兄弟の関係性に変化が訪れるストーリーであること。それ以外はほとんど予備知識もなく読み始めたところ、瞬く間に物語の世界に引きこまれた。

何しろ冒頭が衝撃的な牛の去勢シーンである。続いて、去勢した牛の睾丸を火の中に入れるとポップコーンみたいにはじけて、それを食べるとか食べないとか、嘘かまことかよくわからないカウボーイの世界の話が紹介され、物語の主人公である対照的な兄弟のフィルとジョージが登場。まさに「つかみは完璧」で、あっという間に二十世紀初めの米国西部の牧場へとタイムスリップしてしまった。

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その牧場を舞台に展開される、フィルとローズを軸とする心理サスペンス劇もさることながら、同じくらいこの物語を魅力的なものにしているのは、登場人物の巧みな心理描写や、米国西部のロッキー山脈周辺の雄大な自然の情景描写であり、そこに暮らす多種多様な人々の姿が生き生きと伝わってくる点だ。物語の舞台は、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビ-』と同じく第一次世界大戦後の好景気に沸く米国で、ニューヨークから遠く離れた西部にも、その時代の華やかな空気が漂っていたことは、本書のさまざまな場面からうかがえる。

南北戦争後の十九世紀後半から二十世紀初頭の米国は、電気、電信、鉄道、水道などインフラ面の発達や、電球や電話、蓄音機、自動車、映画、保存瓶や冷凍技術など多くの発明により、人々の生活が劇的に変化していた。辺境の地にある裕福なバーバンク家の暮らしぶりも、新たな時代に生まれた発明品の数々によって彩られている。フィルが急速な時代の変化にとまどう一方、ジョージはその流れを必然として受け入れているが、二人の考え方はこの時代を生きた人々の対照的な考えを代表しているのかもしれない。

「狂騒の二〇年代」は一九二十年に米国全土で女性参政権が認められるなど女性の解放が大きく進んだ時代でもあり、作中で夕食会に招待された州知事夫人が酒やたばこをたしなむ姿は「新しい」女性像そのものである。しかし、家父長の男性が女性や子どもを保護すべきだとする十九世紀の理想の家庭像は二十世紀に入っても根強く支持されており、依然として女性は男性より低く見られていた。

また、この時期の米国は人種差別や民族差別が激化していた。十九世紀後半以降に言語、宗教、生活習慣などが異なる南・東欧からの「新移民」が急増し、「旧移民」のあいだで不安が高まっていたことが、その一因である。「新移民」の中には、欧州で長い差別の歴史があるユダヤ人、ジプシー(現在は一般的にロマと呼ばれる)も多数いた。エジプシャン(エジプト人)を語源とするジプシーは、おもに欧州を中心に移動生活を営む少数民族を指し、各地の定住民から差別や迫害を受けてきた。

だが、文学や芸術の世界では彼らの厳しい現実が顧みられずに、ロマンティックな「流浪の民」のイメージが一人歩きしており、本書に登場する歌『ジャスト・ライク・ア・ジプシー』(一九一九年)もその一例である。ユダヤ人は、短期間で社会的に成功する人や、労働組合活動や社会運動に携わる人も多く、不当に反感を持たれた。自動車王のヘンリー・フォードが一九二〇年から傘下の新聞で展開した反ユダヤーキャンペーンは、その顕著な例である。

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また、米国の歴史は当時インディアンと呼ばれていた北米先住民の迫害の歴史と切り離せない。例えば米国政府が一八八七年に制定したドーズ法は、居留地に住む先住民に土地の私的所有と市民権を認めるかわりに余剰地を白人農民に開放するもので、同法の制定から約半世紀後には、居留地の面積が当初の三分の一強まで落ちこんだ。さらに、この時期の米国では英国生まれの優生学に基づく運動か盛んだった。

アングロ=サクソン系を中心とする「優秀な」白人を増やすことが米国社会の向上につながるとされ、移民や有色人種だけでなく、精神障害者なども社会の劣化を招く存在だという誤った認識があった。おもにフィルの視点から語られる本書の差別的な考えや描写は、このように現在とは比べ物にならないほど強烈な差別意識か当時の米国社会に広く存在していたことの表れである。

なお、本文中にピーターという名前に中性的なイメージがあるとするくだりがあるが、これは二十世紀初頭に人気を博した舞台『ピーターパン』で女優のモード・アダムズが主役の少年ピーターを演じて彼女の当たり役となったことが影響していると思われる。

本書を読んで何よりも心を打たれるのは、夫婦、親子、兄弟、友人の関係の描かれ方だ。物語に出てくる誰もが、形や愛し方は少しずつ違えども、誰かを想い、愛を示したいと思い、それが相手にうまく伝わらないときもあれば、自然に思いが通じるときもある。そうした関係は、家族や異性間だけでなく同性間の場合もあるだろう。とりわけ印象的なのは、「優しくするというのは、おまえを愛してくれる人、おまえを必要としてくれる人の行く手にある障害物を取り除いてやることだ」というジョニーのセリフだ。愛はときに独りよがりのものになるが、その人なりに懸命に誰かを愛したことを、他人が非難することはできないと思った。

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著者のトーマス・サヴェージについても触れておきたい。一九一五年生まれ。二歳のときに母ベスが父と離婚し、五歳のときに母が再婚してからは、継父のチャールズ・ブレナーの家族か営むモンタナ州南部のブレナー牧場で成長期を過ごす。バーバンク牧場のモデルはブレナー牧場、主人公フィルのモデルは継父チャールズ・ブレナーの兄ビルと見られ、作中の架空の街ハーンドンは、著者が高校時代を過ごしたモンタナ州ビーバーへッド郡の郡都ディロンがモデルのようだ。

そのディロンにあるモンタナ大学ウェスタン校で長年英文学教授を務めたO・アラン・ウェルツィエンによる著者の評伝『サヴェージ・ウェスト』(邦訳未刊)によると、著者は同性愛者であり、そのことは同じ小説家の妻ベティ(エリザベス)も結婚前に本人から打ち明けられて知っていたという。それでも著者とベティはおしどり夫婦として生涯連れ添い、三人の子をもうけたほか、ベティは夫の作品の「編集者」として折に触れて助言もしていたようだ。

また、著者は一九六〇年代初めに、のちに有名な絵本作家となるトミー・デーパオラと一年ほど恋愛関係にあったという。だが二人の関係は著者の子どもたちの知るところとなり、父親としての義務感とデーパオラヘの愛情の板挟みで苦しんだ著者は、みずから別れを切り出して関係に終止符を打った。その五年後に本書が刊行されるのだが、その前に著者は、デーパオラとの関係をもとに男性同士の恋愛を描いた自伝的な小説を書きあげた。

しかし当時の社会状況から刊行できる見込みはないとのエージェントの助言により、日の目を見ずに終わった。メイン州の自宅前に広がる大西洋に彼自身が捨てたという、当時としては画期的だったに違いないその小説か現存していたら……。時代がトーマス・サヴェージに追いついた今となっては、その作品が闇に葬られてしまったことが惜しまれる。

本書はしばらく絶版になっていたが、―○○一年にリトル・ブラウン社から再刊され、『ブロークバック・マウンテン』のアニー・ブルーがあとがきを寄せている。再刊のきっかけは、当時、同社の編集アシスタントだったエミリー・サルキンが祖母の本棚にあった本書を読んで感銘を受けたからだという。

著者は亡くなる前年に本書が、フランスやベルギーでも好調な売れ行きを見せていることに大変喜んでいたようで、このたび日本で刊行されることも、きっと天国で喜んでくれていると思う。それぞれに孤独と秘密を抱える「のけ者たち」の物語が多くの方に読んでいただけることを、訳者として願ってやまない。

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いつもながら映画に触発されて、原作を読むことになるのだが、十二年ぶりにメガホンをとった女性監督ジェーン・カンピオンの「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は、出色の映画に仕立てられている。練りに練られた脚本、油絵のように深く彫り込まれた映像、ひりひりするばかりの鋭い緊張でストーリーは展開していく。どれをとって一級の映画である。それにしても次々に登場する日本の映画の安っぽさはどうだろう。黒沢明たちによってつくられた日本の映画はどこにいったのだろうか。

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