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スナック美奈子での五日間 山崎範子

 これは極上のルポだ。山崎範子のコラムニストとしての、あるいはエッセイシストとしての才気がほとばしっている。スナック稼業を、美奈子ママの人生を、その店に集う人々をとらえる視点の深さ、そして文章の構成力。たとえば、修業する目的が三つあるとして、冒頭でその二つの目的を書くが、三つ目は伏せられている。その三つ目が最終日に明かされるのだ。そのシーンに出会ったとき、私たちの心のなかに鐘が鳴り渡る。たった五日間の体験だが、山崎範子の柔らかい心と、繊細な感受性と、それを確かなタッチと文章力で描くこのルポは、短編小説のように仕上がっている。読む者を幸福にさせる。


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スナック美奈子での五日間  山崎範子

 美奈子での修業の日々を書こう。
 道灌山下近く、不忍通りとよみせ通りをつなぐすずらん通りは、夜になると軒を並べたスナックの看板に鈍い灯りが点る。美奈子の灯りはちょうど真ん中。

プロローグ

 浜田美奈子。富山の生まれ。一九七九年(昭和五十四年)に店を持った。以前は銀座。無類の本読み。映画とテレビとトランプも好き。レスリー・チャンの熱烈なファンだった。これが私の知るところ。               修業する一つ目の理由はキモノ。谷根千工房では昨年「月に一度は和服で仕事」と定めたが、計画倒れ。そこで美奈子。ここではキモノが仕事着である。
 二つ目は謎解き。一九八五年に「谷根千」三号を初配達以来、毎号八十冊、ざっと計算してもこれまでに六千冊以上の「谷根千」を美奈子に持ち込んでいる。いつだったか、配達初日から数日後に来たら、すでにカウンターに最新号が。「待ちきれなくて自分の分だけ買ったのよ」。目頭ジーンである。美奈子にいる読者はどんな人だろう。会いたい。
 そして三つ目。いや、とまれ、先に進もう。

一日目 仲よき夫婦は踊る

 校正作業をしていて気がつくと午後五時。キモノに着替えねば。よりによって夕刻から雪の予報、日頃の行いが悪すぎる。キモノ本番と思うと緊張してうまく着れない。帶をなんども締め直す。教えられた通り洗濯鋏を袂に一つ。これで厠も安心だ。どんよりした空の下、気合いを入れて、事務所を出る。                                 夕方六時半出勤。おはようございます。オンザロック、水割りの分量を確認。客のグラスか三分の一になったらお代わりを作ること。おしぼり、コースター、箸置き、割箸の場所を頭に入れる。店で避けるべき話題は政治、宗教、贔屓の野球チーム。ほかの客と険悪にならないための智恵だ。スタイルや頭髪の話もご法度。覚えておかなくては。

 この日、初めての客は景気づけに来てくれた友人の多児さん。自分でキモノを仕立てる彼女は、ママの装いを見て「シオザワですね」と声をかける。シオザワとは地名で、新潟県塩沢で織られた御召のこと。どうしてわかるの? つづいて鬢つけ油の匂いとともに現れたのは、桐山部屋の若き関取、嶋瀬川。

 アキさん出勤。美奈子では夜八時から十二時まで、週に二日ずつ若い女性三人が交代で入る。アキさんは月、金曜日で美奈子歴二年。ママがキモノを着せると美しくて眩しいようだ。今週は私も含め狭いカウンター内に女三人、帯が邪魔してすれ違うのも厄介だが、いつしかそれも気にならなくなった。

 十年を超える常連の夫婦と友人、会合帰りの女性陣、カメラ小僧、ギャラリーのオーナーが韓国の作家と友人を連れて現れ、バドミントン帰りの三人組が扉を開けたころから、私の頭はパニックになる。気がつくと目の前の客が手酌でビールを注いでいるし、お通しを出した客からは箸を催促され、おしぼりを手渡すのも忘れてる。ママは二組の客の話に相槌を打ちながらお代わりを作り、アキさんは韓国青年と英語で話しているではないか。う~ん、まずいぞ。

 顔もガタイも声もいい青年か韓国語で歌う。カウンターの夫婦が踊り始める。行き来も難しい狭い通路で妻をクルクルまわす人の嬉しそうなこと。この仲のよい二人は、美奈子で出会い一緒になった。

 常連客でカウンターが埋まったころ、着付けの師匠の重盛さんが友人三人と来店。テーブル席を詰めてもらう。店は満杯だ。この喧噪のなか、見知った顏が扉を開けた。古書ほうろうの宮地夫妻。ごめん、いっぱいなの(後でオオギが聞いたら、宮地さんは美奈子の重い扉を精一杯の勇気をふり絞って開けたそうだ。ホントにごめん)

 本日誕生日という男性が日付けの変わる寸前に現れる。カウンター中央に席を作る。ママは彼のために冷やしておいたシャンパンの栓を抜く。おめでとう!了解を得て個人情報を少し。祝ってもらった那須省一氏は、海外勤務ばかりの読売英字新聞の編集長。たまの国内勤務のときは、美奈子の近くに住むと決めている。一年前にロンドンから戻って、今は団子坂、その前は動坂。すでに二十年近いなじみ客。「君がヤマサキさんだね、どう調子は」とやさしい声がかかる。もちろん谷根千読者なのだ。

 尽きることがない喧噪もいつしか静まる。最後の客を送り出して外に出ると、視界がきかないほど雪が降りしきりる。一面の銀世界だ。
 午前二時二十分。お疲れさまと店を出る。緊張のためか疲れは感じない。しばらく歩いたところで、鍵も財布も谷根千工房に置き忘れていることに気づいた。夜中の雪道を根津まで着物に革靴で歩き、静まった町で家のインターホンを鳴らし続けた。初日完了。

二日目解放されるために酔う

 朝十時、ひっそりしたすずらん通り、ただ一軒開いているヴァルガーからコーヒーの香りがただよう。ママがトレーナーにズボン、エプロン姿で店の掃除をしていた。トイレに香を焚く。「以前は夜遅ければまだ寝てる時間だけど、今は目が覚めちゃう」。洗濯機からおしぼりやふきんの入った洗濯ネットをいくつも引き上げ、二階のベランダに干す。白いタオルが屋根に残る雪に溶けて、東北の山間にいるような錯覚に陥る。それくらい静かだ。車の音も届かず、軒の連なる路地裏なのに話し声も聞こえない。

 十一時、一切の掃除洗濯を終え三階に上がる。二階は居間と客間、三階に寝室と台所。書棚に本があるのは当然だが、台所の引き戸を開けても本が出てくる。「私は楽しくて読むだけ」という棚に山本周五郎の全集と森まゆみの本がズラリとあった。『彰義隊遺聞』が二冊もある。
「武藤さんで買ってあったのに、往来堂でも買っちゃった」

 里芋の皮をむく私の手許を見て、「店で出すのだからもっと厚くむいて、色の悪いのも除くの」と見本を示す。店には食事のメニューはないが、煮物は必ず作る。干椎茸や筍や薇(ぜんまい)など国産の上等な食材を使う。午後一時、煮物の昧つけがすんだところで引き上げ、夕方六時半、朱鷺色の紬で出動する。

 ママはおしぼりを丸めていた。さっそく手伝うが、私が一本丸めるうちにママは四本目に取りかかる。店のおしぼり使用量は半端でない。トイレから戻った客の胸元に、熱いおしぼりをさっと出す。タイミングが肝要だ。

 昨日の喧騒がうそのようにヒマだ。早い時間はこんなもんよとママは動じない。八時に火、土曜日のカズミさんが出勤。美奈子歴三か月。年齢は私の半分くらい? いえいえまさかぁ‥‥。八時半、本日初めての客が重い扉を開けた。彫りの深い美男子である。カウンターに座り、「何でここに来るかわかる? 酔うなら家でもいいでしょ。僕は僕を縛るものから解放されに来る」なんてことや、「人生どう生きるか‥‥」なんて話す。「顔は甘いのに話は堅い」とママに容赦なく言われるのが嬉しいとか。

 昨夜も同じころに現れた男性が四杯目のバーボンを味わう。静かにグラスを傾ける姿がさまになる紳士だ。近藤十四郎さんが来た。「ね、隅々まで読んでるでしょ」。ホント、美奈子での修業告知は前号の最終ページに小さく書いただけだもの。

 そんなこんなでカウンターが半分埋まり、公務員三人が奥のボックス席に。「ボトル入れるからさあ、何が安いの?」。実は、スーパーニッカもハーパーもワイルドターキーもフォアローゼスもみな同じ値段。簡単でいい。ママの古い友人のクミさんが来た。「美奈ちゃんみたいにスポンサーを持たず、客に媚びず、自分の商売をして客に慕われる人は少ないの。昔気質よね、人に良くしたいだけなんだから」と話してくれる。「美奈子のことは何でも知ってるから」と。

 カラオケがはじまる。公務員が井上陽水を、クミさんがベトナムの反戦歌「美しい昔」を、ママもサザンを歌う。しっとり歌い、しみじみ聴く晩になった。「あなたも練習よ」と言われ、「別れの予感」を。壁にもたれる男性が「あの鐘を鳴らすのはあなた」を熱唱する。
 夜は更け、一人ずつ家路につく。午前二時四十五分、看板の灯が消える。

 三日日 カウンターの中からの風景


 修業中日となった。ママはテレビを見ながらトランプ占いに興している。数字を繋げながら伏せられたトランプをめくる。見覚えのある一人ゲームだけれど、何をどう占うのか見当もっかない。紙製のトランプは掌と同じ形に曲がり、裏の模様か擦れている。

「プラスチックのじゃダメなのよ。頭んなか空っぽにしてトランプやっていると妙にいい気分でね、今日はもう客がこなくてもいいやって思えてくるの」
 占いはよく当たる。今日の客層、悪い予感、いいことありそうな気配。毎晩一人目の客が扉を開けるまで、日によっては二時間でも三時間でもトランプをきる。

 水、木曜担当のチヒロさんが来た。チヒロさんはふだん映像の仕事をし、四月から野口健さんの清掃登山のスタッフの一人としてネパールへ行く。へえー。山の話をいくら聞いていても客は現れない。今日はゼロ? あっ、扉が開いた。

 若い夫婦だった。応対を聞くと、ママがこの客を信頼しているのがわかる。カウンターの中は不思議な場所で、客との距離がなんだかとてもよく測れる。それはカウンター幅の五十九センチとは無関係。前のめりの客には引き、気落ちした客には温かく、心ここにあらずの客には静かにより添う。うーん、早くも三日目にして開眼している私(実はただの妄想)。

 友人の安田博美さんが「明日はキモノで来るね、今日は下見」とやってきた。続いて谷根千の電脳助っ人守本さん。店内が少し活気を帯びてきてほっとする。身内の気安さで守本さんのボトルをごちそうになり、皆にも振る舞いすぎた。「この減り方すごいね」といわれれば言葉がない。

 女性三人がカウンター席へ。そこへ二日前に誕生祝いをした那須さんが来店。女性の一人と同じマンションに住んでいることが判明して一気に場は盛り上がる。「那須さん、開高健の若い頃にそっくり」と熱い視線をうけている。

 ふいに扉が開き、男性がうつろな目で店内に入る。ママは私の知り合いと思い、「いらっしゃいませ」と声をかける。すでにかなり酔っている。「おしぼりどうぞ」(無視される)、「近くのホテルに泊まってんの、あんた何時まで」(私も無視)。心配だから代わるわ、とカウンターの内側でママと場所の交代。ママはわけのわからん話に相槌を打つ。客は不安とハッタリ、身の置き所のなさと横柄さ。泥酔と覚醒の狭間をウロウロする。本当ならマズイと思う客は「もう閉店です」とか、「団体が来るので席がない」と断るのだ。これを入店拒否というなかれ、常連客への大切な配慮なのである。

 今宵はテーブル席を埋める人もなく、カラオケに興じる人もなかった。午前一時五十分、最後の客を送り出す。

四日目 そういう店ってどういう店

 咋夜(というか今日)の帰りがけ、ママからキモノと帯と帯締めを渡された。「よかったら明日着て」。黒が基調の紬だ。
 六時半出勤。「似合うわよ。帶の位置を下げるともっといい。そして足元を細く着るの」。帯を解きママの前で緊張して着付けをし終えたときに扉が開いた。

 最初の客は、仕事仲間のモリとカワハラ。別の世界に浸っている私は二人に会ってなぜか懐かしい気分。「うちのヤマサキがご迷惑おかけして」。ママは谷根千読者であると同時に、モリの愛読者だ。二人が話すのは二十年ぶり。

 男性がぽっぽつと来店し、古書ほうろうの山崎君と神原さんが来てカウンター席は埋まった。今晩の客足は早い。ほうろう組は、こういう店は何を注文したらいいの? と聞いてくる。「ロックになさる?」「私もいただいていい?」と脅かしてみる。店の女性にねだられると怖いでしょ。「フルーツもいいかしら」なんて肩でも触られたら恐怖かな。でも、ここなら心配はない。店の女性に奢る客は非常に魅力的で格好よく見えるから、ぜひお試しください。

 昨日下見に現れた安田さんが大鳥紬で来店。連れの男性陣は普段着だが、女性陣は美しいキモノ姿。人が入れ替わり、もうひと組のカップルがテーブル席に座る。このとき顔見知りの男性が扉を開け、「あれ、ここってそういう店なの」とたじろいだ。そういうってどういう? ふっと店内を一望すると、男性の横に和服の女性が侍るという景色になっている。なるほど。奥から「ここよお~」と呼ばれ、躊躇していた男性は意を決して入って来たが、こういう店は嫌いなんだと背中が語っている。男性は帰り際、「ここから崩れるのは早いんだ」と呟いた。それ、私に言ってるの?

 昨日と違う日が終わる。午前一時。

最終日 もてなすこと、愛すること

 今日もママの着物で出勤。カウンターにはすでに常連の男性がいた。七時過ぎに仲間のオオギがやって来た。「美奈子さんに」と黄色いバラの花束を差し出す。パッとママの表情が華やぐ。「これうちの人にあげていいかしら」「もちろん」。以前、美奈子を紹介させてもらった時(谷根千26号)にはオオギが取材にきた。それ以来。

 男性がカウンターを埋め、女性の三人連れがボックス席に来て賑やかになる。バーボンの水割りと芋焼酎のロックと麦焼酎のお湯割り。たった三つの注文なのに、誰がどれだったか何がお湯で何がロックだか分からなくなって再度確認。お代わりでまたこんがらがり、聞いたのにまた間違えてもうままよ、自分で三つ飲んでしまって新たに作り直す。

 再びモリ、月曜日に来た友人が私の成長を見にまた来店。顔見知りのオオギがボックス席に移動し、カウンターにまた人が増える。知り合いの鈴木さんが弁護士仲間とやってきてモリもボックス席に移動。席が足りなくなりそうなので、イスに置いた上着やカバンを預かり奥に運ぶ。一緒に来た人のをひとまとめに。これはあの人、こっちはあの人‥‥。奥でたった一人、指先確認で復唱する。どれも黒っぽいものばかり。

 ママは、辛い味つけのこんにやくや浸し豆や煮玉子を盛りつけ、テーブルにサービスしてまわる。月曜日から感心していることだが、ママは必ずどこかで客と会話する。それは話の邪魔にならず、手持ち無沙汰を感じさせない絶妙の間合いで、美奈子の客が美奈子に来たことを「よし」と思える瞬間だ。

 美奈子のカラオケはシステム手帳のような画面を突ついて入力する。それが面白いとオオギが歌いまくる。ほかの客も次々に歌う。カウンターの男性もテーブル席に合流して歌う。ママは客の気分を気遣っている。午前零時を過ぎて来る客も、常連ならば歓迎する。アキさんは日付けが変わるころそっと帰った。

 連れのある客が去り、カウンターにひとり客の男性が三人、グラス傾けしみじみ歌う。気を許せる客らしく、ママもくつろいだ表情で椅子に腰を下ろしマイクを握る。ふっと時計を見ると午前三時をまわっている。地球から何万光年も離れた所にいる気分になってきた。あれ、私はジーツと見つめられている。目が合うと優しく微笑む。水割りを作るときも、グラスを洗うときも、ママに促されて下手な歌を歌うときも、視線か注がれている。なんとなく幸福な気分。これこそ映画のようなラブストーリーヘの一歩ではないか(酔っ払いの錯覚である}。

 事件はこの後に待っていた。始発に会わせて三人が帰り支度を始める。奥から上着とカバンを持ってきて手渡すと、「これぼくのじゃない」。カウンターの端に上着が一つ残っていた。私は誰かに他人の上着を着せて帰してしまったんだ。残った上着のポケットには何もなく、着せてしまった上着には財布が、財布の中にはカードが‥‥。客は放心状態でイスに座り込む。ママは頭をかかえる。

「そこに誰がいたっけ」。顔を上げたママは近所の店に電話する。「よし」とまた違う店に電話。「いた」。はしごしていた客が美奈子に戻ってくる。上着が違うことにはまったく頓着がない。されるがままに脱がされ、自分の上着を着せられ、「おやすみなさい」と送り出され、手を振って帰って行った。

 戻った上着の埃を払い、深く頭を垂れる。「申し訳ありませんでした」、一件落着。腰が抜けそうになった。三人の男性が朝の気配のする町に溶けていった。
「あーつ、チョコレート忘れた」
 ママは二日前からバレンタインのチョコを男性客に渡していた。それは店主から客への義理チョコで、もちろん愛情の告白ではないのだけれど、それでもママの渡し方には愛情があった。もてなすことは愛なんだ。

 最終日、午前四時四十分。

 エピローグ

 いくつか書けなかったことがある。こういう店だ、客の名前や肩書きはよそう。了解を得ていない逸話もあきらめよう。具体的な金額もなしにしよう。

 それでも「いくらかかるか心配で入れないよ」という人のために。飲んでツマミを頼んで好きなだけ歌って、ボトルがあればおよそ三千円。新しくボトルを入れて私にご馳走して、フルーツなんか注文したら、一万円くらいかな。焼酎ならなお安い。「すずらん通りで美奈子がいちばん入り難い」という声もあったけれど、このルポがそんな気弱な人の励ましになりますように。

 最初に戻ろう。なぜ「美奈子」なのか。着物と八十冊、そして三つ目の理由。

 それはママの夫、セイコウさんの存在だった。入り口近くのカウンターが定席。十一時を過ぎると、「もう上に行きなさいよ」とママが声をかける。これは常連客に聞いた話。私は彼を写真でしか知らない。セイコウさんは八年前に胃癌で亡くなった、五十歳だった。ラグビーをするがっちりした人で、病気とは無縁だったから発見された時はすでに手に負えず、医者に半年と言われ、十か月間癌と闘った。元気なころも、美奈子の二階で闘病しているころも、亡くなったすぐ後も、私はここに配達に来たけれど、美奈子はいつも美奈子だった。

 今回の修業中、何度となく「私たちミボウジンなの」とママは客にいった。未亡人という言葉は好きではないけれど、ママが声に出すサバサバしたミボウジンはなかなかイイ。私も夫がもういけないとわかったときに、できるだけ普通に生活をし仕事をしようと夫婦で話し合った。夫の本当の気持ちを思い測ることはできないけれど。

 カウンターの内側にはセイコウさんの写真がある。ママは仕事の合間に写真にちょっと目を向ける。オオギが贈った花を「うちの人に」というのはセイコウさんにということなのだ。恥ずかしげもなく、愛だなあと思ってしまう。

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草の葉ライブラリー
山崎範子著「谷根千ワンダーランド」
近刊

やねせん1

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