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この日、おれたちは決然として立つ

 
 重い雲がたれこめた冬の海はいま力の波を高く巻き上げると、白い内部を見せどっと砕けて浜に押し寄せる。その浜辺を二十の若者たちが走っていた。どこまでも続く灰色の景色のなかで、若者たちが着けている紺や黒や緑の袴の色彩が鮮やかだった。颯爽と走るその一団はいまや鎌倉でみなれた光景になっていた。修学院の塾生たちだった。彼らは週に一度この浜を走るのだ。雨の日も雪の日も走っていく。

 一団は砂がつくる小さな丘陵にたどり着くと円陣を組んで腰を落とした。公暁がその円陣のなかに立った。いつしか重大な訓示がそこでなされるようになっていたが、その日もまたただならぬことが告げられた。

「正月三が日は修学院も休講になる、しかしくれぐれもこの正月は浮かれるな、浮かれた正月を遠ざけて、それぞれがそれぞれの場所で自己を鍛えておかねばならぬ、おれたちの本当の祝祭の日が近づいているからだ、その祝祭の日をいまはじめてここで明かすことにする、一月二十七日だ、この日おれたちは決然と立つことにする」

 輪のなかに鋭い緊張が走った。塾生たちの表情が一変した。口を固く結ぶ者、眼をぎらりと光らせる者、顔面を紅潮させる者、逆に青ざめる者。それぞれが肉体の底から噴き上げてくる熱いほとばしりを表現している。塾頭の大庭が、
「二十七日とは、将軍拝賀の式典の日ですね」
 と公暁に問うと、
「そうだ、まさにその日に我らは立つ」
塾生たちから一斉に躍動する声が湧き立った。
「とうとうその日がきたのか!」
「ついに我らの時代がやってくる!」
「鎌倉に我らの国を打ち立てるのだ!」
公暁は興奮した塾生たちを鎮めるように、
「これから鶴岡に戻って、善哉を存分に食らうぞ、奉仕団の娘たちが、おれたちに馳走してくれる、今日一日はすべてを忘れて、その一献にあずかろう」
 と告げ、塾生たちをさらに歓喜させた。

 正月になれば鶴岡宮は連日人の波で埋まる。人々は晴れ着に身をつつんで石段を上がり本殿の前に立つと、賽銭箱に銭を投じて掌を叩いて祈念する。そして大人も子供も境内や大路に並んださまざまな出店をのぞきながらうきうきとそぞろ歩く。

 正月は鶴岡宮の最大の催事であった。この催事を仕切る神官や僧侶たちは年末から忙殺されるのだが、さらにこの年はもう一つの大きな仕事があった。実朝の大臣拝賀の式典である。都から大納言らが長い行列をつくって鎌倉に入ってくる。これを迎える幕府はかつてない規模の式典を挙行しようとしていたのだ。その舞台となるのが鶴岡宮であり、公暁はその指揮もとらねばならなかった。しかし刻々と近づいてくる峰起の日にむけての活動はいささかも弛緩していない。むしろ雑務に忙殺されることによって、いよいよその決起が公暁のなかで集中されていくかのようだった。

 その日もまた鶴岡宮の執務を終えると、修学院の幹部との謀議の席についた。塾生から大庭小次郎、三浦光村、波多野五郎、小野寺胤義の四人。そこに鶴岡宮から定豪、重慶、良喜、尊念の四人の僧が加わっている。この九人を軸にして峰起の筋道が立てられていくのだ。公暁が光村に問うた。
「雪下北谷邸はどうなっている?」
「すでに空き屋になっており、いつでも我らが入れるようになっております」
「事を成したあと北谷邸から所々に伝令が放たれる、北谷邸は蜂起の心臓となるところだ、くれぐれも幕府に悟られないように準備せよ」
「はい、それは周到に準備させております、それと公暁さま、その雪下一帯の警護は三浦の部隊が担います、鶴岡から雪下一帯にかけてすべて三浦の兵です、したがって我らはほとんど無傷のまま北谷邸に入ることができると思います」
「おお、それはすごい!」
「天の手が我らを導くかのようだ」
「まことに天の配剤というものだ」
 といった声が僧たちから上がったが、光村は、
「いや、それは天の配剤ではありません、今般の蜂起の件、私は父に一言も話しておりませんが、父はおそろしいばかりに蜂起の全貌を察知しています、その警備の件も自ら望んでのことです」
「そうか、そうであったか」
「さすが三浦どのだ」
「我らの峰起が成功するか失敗するかは、実に三浦どのにかかっております、光村どのは父上との連携をさらに緊密にしていただきたい」
「我らが着々と事を展開させているように、父もまた布石を一つ一つ打っています、我らが蜂起するとき、父は秦野や中原などの御家人ともども数千の兵を率いて駈けつけるはずです」
「それは心強い限り」
「それで我らの蜂起は決定的になる」
「なにか私たちの時代が足音をたててやってくるようではありませんか」
 と声が上がったが、それらの言に冷水を浴びせるように重慶が、
「いや、事態はそんな甘いものではないでしょう、私には一つ大きな不安があります、実朝さまがどう動くかがさっぱり見えてこない、公暁さま、実朝さまからいまだご返事はないのでしょうか」
と厳しく尋ねてきた。


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